TORABARA ながつき28日

結局連絡を途絶えさせている人が、たびたび夢に出てくる。その人の欲が汚いことが赤裸々になる夢。かんがえられないくらいの姑息さ、こんなにも小銭を稼ぐことに必死なのか、と、実ることのないハゲ山を、わたしが一瞥して、その夢は終わる。

この人は、小さな商売をやっている。いつしか新興宗教の教祖みたいになってしまい、洗脳されたひとを食いものにしている。という方式の店になった。餌食になりそうなひとには、マウント。でしか口がきけない。ここに老害も加わりだしている。

何年も、店を見に行っていないので詳しくは知らないけど。このひとと会った後に、気が重たくなる症状。に気づいて、わたしは、離れた。

4年くらい前に、わたしがベトナム旅行した直後に、店に寄ったのが最後か。ベトナムに一人旅しました、という一行だけを私がしゃべって、あとは、ご自分がベトナムに行った時の現地人雇って、買い付けした話に終始し、買い出し中の、棚を漁るすがたを、ダンナがビデオまわして撮った映像を、何故か見せられた。ベトナムの光景が、暗い店内でビニールに入った雑貨を漁る、というシーンしか無いのだっけ。

先日、散歩の途中に、ふ、と啞然とするおもいが再燃して、それでまた夢を見てしまったか。わたしが一言もベトナムの話をしなかったんだっけ、ベトナムの、どの都市に行ったかも、言う隙間もなかった。

自分にしか価値がない、から転じて、こちらを便利屋だと扱うしごとを振られたりした。最後のせっしょくが、受けてもない仕事の指示、だったのだっけ。きさまなにさま。という度をこしてゆく、老いゆく女の営み。

ご自身の感性が根本から、どうにもなっていないひとは、のたうちまわるしかない。その国の独特さとか、ユニークな人の様子、に寄せる気持ちが何も無くて、お金を振り回して出来る狭い範囲、審美眼のかけらもない事柄が、そのひとの大半の時間なのだろう。

こころが貧相なのに、相対的ななにかに照らして、それを偉ぶる人の滑稽さは、かなりわたしの観察対象という気がした。焦る、足掻く、沈没。まで含めて、見届けたいのかもしれない。

TORABARA ながつき27日

片すこと、免許について、訊くことと、検査について、と、修理について。

美術品を扱う免状。血の検査、しなくていいって。外に置いてるものの土台をなおす。

里芋を煮物にすることと、レタス卵でチャーハンにすること。ブリ切り身を料理すること。フライパンで、身が割れるようなほろほろな、よい加減に焼き上がりまして、生姜をきかせて、塩、胡椒。お醤油をじゅっと焦がして、仕上げました。旨い。

午前中に、サイフォンコーヒーを淹れて、お酒効かせている。カルバドス。

昨日は、排水口に塩を撒いて、じゃっと流してさっぱりした。さつまいもを蒸す7分の間、冷蔵庫の棚を一段ずつ、取り出して洗って拭く。隅々、お浄めがすすんでいる。今日は、ガラス質のスポンジで茶渋を磨く。まっ白になる。ポット、マグ。麦茶の容器も、グラスも、ツルツルにした。

TORABARA ながつき26日

鸞鏡らんけい、盤渉ばんしき、神仙しんせん、上無かみむ。一竹十二律の、音の名前。

つつじの垣根の上面にまでめりこんでくる彼岸花が、冥界が、むぎゅーっと顔をのぞかせてきたような不気味さがあって、イタキモチイイ、みたいな気持ちの悪さと美しさの共存だった。

彼岸花。ここに?

今日は、蝶々がツガイが絡まるように踊ってるのを2回見た。3頭がからまりあって、空のほうへ飛ぶ、というのも見た。蝶にとって、なにかな日だったみたいよ。

TORABARA ながつき25日

下無しもむ、双調そうじょう、鳧鐘ふしょう、黄鐘おうしき。一竹十二律の、音の名前。

水べりをぬうようにはしるバスに乗った日。夜景は、水面に映る灯りは潤んでいて、右に左に、川が見えて、視界を川の遠くへ、ふぁっ、と投げるかんじをたのしんだ。

思い出したけど、夢で、見取り図の、四角い地図、模型みたいに凹凸もある、リアルに川が、夜景の中にあって、たてとよこと、何本も、そしてそれぞれの川に音楽があった。音を、夢の中で私は知っていて、口ずさんでいた。香水?色っぽいいんしょう。この夢は、何年も前に見ていて、同時に、いま、白昼夢である。

昼休憩は羊って付く麺屋さんの人と会話して和んだりした。

TORABARA ながつき24日

壱越いちこつ、断金たんぎん、平調ひょうじょう、勝絶しょうせつ。1オクターブの内に、12、音階がある名前の最初から4つです。

昼のころから、横浜へ行く日。お出かけに、不器用さがただよっているほうが、お出かけは楽しかったりして。

行く場所も時間も決まった事ばかり、すみやかな移動して、やくそくされていることだけする、成果物を取りに行くのかっていう行動。合理的でないことがストレスであるかのように思い込まされてきたか。

