TORABARAふみづき4日

父はいったいあの本の中で何を言ったか、嫌な念が付き纏ってくる。実の子に対して、「子に非ず」と言ってあった。非。この字をあててきましたか。こちらへの打撃が、爆弾級。父の思念に触れていることが、ケガレに手を浸しつづけるようなかんじ。ということは、既に体験して知っていたのに。まんまとまにうけた。

非、という文字のつかいかたで、これはトラウマになりそうなやつ。字を見るだけでヒリっとするようになってる。この気分を変えるために、と、なにがなんでも打ち消すべき、被り事。と、だんなは位置付けた。いえいえ、その前に、父よ、自明なことだろ。最初から、言わなきゃいい。

書かなきゃいいのだ。

シゴト先のはなし。雑談をしている時間があって、苦手なんだったっけ、あたりさわりなく喋ることが、なんか、出来なかった。わたしと向き合う出来事が濃いと短く終わるし、薄いと長引く気がする。つまりここは、薄いって丈で長い。

週末になったのだけれど、ワイン飲んだら、変に体がむし暑くなってた。旅行のことを考えよう。ネットの質問コーナーで、旅行先を組み立てるやりとりを読んだら、やたら能天気で楽しい気持ちになった。国内旅行、観光。7日くらいかけるって、羨ましい。

TORABARA ふみづき3日

夜中に目がさめて、夜風が心地よく涼めます、ツーっと吹く風が、気持ちよかった。2時間くらい、起きてた。それで今朝は、遅い朝ごはん。朝ごはんを食べながらシゴト開始時間になってる。

昨日、旅をセットして、唸るほどの絶妙な、泊まる場所、バスも新幹線も、うまく組み立ててたりして。充実した計画を立ててみよう。

ところで、ぐるっとパスは昨日までで期限切れになってる。このたび、なんだか素通りするような使い方になった。行ってみたらその日は無料開放日だったり、せっかく行ったのにカード持ってくるのを忘れていて料金を払ったりした。それと、ぐるぐるしてることに飽きた。しょせんがおぎょうぎがよい客。の分際で、展示をされているという、制限の内側の枠、枠にはまっているところを、「いいわねぇー」と言って廻ることが、なんだかな、もう退屈、というか。

ほんとうに行きたいなら、その料金を払えばいい。

老人の時間には弾力がなくなる。無料だというだけでズルズル、1時間30分長くかかるルート、はぎれよく20分で行けるのに、ただただ、電車運賃の200円に支配されていることにあまんじていられるらしい。安売りを買う、についても、崩れやすい、冷蔵されてるほうがいい、お豆腐を、遠路はるばるその一丁を買ったという。

夜の時間に、久しぶりにキリトリさんをした。

月曜日のことで言い残していること。わたしが暗い気持ちにならないための偶然が次々と起こる。寝室で、ケイタイをノートパソコンの上に置いた拍子で、これがいったい何に作動したのかはわからないけど、とびきり光輝くニュースがいきなり、始まる。画面が点灯して、いかに大谷が奇跡かというYouTubeが流れだしたのだ。なんかわらっちゃう。

陽気な現象は怪奇現象の真逆、なんと呼ぶのかしら。

TORABARA ふみづき2日

土曜日に行った、銀座展覧会

ホセ・パルラ

近所の老人は、彼の友人で、昔、絵をプレゼントされた。誰にも描けないから、絵の値打ちが高い。どのように描くかわからないから、価値がある。という話だった。

横尾忠則さんの絵

近所の老人は、関係者なのでレセプションへ行き、画集もいただく。ここのファミリーの一員。会場の敷居が高かった。銀座GUCCI、門衛さんがいらっしゃるところ。エレベーター上がり、絵画会場で、入場するさいにLINE登録を必ずする決まり。BOYさんが2メートルくらいの背丈で、こういうひとは、モデルになるために生まれてくるのかしら、そうかしら。という関心をひく。

1970年代の万博で、すでに赤い足場の工事現場を展示したらしい。時代感覚が、未来であることが、才能を物語る。あたらしすぎる。

今日は平日で、久しぶりに料理の下拵えを、いくつかした。梅とビネガーと氷砂糖を漬けるのを、2瓶目を、開始。

赤ワインはMont-peratを開けた。

TORABARA ふみづき1日

手紙は、昨日の朝ポストに投函した。ときおり、ぶり返しがあり、家の人にわめきちらしている。

ネガティブな事に頭から突っ込む、というのも、わたしの実家の特徴な気がする。ネガティブな詮索が好物。ああ、そうだった、忘れていた。或いは、せっかく忘れていたのに、実害が及んだから、向き合っていて、むしろ。絶縁したほうが、わたしは健やかでいられる気がする。

