TORABARA さつき12日

もろにおもっていることだけど

どこそこに雇われて、以上。ってひとの発する、経験がプアゆえの、物事への意味の付け方がプア。こういうの、聞くに耐えない。囚われてるだけの空っぽ感。

何を言ってるんだという時に、こちらから鏡を用意して、その歪みを問うといいとおもった。

立場のどうにもなってない相手にも、偉そうな立場って人にも同じく、わたしは、そのひとの姿を映す鏡を差し出して、ほら、見てごらん、という挑発をするようなところがある。

いかりがあるから。

わたしは、肝心なところを誤魔化した状態のひとを、嫌っている。そういう人は、なんらか洗脳でもされてるのか。俗。ってそういう空疎なひとびとの間でしかきょうゆうされない。視界が狭くて、危うい。

なんなんだおまえは。について、てっていてきに観察してゆく。それで、動的ないかりは、静的な分析におさまってゆく。

今日の朝は、自転車を立ち漕ぎしたり、まったくペダルを踏まないでどれくらい進むかためしたりしてたけど、こういう、ゆとりなことと、目が合いそうになってる人が、実はそこかしこにいたりして。ゆとりがある人は、お、いいね。という気持ちに成れる。そういうひとたちを、このゆびとまれ。で、わたしの世間にしたい。

TORABARA さつき11日

電車に乗って行くお散歩道へ行かなかったので、朝の時間が余っていた。自転車を拭く。何年も拭いてないのに、なぜかそんなによごれていない。

子供の頃の朝は、家の前の垣根をハサミで整える、というのも、わたしのしごとだった。いろんなことを任されていた。朝食のための皿ならべ。そして、トーストを焼く。切り分けて家族に配る。と、つづく。

垣根は、まっ平に切り揃えたい。というおもいが今も残っている。庭の様子はみてまわるものだった。朝の気配は気持ちよく、朗らかなじかん。

このごろ、子供の頃の朝がすこし戻ってきていると感じる。なんにもあせらないきょうちですごしているせいか?

昼過ぎに家具がぞくぞく届いた。夜、組み立てるやつを完成させた。溝に組んで釘を打つところ、もっとしっかりはまるように木槌でトントン叩いていたけど、なんと、打った跡がすべて凹んでいた。出来上がるまで気づかないなんて。

まあいいや。ジャンクな棚で、どんどん味をだして使ってゆこう。

TORABARA さつき10日

厄日だったかも。少し。

しごと、あさはかなまちがいをいくつもして、へこむ。しごとって呼ばなくていい、なんだろ、このやくそく事。日中やってることで、収入をいただく。いただかないより、まし。くらいに位置している。

前に、いざこざ、というつもりもなかったけど、いさかいのようなやり取りがあった相手。が、めんだんで来たけど、このコ、もう、いやなんだろ、きょうめんだんに来るしかなかったこと、いやがってるだろ。

が、伝わった。わたしがあっけらかんと元にもどっていることとのおんど差。人によって、かかえきれなくなるボーダーがちがうのだ、りくつをよそおって、なんだかこちらを断とうとするかんじ。なるほどね、おてなみはいけん、それと、壊れたものは、壊れたまま。とおもった。

スーパーのレジ台に、置いたつもりが、まっ逆さまにカゴを床に落としてしまった。ふわふわのパンもはいっていたのでショック。拾いあげてお会計もして、そしたらレジのひとが、同じものととりかえますか。と聞いてくださった。優しくて気持ちに余裕があるひとにサービスをしていただいた。今日はいろいろが散々だったからコワバッテいたから、ほろほろ、やっと気持ちがほどけてきた。そして、おことばにあまえて、パンをね。取り替えてもらいましたとさ。

TORABARA さつき9日

晴れた。朝、公園へ行った。

朝、思いつくスーパーのお買い物が、たのしい。今まで買ったことがないもの。とかの条件で買ってみる。おやつとか。気持ちがゆるまるものを選んだ。

さて。シゴト。そして、あっという間に夕方。

クッキー。深い容れ物の底にクッキーをしまっていて、ひんやりしていて、手を入れたとき、まるで真空空間みたいに、クッキー空間をかんじたりして、取り出すときが、好き。このクッキー、おいしく焼けました♪

注文していたスカートが、夜、届いた。着てみたら、わたしの服!って思った。ぴったり。予想以上によかった。

TORABARA さつき8日

今日は、ChopinのCDを何枚もかけること。160℃くらいで1時間かけてクッキーを焼くこと。アマリリスは、球根が土から飛び出しすぎていたことと強風が吹いたのとで、花が一房落下して、茎も傾いた。残りの花も切り花にしておしまいにしていたところ、なんとなんと、すくすくと新しい茎が伸びて、昨日ついに開花いたしました。今日は撮影いたしましょ。すごい花の威力。咲きたかったのか。

