夕刻に、ベランダそばのガラスのサッシに、カマキリの子どもがいた。部屋側にいた。昨日の強風から守るため、バラの鉢をお部屋に退避させていたから、そこに居たのかな、カマキリ。生まれたてで、ヨタヨタと歩くカマキリ。
サッシをとりあえず開けたら、外側へ移動してた。ガラスを這って、新しい冒険をしている臨場感を、わたしもあじわった。こんなに修羅場みたいな世の中によくぞ生まれてきたよな、カマキリよ、泣けた。
夕刻に、ベランダそばのガラスのサッシに、カマキリの子どもがいた。部屋側にいた。昨日の強風から守るため、バラの鉢をお部屋に退避させていたから、そこに居たのかな、カマキリ。生まれたてで、ヨタヨタと歩くカマキリ。
サッシをとりあえず開けたら、外側へ移動してた。ガラスを這って、新しい冒険をしている臨場感を、わたしもあじわった。こんなに修羅場みたいな世の中によくぞ生まれてきたよな、カマキリよ、泣けた。
嵐で、家も揺れるほど。朝は、なんとか公園に行ってきた。カッパ着て、歩いた。
生クリームを使ったおやつを作る。プレーンマフィンを焼いた。漢字の書き取りを少しして、レース編みを2段して、
家族のひとが画面見ながら、断末魔みたいな声を出していることと、隣にある狭いアパートの住人がダンベルの機器を部屋に入れていて、苦しそうな雄叫びを、あげてるのは、同等な騒音障害だとおもう。
周りにおかまいなしに、どんな音でも露骨な放ち方をする。ということについて経験する時期なのかも、これを克服するまで繰り返される。いやな音よ途絶えろ。音の主とはケンカする、或いは関わらない。いずれ気にならなくなるといい。
出来事って、否定的な解釈をしていたものが後々の自分に肯定されたりする。物事への意味をふってしまわないほうがいい。みたいな話が、バーバラレイさんの本の後書きにあって、80年代終わりに書かれているのに、時代を感じさせない、彗星のような発言だ。知性がたどり着いた領域のことばであろうか。感心する。
今日は出勤だで。と言い聞かせていた日が来た。今日出勤をする人がもう一人います。息苦しいから、とっとと、定時15分過ぎて退散。
わたしはアイドルにならなかったけど、アイドルの開催する握手会。みたいなのを昨日は味わったってことなのか、モテてるっていうのかしら、すくなくとも
ちっちゃい組織の内側でレッテルを貼られているなにがしか、を、自分に照らさなくていい。ことを確かめた。
今日は、昼は、ピザ。アンチョビでトマト味のやつ。夜の散策は、途方もなく、無目的だった。欲しいものは、今は、なんでしょうね。
握手会。のインパクトと、それを再現するというか、いつ握手を求められても応えられるように歩くって、新しい境地を実践することにした。堂々と。
朝6時から、はなれにある露天風呂に貸切で入る。ずっと川のせせらぎの音が聞こえる。野鳥は、囀っています、チャッチャッ、チャチャチャチャみたいなリズム。
朝ののんびりした空気、そして、本日は龍王峡へ行く。
村営のバス。これは昨日、8人乗りの黄色いワゴン車だったのに、今朝は、回数券も出てくるマシンを積んだ、ちゃんとしたバスだった。これに、ウケてるわたし。
バスを降りる。思う存分に長居すること。
鬼怒川の流れが早い。それは柔らかい岩を砕くほどに強い。2200万年前にできた岩が露出している。地球のマグマが凍った姿、それが手で触れる。緑色で斜めに筋が入っているのとか、道沿いで手が届いた。
大きな岩と岩の間に、川が流れ、岩から滝が川にたたきつけて流れ、岩は白かったり青。紫色だったりする。
渓流沿いの歩道を、ざくざく、中学生が一列になってこちらに進んできた。ずいぶんと大人数で、全校の行事?だったのか。わたしは道の端に除けつつ、進む。そこへ、ふらりと踊り出てくる男子、なんと、わたしに握手を求めた。なんで?