家のひと(だんな)も、けっこう鈍い重い性質で、なにしろ、心に鉛吊り下げたような考え方をしていて、全く、旅が出来ないひと。自分のママに会うためだけにバスに乗る。自分のママの家にだけ泊まる。それ以外は自室に引きこもる。まさかこんなひとだとは知らず、けっこんした。みうちだからといっても、かんがえかたは別別ですね。

家にがんじがらめになってるしか、術がないのだろうか、何の?親に対して承認欲求が強いまま、至近距離で壁しか見ていないひと。手鏡に自分を拡大して映してだけいるひと。プラトンのイデア論における、洞窟に座るひと。壁に映し出される影だけを見て、それは虚構なのに、ほんろうされる。本当には生きない。みたいなかんじか

旅は、バロメーターな気がする。かろやかなひとは楽しく旅をしてゆく。楽しい旅こそを体に刻め。

TORABARA みなづき30日

出社。何年も前から、このオバハン、ネックだわー。という存在の人が、本日付けで退社。敬老さんって言うっけ、なんだっけ、60近い。やったー。という私の心の声。まあ、最近は席も離れて、害は減ってたか。

関わりません。と決めてる人がショクバ環境に多い気がする。関わりようが無い、人としての接点が探せない。同じチームのひと、口をついて出てくる関心事らしきことに、わたしの焦点が当たらない。このかんじ。

親和性は、無し。なのかな、土曜日の奇跡的な鳥ちゃんの訪問写真を、見せてあげようとして、やめておいた。なんか、関心をしめされなかったばあいの失望が大きい気がする。

夜、海を見た。マンションの明かりは、暮らしのぬくもりでもある。都会の、夜景が凄く好きだ。と自覚した。日比谷ミッドタウン地下を通ったら、都会の風景が写真展示されていた。愛を持って生きなさい。今日受け取ったメッセージ。

くさくさする方に傾いていたのかも、わたし、このごろ。という気づき。

TORABARA みなづき29日

ぐだっとして、終わる。昼、ヨガクラスへ行く。やたら私のはいてるショッキングピンクのパンツを先生が褒めてくる。なんなの、かわいい、多分、欲しい、みたいなことだったのか、戸惑うというか、ぐだっとなる理由になってる気がする。

ヨガの帰りに、スーパーに寄る。一番推しのスーパー。お買い物カードの現金還元率が高い。あっ、お買い物カード持ってくるの忘れた。それでまたしてもぐだっとなる。

帰宅して、次に、返却期限を過ぎた本を図書館に返さねば。カウンターに寄ると叱られる場合があるので、ポストに入れよう。当面は、購入した本があるから、何も借りなかった。

またしても、一番推しのスーパーの、別な支店へ行く。夕方が近づいてるので、ビール。ワイン。を選び、おつまみを選び、マカロニサラダ。帰る途中にある台湾の肉まん屋さんで、あんまんや、饅頭を買う。うひひー、うまうま。と、帰宅して食べてて、お腹いっぱいになったので寝た。少しだけ寝たつもりが、日付が変わってた。

年初から気分悪い事があり、なかなか気分が晴れなかったところに、第二弾の、最低なシロモノ、シロウト本を被弾したというか。こちらの足を引っ張る丈な、いつまでも嫌な気持ちが抜けなくて、振り払うための怒りの手紙を仕上げた。

言われっぱなしは、気分悪いから、徹底的に応戦する。自分のことばが、自分の薬。になるような手紙が書けた。

TORABARA みなづき28日

うれしいハプニング!!

お風呂の窓から、お客さんが入ってらした。スズメ!窓の外を向いて佇むようす。天然の光でカラダが輝いてる
ひゃひゃー

わたしが公園から帰宅して、玄関を上がって、左の視界に黒い羽根がバタバタっと羽振りがあったようにおもった。風呂場の方。いっしゅん、黒鳳蝶とか?家に入ったのか、まさかね。と居室に行き、さては幻視で黒いなにかが見え始めたのか、大丈夫かわたし、などと考えてたころ、明らかに羽ばたく音。つづいて鳥の鳴く声。このときもまだ、野鳥が外で鳴いてるのが近く聞こえてるか区別なくて、まさかお風呂場にいるのが鳥だなんて、うれしすぎる訪問。