ほんとうは逆で、もたつくことと、とっぴなこと、の間で、ひとは休まってゆくのかも。息をふかく。よじげんにすべりこみそうなくらい、なにかひろがる。

これは、やさしいじかん。かもしれないことがみえかけて、帰宅じかんになった。こんどまた、ゆっくり来よう。

TORABARA ながつき23日

とりのいちに、なんども行っている神社さんの、宝物の、てんらんかいをみにいきました。ほうのうされた宝は、万華鏡とか笛。とっておきのいい物の、品目が、なんて素敵な時代だろう。時代が薄く進んでしまったようで憂える。

ネットの中に居る人。の動画の対談を、幾つも観て、今日の内にだいたい飽きて、よかったといえる。今、でてるひとでもてはやされているらしい。対話の言語の多彩さ、切り口の角度と、収束力に、刺激があった。ふうん。特徴を拾って、気が済むというかんじ。

老害に関しての過激な発言が注目を集めてたらしい。老害選手、みたいな会長との対談、ふだんは公に姿をみせない、爺さん。アチャコ。って名前の含む、文化の重さが、わたしが聞いていてひびきわたってきた。西日本の70代を超える人々の細胞にふり注いでいる、この時代の、スターというか愛。を産んだような功労者。これが、理論武装した、言語なぞって、無機質にしかなれない40才。若造。の無表情によって聞き流されてしまった時、

なんかこの40才に冷めた。

知らないひとで、もし言語を操らないじょうたいになったら、こういう画面越しに見えてるひとって、肉の塊という丈だよな。知り合いではないひとの、エンターテイメントではない姿は、イマイチだ。ニュース番組でニュースしゃべってるひとの人相とか、顔ってこんなにきちゃないっけ、何年も前だけど、やたら高性能なテレビ画面で政治家の顔がどアップになったのを観て、いやいやいや、テレビって本当に要らない。と思ったのだっけ。

欲しいものだけ、choice。

TORABARA ながつき22日

ネットのシリーズもののドラマを見たわけだけど、わたしは邦画の恋愛ものにケチをつけることの方が得意だとおもう。自分自身におこったことの方をあいするのであって、若かりし頃に恋が成就することは、わたしにはありえなかったことで、ドラマを見ながら、きおくの中の逃避行に出かけていたとおもう。

恋愛のドラマを見ていたことが、なにかしらの伴奏になっていたとはおもうけど。

しゃべるかしゃべらないかわからないほどに、さりげなく、前の席のひとは、わたしがテストでおもうようなてんすうをとらなかったことを、きづかった。それと、廊下の、中庭がわは、ぜんぶ窓で、そのとなりの窓から、風でかききえてるか声かわからないように、となりの窓は少し遠くて、ふたりはまさかしゃべっているかわからないさりげなさで、やはりわたしをきづかった。かもしれないくらいの、はかなさ。

どうにもならなかったから思い出が美しい。

今日は、雨足強く、よく降りますな。

それと、ドラマで見た主人公の俳優さん、昔のバイト先にそっくりな顔のひとがいたな、と思い出してて、やっとわかった。コタニさん。わたしは、俳優という職業に就くことじたいを人としては嫌悪してるというか、生身の市井のひとの方が本物のキラメキがある訳です。それでもし、コタニさんが佐藤健に似てるよって聞いたら跳ね上がるかもしれないが、コタニさんって素が格好いいひとだったりして。元気かな。

逡巡は以上です。

昔の半被の刺繍が素敵すぎる。

TORABARA ながつき21日

掃除機を掃除した。周期的にやらなくちゃな所なのだが、まだまだいいでしょ、と先送りしがち。それでいて、掃除機掃除し終わったら、なんて清々しく快適。もっとひんぱんに、クリーンな掃除機にしましょ。

掃除機のことは、使いこなせているとおもう。部屋の隅の四角に、キチンと四角いヘッドをあてて、掃除機が吸う威力を発揮して、ほとんど手に力を入れなくて、ただ支えるくらいに掃除機のスティック部分を持って、

スイッ

と、床のところを吸い込むしゅんかんとかとてもいいよね。わたしは、自分の体を弾むようにつかって道具を使いこなす、ことに長けてゆくことを好んでいるとおもう。雑巾やスポンジ。洗剤の量(も種類も)ビンゴなことは、よろこび。そのせいか、四角いかどに丸い自動の機械に動き回られることは多分嫌い。(持ってないけど)。使ったお皿を放るだけで無駄な水流が見えることは多分不快。水を節約する加減を、ちゃんと自分の目と触角で知ってゆきたい。一枚一枚、選び抜いてここに集まった食器を、慈しむように、自分の手で洗いあげているのは、善行を積む。くらいの尊さをかんじる。

洗い上げるたび、生まれたてによみがえる。

わたしは、最初のうどん屋バイトで皿洗いをした。皿洗いは大量にした。上手くね?マリコ。←バイト先での擬名。皿洗いをすることは楽しいという、いい気分が今もつづいているのだ。流しのどこになにを置くかという要領も、ちゃんと身につけている。カトラリー、手前。ガラス物は、流しのプールに沈めない。サッと最初に洗う仕舞うを済ませること。

それが情報なのか実感をともなう知恵なのか。知恵のほうを育てたい。