花祭り。
大切な場所へ行った。野生種の躑躅が満開で、黒アゲハ蝶が、ちょうどおでましになって、蜜を吸い始めた。木の葉が落ちてきたとおもったら、モンキ蝶だ。蝶々は、今年、わたしにとって初のおめみえ。

2月は池の水を抜いてた。
アメ横へ行った。輸入ものの紅茶のお店、買ったとたんに、大きな音で鐘が鳴りだした。真上が摩利支天さんだったのね。
タイミングが、祝福されてるみたい。らららーって歩く日になりました。

前回訪ねたときは、虹が架かったのだった!
花祭り。
大切な場所へ行った。野生種の躑躅が満開で、黒アゲハ蝶が、ちょうどおでましになって、蜜を吸い始めた。木の葉が落ちてきたとおもったら、モンキ蝶だ。蝶々は、今年、わたしにとって初のおめみえ。

アメ横へ行った。輸入ものの紅茶のお店、買ったとたんに、大きな音で鐘が鳴りだした。真上が摩利支天さんだったのね。
タイミングが、祝福されてるみたい。らららーって歩く日になりました。

風が吹き荒れていて、昨夜は夜中に目を覚ますくらいも、風の音が、びゅわーーっとしていた。
おとなりのお宅の立派な木が満開。モチモチの木の、絵本に出てくるのとそっくりな木。(滝平二郎絵)
この週末こそ、そうじをしよう。とおもって、掃除の本をよんでいたけど、散らかっている家の人が物を捨てるときって、泣く。らしい。えええ?泣くの?
100コ、ガラクタがあるより、20コ、お気に入りの物に囲まれましょうね。という提案が書かれていました。そうね。
朦朧とした気分から、何日も抜けていないとおもっている。家で、YouTube が流れていて、画面の人は、過去の思い出話ばかり。しごと先は、虚無かとおもう。波がちょっと荒れているような海を、しばらく見たまま、ミネラルウォーターを飲んだひととき。どこかで、自分のしずけさの底にふれること。それがほんのひとときあった。おいしいお水。が、一番基本てきに、おいしい。
科学的に解明されていることには限度があって、情報が、わたしにとっては、すぐに多すぎ。になるため、なんといっても
神秘的。
なのがいいですね。

夜景が綺麗。ビルの窓の光が、燦然と輝いている。と、今日は思った。それでバスに乗って、ビルの合間をドライブ。大きな橋も渡るのね、この路線、気に入ったわ。水路がいくつか現われた。
本日、満月。
夢で、三茶か下北かって土地へ行ってた。いつも行っている、夢の中にだけある場所で、路地とか、よくある角とかを、歩いていた。生活時間の真っ只中。夢の国のほうで、地に足の着いた人生がある。
陸橋で、長い立派な建造物になっている所の、脇の道を、凄いスピードで、自転車で走ってる。ペダルを漕がなくても、坂になっているから、滑べるように走った。カーブを曲がるときのハンドルを必死になって、運転。
運転の最中に、目が覚めました。夢が、残ったままみたいな日だった。

朝、公園散歩して、昼の休憩のとき、入浴して、しごとおわった直後に、チョコレートケーキ焼いた日。
毛糸編みで、昨日やってたところを解いて、やりなおした。だいたい、うまくいった。
だめなところをみつけて、なおす。ことについて、考えている。資本主義は、足りないこと。こそが、商売のはじまりになるから、ケチがつくかしょが多い分、なにかのしょうばいのカモになり易い。
ずっと、着付けを習うか。ということを頭のすみで考えてしまっている。着物のたたみ方で、シワができた、と指をさされたシーンがリフレインしている。言われなくても、シワなどつくらないけど、急かすようにたたませて(呼び水)ほら!シワになった!みたいなはこびがあったことを、私は見逃さなかった。
おこられる型のようなのができて、何度もその型に、同じようなことを注がれること。が習い事の形になるなら、そこへ通ってはいけない。たぶん、昭和の時代のパタンは、いつまでも上達しない、付き合ってる丈の習い事が、常だった。
それと、細かすぎる着眼点について、そういう物を見る目、神経のつかい方、があることはわかるけど、バイト先とか習い事で調教されてしまったことで、大らかさが失われることの方を憂う。
鳥の啼き声が、轟いていた日。
スチャスチャスチャ。という声。スゥスゥスゥスゥ、みたいな声の、種類がまた別の鳥も、来てた。
昼すぎに、猛烈な眠気があった。春麗らかになったってことかな、この間は、眠気は、ストレス!って書いたっけ。
色えんぴつの芯をけずること。パステルカラーの色紙で、紙ふうせんを折ること。が、TO DOリスト。
ニンジンとニンニクをすり下ろして、バターピラフにして、ほうれん草と、とり肉のホワイトクリームソースをかけて、いただきました。美味しかった。
しっくりくる時間をさがす日。となりの駅まで徒歩で行って、帰りつつ、遊歩道を歩いたりした。
本、読みたい本に出合う。夕方、5時には赤ワイン飲んで、数種類のチーズ食べ始めた。たぶんきょうはぱっとしない日。
先日も、駅で、何か忘れているさっかくがあった。行きたい場所?欲しいもの?もしも、すごく、心が動いたら、なにかをやってみよう。

着付け教室の日。昨日のストレス症状は、今日の午後3時に焦点があったとおもう。今日は、振り袖を着せてもらう日。女の目だらけの中で、下着に近い姿になって着替えるところ?着物が自分で着れるようになりたいことと、そんなにはナルシストに着物着てる鏡の中に、はしゃぐわけでもないかんじ?ここのなにかしらの刺激と、わたしとの相性で、ストレス反応があることは、確か。
振り袖は、正絹で、肌触りよくて、覚えがあるような重たさ(寝具がちょうどこれくらい重たい)で、艶やかな柄なことも嬉しかった。うっとりするし、高揚感があった。
さて。はて。着付けのお教室は、着物とのお付き合いの仕方のはずが、そこに人の介入があって、お付き合いとしての習い事、という様を呈してきた。
年寄りになって、話相手がいなくなって、どこでも何でも、群れになるところへ自分も加わりたい、あるいはやさしく声をかけてくる、営業マンにだまされ放題。さみしくて、ちょっとした話相手がほしかったことが、発端。みたいな話(年寄りが、呆れるような的に、お金を散財してしまうのって、パターン化されてるとおもう)に、もしかして似てきてる?公民館に集って、長机で雑談するような匂い、おしゃべりができそうな居場所へ、よろよろ寄っていきそうになってる。
着付けを習うことに、ン万円。は、ありえないか。ゆくゆく高額のお着物を買ったり、行事にかこつけて集金されたりする、そういう流れだよねこれ。
方向感覚が狂ってる。どこをめざしていたのだったか。まピンクな柄のお着物が、似合うねっと言われただけなのに、くり返し、似合ってたかも。ってなぞってる。そして、次の有料コースに勧誘されてるって丈の、お茶やお菓子を囲んで談笑するひとときが、みょうなしたしみがあった。