とにかく、がんばってください、と言い合って、握手もして、あいさつしたという訳。わたしのかけ声とバイバイの手振りで、男子の一帯が沸いてる。ヤッターって言ってる。
これ、どういう現象よ?このできごとの後から、わたしにとっての世の中の見え方が、なんだか氷が溶けてゆくように、変化を始めそう。明るい光なひとたちが、この世にいっぱい生まれて来たことを知った、かんじ。
旅の日。
特急列車が、一本だけは新宿から出発する。これに乗った。
指定席は、ニチカバチカだ。真横のシートには喋り続けるおばちゃん2人連れ、始終、俗な話題が聞こえている状況。日本語でなければ、まだましか、1人のおばちゃんは、興奮すると声がでかくなる。小金持ってると日常で特急列車に乗ってしまうのね、この時間を耐えたことの圧。それで到着したとき、疲れてるというか憑かれてたんだわ。解放されてホッとした。
なんて絶好なお天気
橋から随分な標高差で鬼怒川は、流れが早くて、通り過ぎるときに、お互いに手を振るの、なんかいいね。船頭さんがヤーーー。って声をあげてるのの声が大きすぎて、笑ってしまう。こちらも橋の上にて、ぐわっはっ。という笑い声をお返し。吊り橋を渡ったところに、展望台とか滝があるよ、
手で掘ったというトンネルをくぐった。まっ黒すぎて、これを絵に書くなら、目ん玉だけ描くやつ。荷物を抱えて、慎重に進む。これほどの暗い道を歩いている。こういうたいけんはかんどうする。
1日に2本しかない村営のバスで、お宿へ向かいました
お宿がとてもお湯がよかった。
残業がつづいたため、くたくたになってる。3日連続した。おさまりきらない作業を、わたしのペースで悠々とできてるから、こたえていないとおもってたのに、ぱったり、余力は無い。
生クリームのおつかいと、さっき電球がきれたので、外へ。そわそわ、明日の旅を占うような気持ち。この区切りで電球がちょうどきれたことは何を意味しているか。新しい電球は、4軒廻って、やっと手に入った。ととのいました。
カルボナーラを作ってくれた家族の人。ワインを少し飲んだ。それでひとまず、横になって眠ろう。
夜中1時。翌朝までにご飯を炊く、というミッション、と旅支度しなくては。部屋には神秘的な気配が漂ってる。月の光が部屋の中に存在しているような、ここはどこからも遠い、まあるい底になった空間におもえる。部屋はね、四角いんだけどね。
おもむろに、机の脇に積み上げているいろんなものを、ひとつひとつ、手にとって確かめてゆく。わたしの内側がしずまる、この時間に名前がありそう。ミラクルアワー?旅の準備とは、内なるいずみが清らかになる、そのこと。
なんか、まとまったので、またねむる。3時間くらい、ねむった。
またしても、ギリギリな時間に追われている日。バナナをカットして冷凍することは済んだけど、バナナジュース飲む段階にいかないまま。
夢の余韻で、白昼夢を見ていたのだろうか。夢に出てくる、クセの強いひと。親が政治的な主張が強かったため、家の中にあった文化はそのままひきつがれているとみている。由に、その人はクセが強かった。
数年ぶりの夢の中で、その人は、わたしのことがまるでイメージが変わった、と言った。知らない人にしゃべりながら、昔の知り合いにしゃべっているのだと思い込もうとしている様子。ほんとに○○ちゃんなんでしょ?と、何度か言った。カウンターのあるお店に入ってちょっとおしゃべりしましょう、と、ガラス張りなビルから、パンっとシーンは店内へ。かのじょはわたしの左横に座ってる。
「お互い、自慢話はしないことにして」しょっぱなにこのようなセリフでこちらを制してくる感じが、本人そのものだった。たしかに、何年かぶりで会うひとと、身の上でうまくいっていることを1ミリもしゃべらない。という取り決めは、その次も会いたくなる、かなめになるって気がした。
そもそもの、過去の優越感を撫でてるだけな加齢したひとの醜さ。会うのも喋るのも、ごめんだわね。
いやいやわたし、なにも、うまくいってなんかない、と滑りだしから、ぐいぐい、今は人のカタチしてるけど。という俯瞰したようすで見えたような、人のカタチしてたいけんできることのすべてに、愛のようなのが含まれているようなニュアンス。が今日の夢にあった。
現実の方、昼は鯖を焼いた。夜は麻婆豆腐を作って食べた。
お昼に、ピザを焼く。レッドオニオン。種なしオリーブ。オイルサーデン。これが定番な具材だわ。
一昨日は、なつかしのバリエビセンの缶を見つけた。常に視界にあった、食材。
チャンスは前髪だけ。くりかえし、おなじじょうたいをもとめるのは、やぼか。わたしがしっかりして、わたしがてをひろげる。ひつようなご縁は、その人の目の前にたち現れています。
夜、またしても、苦悩の局面をいちいち音声にしている人の声に、打ち勝てなかった。まあ、いいや。眠ろう。