TORABARA ながつき5日

台風が来ていて、しかし風が吹くではなく、まっすぐに落ちる雨音が聞こえている。ときおり、音は強くなる という日でした。

奥歯をかみしめているせいで、顔は、四角くなるとおもう。

父の考え方が、父の限界であることを知れば、諦めがつくのかとおもう。ひとには必要で忘れていることがある。それをいきなり白昼に、あぶりだされた。これは、暴力だった。

わたしが昔、病気をして、その病気の回復のしるし、みたいに、どこか道を徘徊していたらしい。自分自身で、それを覚えているわけではない。

父は、自分の表現の場所に、この光景を持ち出し、黄色い救急車(田舎ではそう呼ぶ)で運ばれるあんけん、それが我が娘、自分は、それに耐えた。といった主旨の詩を発表した。このたび、これは自費出版の本になったのだが、なんじゅうねんも、句会とやらで、内情は、わたしの病気は、とっくに曝露されていたのであろう。

句会という名のシロウトの群れ、に嫌悪を示している。赤裸々な、家族の実態を吐き出し合って、刺激的だとよろこびあっているような、いやらしい集合体。父は、自称歌人でしかない、と父をなじった。長年、父が取り組んでいることを、台無しにする発言になり、申し訳なかったけれども、生半可なシロウトが、歌など詠むから事故になった。

徘徊をした、かどおか、父の描写によって、私自身、そのシーンが脳内をぐるぐる回るのだが、架空か現実か区別できない。わたしにとっは忘却のかなたである。冒頭でも言っているけど、いよいよ回復の兆しがあったから、歩きまわれましたね、これがわたしの解釈になる。けど、父は、恥で隠しておくことを、僕が書いた勇気、くらいにおもったのだろうか。一斉に読者を味方に付けて、黄色い救急車に、後ろ指をさす。

きがふれた娘、自分の娘に非ず、みたいに書かれていた。一度きがふれたいじょうは、きがふれている枠に固定され続ける。この田舎ならではのレッテルの貼り方に、わたしは田舎者(父)の愚かさを見る。

わたしは、父が、どのような立ち位置で書いたのかを、問い合わせた。娘を川向こうのキチガイと位置付けて、僕ちゃんは、こちら側の人間ですよみなさん、と踏み絵をしてみせたんですか。十二分な視座が、シロウトさん(父)には獲得できていない。

娘が徘徊したかどおか、何故、父によって公表されなければいけないのか、その徘徊した姿が娘に非ず、と書く、あけすけに「醜さ」を込めてある。

ネタになるから、わざと書いてみせる。なにしろ読者の大半は、三面記事にコーフンする覗き見を好むひとたちなのだ。その的に、わたしの徘徊を、え?ネタにするか?我が娘をネタにして差し出すという神経は、異常だろ。

どこだろう、本出版の事件は、何層にも、耐えられない嫌な出来事である。

父に向かって、ほほえみかたを忘れる。

TORABARA ながつき4日

昨日の朝は、豪徳寺へ行き、浴衣姿を撮影してもらった。着替えるとき、急いでしまって、ちゃんと裾が揃っていないし、帯から帯飾りが飛び出して垂れ下がり、もう、ぜんぜんアングルを試すことにしかならなかった。

朝、境内は、太陽の輝きと翳りが、とても絵になっていた。

駅に行くより、ここに来るほうが近いのに、やっと来たか。わたしは、ねばならない、ことはどうでもいいことを学び、大事なことが何か。本当は大事なこと。をちゃんと、見据える。

よいふぜい。
朝散歩。

先日、わたしを撮影してくださった通りすがりの方に誘発されて、わたしのだんなのひとが、撮影してくれたはこびでした。

バッグを手に提げるときの、力みを、ゆるめよう。顔の強張りを、なくしてゆく。写真にうつることで自覚出来ることがあって、よかった。

今日は、雨も降った。しごとが終わってから、ワイン飲んでチーズ食べてお休みなさい。という急な床っていうか、食後から横たわるの早っ。て日だった。

TORABARA ながつき3日

父の問題、再び。犬猫の生理じゃあるまいし、自分の娘の発育を、赤裸々に、本に書きやがった一件が、わたしは、いかりがおさまらない。なにか、おもしろいか。

女の商品価値に値段をつけかねない、女という動物への卑下が、みてとれる。これぞ、昭和一桁生まれ(父)の、厄場。やばい。時代錯誤。もう、口がきけない。

時代の空気で、あるいはかつては、当たり前な揶揄だったかしらないけれど、今、これは嗚咽する、嘔吐できるよ、すさまじい嫌悪感が、わたしに巻き起こっています。

人が、どんな神経をしているかを、私から変えることは出来ない。謝罪されようが、弁償されようが、許されない。まずいとおもわなかったから、活字にできた。信じられない。もう、ずっと、頭から離れない。父の思想を直視することが即、穢れに触れることのようにおもう。

時代の落とす翳り。戦争があり、敗戦して、教科書の記述を墨で消した。政治的な主張、が父にあったらしく、わたしからすればいかがわしい活動に勤しんでいたようである。なんちゃらに反対、空港建設に反対、バリケード建設のための署名活動、募金。とか?