換気していた窓の隙間から、室内に入ったらしく、外への出口がわからなくなっているようだ。迷わないため、そろそろと浴室へ近づいて、浴室と廊下の境のドアを閉めた。この時、鳥はドア側面、上部にへばりついていたため、しばしパニック。

大変だ大変だ、と風呂場の中を飛び回る音。ようやく静まったか。わたしはまた、そろそろと浴室ドアへ行き、すこーしだけドアを開け、鳥に語りかけた。どこが外につながっているか、窓の特長、風が吹いてくるでしょ、そのあたりに向かって飛びなさい。

そしてまたしばらくして、今度はカメラ持って、そろそろと扉を開けた。撮影。けっこう落ち着いてるようす。この時に、初めて、なんの鳥か判明。すずめでしたか。ちゅん、ちゅん、ちゅん、と間を置いて、外に向かって鳴いたのは、仲間に自分の状況を知らせたのか。

気がつくと、外への脱出成功したみたいで、それを知らせるために、家をまわり込んで、居室のあるほうの窓そば(電線)から、ちゅん。と鳴いてみせてた。おそらくスズメ語であいさつだ。おじゃましました、なんてなんて、奇跡?!

暑いから、ときどきは羽休めに寄るといい。これからも、換気用の窓は開けておこう。

TORABARA みなづき27日

数日前、とても気分の悪い本が届いてから、不機嫌がつづき、急に大きな声を出して、周りを罵るような症状。せっかく旅したけど、よりにもよって私が泊まった1519号室のドア前に、黒い大きなゴキブリが出て、生霊の怨念がこんなところまで追っかけてきたのかと、怒りで一突き潰せそうなくらい、わたしは怒っていて、まあ、潰したらよかったですが、ホテルの方が始末してくれましたとさ。

さて、問題なのは、①出来事の切り取り方と、②レッテルの貼り方にあります。

人は、大小さまざまな怪我や病気をするけど、殊更に、隠し事のように括り、形容詞として虚ろだとか徘徊だとかの、陰湿な活字を刻んだ。田舎のおおよそが文盲同然で、自分たちこそが黄色い救急車で川の向こうに運ばれるところを、わたし一人を、黄色い救急車に乗せて、川の向こうに送り、

主語は、僕ちゃん。

この僕ちゃんが、こわいものを見て、ああ怖かったー

みたいな歌だった。つまりここにキリシタンの踏み絵のような、踏んでみせる、言ってみせる角度が読み取れて、不快さは増幅している。黄色い救急車なんてとんでもない、僕ちゃんは此岸の人間ですという、申し開きを、田舎のじぶんたち一同にしているような書きっぷり。

交差点で前しか見えてないボク、急に宙に浮き、足のふくらはぎが破け、肉片の一部はちぎれて地面に落ちた。

事故を、わざわざ活字にして当人に読ませられますか?そののち、不具者になったから、自制して書かなかったのですか、その自制は、黄色い救急車の案件には充てなかったんですかね、わざわざ、覗き見を好む、あなたの読者である大勢の文盲たちの、好奇の目に晒すことが、あなたが文章を書く目的ですか?

という怒りです、伝わりましたか。

殻に引篭る、人の意見に耳を傾けない、父の利己心で書かれている。もう書いて、本にまでしてしまっているから、何とも思わないから、できたんでしょう。この父の異様な神経こそが、⭐︎君にとって二度と見たくないものにあたります。

なぜ父の文章に含まれる単語を、母は止めさせなかったか、不思議がっていました。母は認識する力が弱く、意味がわからない、とだけ言って済ませているのだと話しています。家の恥部、父の書く文章こそが家の恥部であって、身内はもっとちゃんと唾を吐いて、エスカレートするのを防ぐべきでした。今更です。

言葉とは、模倣です。自分の感覚や直感や、ことばにならない感情を、どうにか言葉に置き換えたとおもってるのかもしれないが実際は、違う。それを、ご自身が詩を書ける特権的な立場だと勘違いし、結果、お粗末な枠に出来事を閉じこめてゆくことだけで書いた気になるらしい。ひとさまの全体像を扱えるだなどと傲慢にもほどがある。生まれながらの露悪な性根を、小手先で操っているだけ。畏れ、がみてとれないところが致命的にまずい。

父が悪い奴とは限らない。鳥取に行ったとき、ポンチマン君を撫でて、なにごとかしゃべりかけていた様子だった、良いところもある。という⭐︎君の談話。

怒りがおさまるわけではないが、人に嫌われるような意見が、生まれなおさない限り改まるわけでもないことを、承知した。

以上です。

薔薇