TORABARA やよい27日

降りた駅の、白い桜が満開。

お昼に、黒酢酢豚を久しぶりにいただきました。以前は、行列ができていたけど、すぐに座れた。ここの焼売の味が、かわっていて(変で)苦手なので、行列がなくなったことと、人人が変な味に気付いたかもっ、をかんれんづけてしまった。

黒酢酢豚は、出来栄えが良くて、お値段が良心的で、混まなくなったなら、うれしい。

前回、ありえないくらい中国人の子供が店内を叫び走りまわっていて、親が放置。店のひともだれも叱らない。テーブルの真横を、食事中に、はしりまわるものではない。わたしがこどものとき、きびしくしつけられていて、こういうじょうけいに イケナイ。と反応してしまう。ぜんぜん食事が味わえなくなってしまい、こういう場面は、困った。

わたしがこどものころは、子供や獣は、社交界の外に、置く。という成熟した大人社会があった。大きな会合では、子供達だけ別室。折り詰めの主役、鯛の焼き物は、子供には無し。ちかよりがたい境界線があったことが、こどもながらに潔い。とかんじていたとおもう。

獣にかんしていえば、犬だの猫だのは、食事の席には御法度だった。断じて。口うつしで食べ物を食べ合える同士が同席をする。本来、食事の席をいっしょにすることとは、エロスが含まれているのだ。犬の口で咀嚼した食べ物を、おまえは口に入れられるのか。犬猫OKと言っちゃってる店とか増えてるけど、わたしのイカリは、このあたりにある。

さて。これから先の大人は、どのようにふるまっていきましょうか。

TORABARA やよい25日

昼すぎから、旅の始まり。小雨でしっとりしている日。

乗り換える駅で、あれ?どれだっけ、ほいっ。と乗ったやつが、目的地にしていない方へ向かった。

江の島。こんなに近かったのか。先月、行ったばかりだから、1時間、コーヒー飲んで戻ろう。のはずが、悠々と、空気のおいしさに誘われるままに、洞窟へと辿りついた。

20年以上ぶりで、じっくり、岩屋を堪能いたしました。

このときだけ、なぜかとても空が明るくなってた

それと、思いがけず泊まるお宿(箇条書きにする条件的には、わたしは選ばないところ)が、やさしくてほっこりする居心地で、とても、休まりました。

男の人にだけ、フィンランドのサウナと大浴場がある。

つまり、ここには、男の人だけ、いいサービスがあってもいいよ。という女の人しかいない。これが、ここの空間の優しい雰囲気を醸し出しているかも。なんか、条件を数値化したり、均質になってゆくことではない、母性というありよう。が、古く、日本にはあって、ここにあるのも、そういったふうだった。

TORABARA やよい24日

朝、桜満開の公園へ、散歩に行く。しゅうまつ、ちょっと近くのどこかに泊まりたくて、ネット検索して、ここ!と思ったお宿に予約を進めて、確定しようとしたら、ボタンが進まない。まさに同じタイミングで、タッチの差で、残り1部屋が、取れなかった。

こういう時、この条件は選ばないほう、(2つのホテルで1部屋づつしか残ってなかった。)に、泊まることは、おみちびきであると思う。こっちでよかったーってことになる。

と思う。雨が強くなって、金曜日。夜の美術館へ行くのは、来週にするか。

朝の、ひかりのある空。

TORABARA やよい23日

朝の公園で、ピクニックみたいに、ドリンクヨーグルトとクロワッサンをいただきまして、ノリノリになったのででかけちゃいましょ。電車に10分乗ってゆくところを、お散歩いたしました。

なんて空気おいしいの。今日は、鳥の声が大きい。神社さんの拝殿に、屋根のあるところに、両側に、種類のちがう鳥がいて、大きい声すぎて建物にこだまするくらいだった。

わたしはここを歩いているとしっくりくる。ずいぶん、歩いた。8000歩ですって。曇りの日を、ちゃんと味わいました。散歩の道は、緑の新芽の木。この時期だけ一本だけ、桜。

朝のスーパーマーケットで閃きがありました。えんがわと白いイカを薄切りで削いで、塩もみきゅうりと酢味噌で和える。春にいただく、超特級なメニューですこと。

散歩と食事がよくて、ほかになにをのぞむの。ずっとどこか感動していた!朝は5時に起きてて、朝の7時の電車に遊ぶあしとして乗るっていうところが洒落ている。

9時にシゴト開始しているところも、いかす。ふたつもみっつも朝があるみたいな日だった。

↑こちらは、昨日のお舟からの眺め。

TORABARA やよい22日

たのしいきもちが、かみあわない人のこと。やらねば、丈の行動が、ほぼその人の時間を占めているひと。たのしいから、が行動の動機になりにくいらしい。それで、話をしていて、へいそくかんがある。やらねばばかり造るひとは、けっか、うっぷんを造り、爆発する。

はめをはずす、ということとセットになって、自分自身への拘束がかなり、強い。このひとの拘束するクセがゆるまれば、羽目なんてはずさなくてよくなるのにね。

人ごとに、ご自分で業だとしていることも違うし、人生をおくるにあたっての養分の摂りかたがちがうとおもっている。わたしは、パートナーに、今の今まで、おなじようにたのしむことを、求めていなかったみたい。異種なことへの、めずらしさを、眺めて、あゆみよろうともして、ただこれ、もうおしまいにしたときに、自分じしんが、すごいきついやつだ。

合ってなかったじゃん。わたしが健やかではなくなる相性。合っていないながらもやり過ごして、流そう。としていた数々は、アレ、とかコレで分類され、積みあげられ、きっちり記憶されている。それで、許容量をこえたとたん、振り子はNOにふりきる。なぜゆるしたりしたのだ、おもいが烈しく自分を襲撃する。わたしが誤魔化した違和感は、ウソ、の箱にちゃんとしまわれているのだ。

せっかくちがう価値観をうけいれていったはずが、もとのもくあみな、只のわたし。一寸もかわることはない。

自分の正直さにもどるのか、もうちょっと、この水の流れにまかせておくか。どうでしょうね。ちょっとでも、気が晴れるほうへ。

TORABARA やよい21日

午後からお祝いの、旅。午前中は、お部屋の一掃を淡々としてゆくことで、いよいよ整った。旅行前の時間に、お部屋のいるもの、いらないもの、をより分けることで、気持ちがリセットされる。それで、おもう存分に、旅のモードになった。

お部屋のことは、隅々、見渡した。出発までに何時間かあったときの、淡々としたこの時間のことが、とても好き。