そういうの、流行らないっていうか、人としての根底の品位が、特に女への卑下がこびりついた父の頭が、なにをさておき、最低である。いろいろ、要らない主張を展開していることへも嫌悪あるけど、やはり、どん詰まり。ひん曲がった、奇形な神経を軽蔑する。

親が、犯罪者とか痴漢とか、異常者って場合の、立ち直り方を、わたしはなんとか、見つけなければ。心機一転、克服をこころみる。

まだ生きとられましたか、

と、さっき電話で言いかけた。

TORABARA ながつき2日

父は、就職による、いい思いをしたことがほぼ無いとおもう。公務員を辞めて、親戚にお裾分けしてもらった仕事を細々とやる。途中でコピーライターへの憧れが高じて、チラシを作る、という会社に転職。そこも辞め、市民が有志で運営している事務局の事務をした。さぞかし安月給であったとおもう。バイト代程度か。挙句、親戚にお裾分けしてもらっている仕事に出戻りした。晩期はアルバイト契約だったようだ。

この顛末は、一家の柱であることと、どう折り合いがつくやらで、その父の背中を見て育ったわたしは、一体、就職になにをおもえばいいやらだった。

ステイタスがご立派な親を持つ子供は、横柄に育つ傾向があるか。わたしは、世間様に後ろめたいような、最初から敗北しているような陰気を背負っていたかもしれない。

父から巣立った後、父の不器用さは何だったのかわからず、父にまとわりつく、貧乏神の正体は不明なままだ。わたしが自分で勤めに行くようになって、ようするに、父は性根が怠け者だと悟る。滅私奉公に向かないひと。共感能力の低さは、職業をとおすばあい、致命的に拙い。

父の屈折した、物事の捉え方。が、いよいよあけすけに、先日の詩集で、判明した。出すところに出せば、犯罪として分類されるほどの、異常な神経。倒錯して迷走している。しごとできないやつは、なんにもできない。

父は、たとえば医者、のような確固たる職が無かった。詩をよむのが得意だとかで、シロウトなまま、はどめがきかない悪癖の垂れ流し。それを叱るひとがいなかったことで、三文役者に拍車がかかった。そのレベル感だからこそ、地方紙におもしろがられて常連になる。そこが天井で、彼の限界。地方紙もとい、噂話新聞だろ。

父が、いかに娘を所有物としてなじり、娘が病気をして徘徊したかどおかを、なぜ父によって公表されなければいけなかったか。

プロフィールを書くことを強要されたときに、わたしは異和感をかんじた。自分の手柄でなにかをした、という項目を立てたいがために、父には過度に、いじらなくていい他者へ介入し、ネタを拾い悪目立ちする、という構図が見て取れる。プロフィールを増やそうとする営みが、エゴに依っている。それらは総じて屑でしかないことに気づいてほしい。

流れの中で、まわりのお引き立てありきで、わたしは存在している。わたしのこころがけの、きゅうきょくは、コツコツとした日常の営みにある。

うまくいっているわたしを証すしるしは、くじ引きの運がいい。タイミングがかみあう。天はわたしをよく見てらっしゃるよ、という祝福がある。

DNAは繋がってるかしらないけど、魂のふる里は、まるで別だとおもう。

両親に役割が無かったとは言っていない。今わたしがいる場所に、たどりつくための、アンチとして存在してくれたことに、感謝。そしてまだそのアンチは終わっていなくて、父はいったいなんなのだ、については徹底的に、考え抜いてゆこうとおもう。

TORABARA ながつき1日

出社して、遅々として進まない悪夢のように作業していた。もうれつ糖度が低くなる症状。わたくしが環境から感知する甘み、があまりにも低度になることを指して、糖欠?なにか命名したい。とにかく、いくら甘甘なキャンディを頬張っても甘過ぎることはなく、すべて消化されてしまう。飴注入によるエンジン維持。そういうギアで過ごしています。

昼、銀蔵さんでちらし寿司をいただく。カフェ・オ・レと、チョコウエハースをおやつに購入して戻る。

店先の冷蔵庫、狙いめな割引シール貼ってあるチーズを発見し、売り場の下の方へかくす。帰りに買おう。なのか今買ってショクバ冷蔵庫で冷やしとくか、店の店員さんに取り置きをおねがいするか。どれでもよかった。もしも誰か見つけて売れちゃったらそれまで。という賭けみたいな方法を選んだ。

だんなのひとが、浴衣姿の写真、あした撮ろうとレンラク入れてきた。んー。浴衣は、初夏をおもわせる柄で、じつは秋のはじまりには合わない。昨日のおでかけも、周りからの目線は、ものずきさん。だったのかも。