朝のうちは雨。外の換気扇のダクトに、野鳥が、ちょっと寄ってたみたい。羽を休めつつ、食べものをゆっくりいただこうっていったふうだった。寄り慣れてるふうだった。

サイフォンでコーヒーを淹れると、やはりおいしい。カルバドスも加えた。なんとか。気分を上げてる月曜日。

夜は9時に寝る。

TORABARA さつき7日

雨もふっていて、連休はきょうがさいご。朝は公園へ行って、図書館へ行って、スーパーへ行って、なるべく歩いた。午後になって、シードルを開けて、雨の音を聞いていた。ずっとイスに座っていた日。文章を書いていると、だるさを忘れるというか、本当は、家の中でやっておこうとしている活動が数々あるのにほったらかしたままだった日。

TORABARA 学校のこと2

短大で英文科をでたひとが随分、ご自身の出身大学に誇りをもっていたみたいだったけど、道端で外人にしゃべりかけられたとき、ひと言も英語がしゃべれてなくて、わたしはとても、驚いた。わたしが英語をしゃべった。

レジを打つバイトをした時に、外人が来て、レジの接客バイトの人は、何も英語がしゃべれなかった。英文科を出て、ふだんは埼玉県で主婦してる人。このときもわたしが英語をしゃべった。

学校って、英文科って?なにを教えるところだったの?

英語が武器で、就職を決めた人が、英語試験のコツを聞いてもないのに教えてきて、設問の、このタイプの時は、a)が統計的に正解する場合が多い。とかなんとか。なんじゃそれ。テクニックとしてのTOEIC。人が点数を取るマシンになってる。

学校があぶない。こんな空疎な解答マシンが量産されているのか。学力がついてゆくことに意義があるはずが、学力を問う問題だけがひとり歩きをしている。安直に点数を取ることに焦点がある。点数が上か下か。試験するの、やめちゃえよ。アホは点数しかなぞれない。

一般的な、学問といわれている学科に、わたしがほとんど理解がない。たまに、わたしは、どの学科にすすめばよかったか、興味あればこれから学びたいのは、と自問するけど、学問を受容れるきりょうがじゅうぶんでないようにかんじる。論文。って長ったらしい、何行も何書いてるかわかりにくくしてあるやつ、とうすうす伝えきいている、はおそらく無意味だとおもっている。

専門の学問領域が現在ないこと。これを後ろめたくおもったほうがいいかどおか。毎日、新しい好奇心に向かって、なにかしら活字を読んでいるけど、これと学校だの学問だのをむすびつけるつもりもない。日々の学びのかたちと学問は別ものなのだ、きっと。

憧れに届かないままだった学校、芸術領域の話。ここに通ったことの断片を宝のように今もおもう。今も、売店や文化祭へ行ったりする。この学校で特有の視点を授かることができた。夢に酔ったままの包まれた心地がある。泉のように、常に未来が生まれる場所。わたしにとって、大事な場所。やめたのに、いつまでも、好きってこともある。

TORABARA 学校のこと1

わたしは、芸術関係の領域が含まれた専門学校に通ったことがあると思うけど、カリキュラムについていけなくて、辞めてると思う。カリキュラムを肥大化してかんじていられるなんて、わたしの才能がいかにありあまるほど大きい。学校に通っている人たちに憧れをいだくことが多かった。魅力的で刺激的。こんなに素敵なことたち。と、おもっていたとおもう。

その前に、6流大学に入って、辞めてる。周りのひとたちすべて意に介さない輩。豚の肉を茹でたときに、白い脂身の灰汁がうくとおもうけど、そこにいる学生さんたちの存在が、捨てるような要らないもの。という印象しかいだけなかった。

物事を深掘りすることが出来ない、なにかを掴む力が足りない。うわばみだけが彼ら彼女らの養分なのか、と観察した。ノリ。ノリの良さ。ちょっとでも切り込んだ話をしようとすれば、こだわるー、暗いー、的な単語で塞がれ、こちらから何も喋れなくなってた。対話が成立したことがほとんど無かった。

わたしの許容量が狭かったのかと思って、再び、大学案内のサイトを眺めてみたけど、同類のうわばみみたいな人たちが、すくない脳でから騒ぎしている写真。この嫌悪感に、蓋をしていただけで、わたしからの感じ方は、なにも変わっていない。なぜにこんな大学にかかわったりしたんだろう。不毛の禿げ山。大学に入ったこともやめたことも、ほとんど他人にしゃべっていない。まだ、整理はつかない。

ただ、ここに通ったことでしか出会えなかったひとと出会えた。救いがあったというか、代償がおおきすぎたか。学費とか、恙ない進路を挫くとか。レールだといわれていることを悉く外して、アウトサイダーとして生きることで、はじめてわたしの出発点になっているので、大学が辞めるほどイヤな所、で良かった。というべきか。

すごい優秀なひと、とおもって聞くと、タイトル取ったみたいな一流大学でした。ということはあったけど、反対は無い。有名大学を出たはずなのに、こんな程度なのか、似非かってことは、けっこう多い。人生の最大のとくちょうが有名大学。でしかないことは悲しいとおもうけど、もう、墓石も、有名大学。でいいから。というくらい、なんなら40秒に1回、有名大学を口にしてるひと。学校がついてまわる生き方はある。ほぼ凡人だから、大学名は付けたまま生きてるか。ひとは。