旬、季節を先取りして、目が醒めるような服で、まちを突っ切る、というのも、まちが華やくための役割だね、衣裳童子。

衣裳童子。になろうか。

TORABARA はづき31日

夏の終わりに、浴衣を着た。電車に乗り、上野へゆく。屋台で買い食いをする。台湾の、祭りでした。後、浅草へ移動。

だんなの人と、今年初めて。上野へは初めて出かけた。わたしにとって行き慣れた、なんならそっくりの足跡通りで歩く道とは、ぐいぐい別な歩き方をする。公園口から出て、喫煙所はどこか探す。喫煙所へ行く。祭り会場に入って、また何度か、喫煙所へ行く。

だんなの人が高校生の時にバイトした喫茶店、浅草。これを探訪することになる。2カ月も続かなかった。何もかもが初めてで鮮烈だった。サボってディスコ行ったのでクビになり、嫌な思い出になり、以来足を向けたことがなかったが、最近になってディスコに自分を誘ってくれた、自分をかわいがってくれたバイト先輩ふたりが、懐かしくなり、もう嫌な思い出ではなくなった。とのこと。

それらしき記憶を辿って、多分ここ。という建物を見つけた。ドアの横に鐘型の鉄飾りが取り付けてある。現在焼肉屋になってるけどカップボードらしき棚が、店外のガラス戸越に覗けた。

かわいい喫茶店で一服

代官山の奥地。だんなが以前住んでいたエリア。7年ぶりらしいけど、どの通りか、しばらく迷っていた。ボロ屋は建て替えられて、門も付いて、セコムされてた。

だんなはかつて会社経営をしていた。以前の住まい、二軒ひっこししながら暮らしたらしい辺り、は、お洒落な飲食店が点在していて、とにかく美味しいお店に入って、こんなバーベキューで焼きたてを食べてる風な旨いナス、食べたことない。すごいよかった。だんなってオシャレライフだったんだっけ、あなたは誰?というふしぎさだった。

だんなは、自分中心の行動だけがあるひと。稀にしか外出しないうえに、自分にゆかりがあることしかしなかった。わたしは今日、浴衣を着ているのに、一枚も写真撮ろうとか言ってくれなかった。

付き添いをしただけかよとおもいつつ、だんなは今まで、誰かを連れて、昔の土地へ行ったことがなく、わたしに見せたかった。ということでした。

TORABARA はづき30日

公園へ行く。朝のヨガへ行く。電話屋さんに寄り、dアカウントを再発行していただく。花屋さんでブーケを入手。

電話屋さんの冷ややかなサービス。てめえらが提供しているサービスを、案内することに課金するらしかった。課金をしない範囲で、そのIDとやらの再発行をいただけますか。もともと客側に付与しているポイントを知らせるのに、身分証を3回くらいコピー取られた。コノヤローなかんじ。

花屋に、イチヂクの鉢があった。庭植えをして繁らせたい。というおもいと、植えていい土を、持っていなかったっけ、何故、ままなる土地が無かったっけ、と愕然として、泣きそうになった。こんなはずじゃないカンカク、起き抜けに、何故に私は、子供を育ててなかったかと喪失しているカンカク、わたしの現世のじょうたいと、本来のたましいが何重かになっていて、はっ。とするカンカク。

イチヂク、植えたい。という幻惑は、残ったまま。

家の掃除して、換気扇とか流しとか、浴室の水回り。海藻の昼ご飯食べて、いよいよ、今日、取り掛かる。布のバッグ作り。

机の上を広く作業台にして、廊下にアイロンスタンドを設置して、集中すること5時間弱。ほぼ出来上がり、ファミレスに待ち合わせて、披露した。わたしは、布のバッグを作っていればいいという職に、今いない。そもそも、この時代に、布のバッグに値打ちがあるとは考えにくい。作業に向き合う、一呵成の時間が、価値があることになるかな、エルメスのスカーフ一枚分くらいの価値を生み出すとすれば、だいたい、1カ月、5個、バッグ作りたい。

44マンエン。になるならば、職を、バッグ業に替えよう。(エルメス・カレで換算)

翌日、スナップボタン縫って、仕上がりました。

TORABARA はづき29日

ヨーグルトにメロン入れたよ、美味しかったー。

週末なので、ありったけ翌週に残さないように仕事を片す。入浴して、その間もずっとカレーライスを煮込んでいる。チーズやワインもいただいた。

ベランダの物干しを見渡すと、ミニタオルが、屋根とか樋らへんへ飛んで、引っかかってる。布団叩きの柄を伸ばして、とりあえず、地面に落とした。

雑草が生い茂った庭に入って、ぐるり周り、ミニタオル。を取った。雑草の天下を取った様子、堂々と聳える、ここに世界が立ち現われてるかんじに感嘆している。ぜんぜん様子が違ってゆくという、自然。

見たことある、実を付けてるやつ、これが生えてきたいきなり感が、すごい。

わたしの育った土地に、同じやつ、生えてた。