TORABARA うづき27日

GWの旅、と銘打ったお出かけを、前にずらしてしまったため、今日って何するよって日。午前中に、お風呂入って、だらっとしかけたけど、

今月末が期限のクーポンあるから、クーポン使用するためにお出かけしましょ。ざくざく、欲しいものがあるし、お店のひとがいろいろ、お似合いになりそうだとすすめてくれて、すっかり、気分よかった。いいお洋服も選べた。

渋谷まで歩いて、近所老人と合流。昔からあるコーヒー屋さんへ行った。つまりは50年以上前からある。同じサンドイッチもあった。

なんだかゆっくりした、いい夜だった。

TORABARA うづき26日

くだらないとおもいつつ、チェーンでYouTubeを再生していた日。格闘家、男が荒くれ者になっている状態が、なんてアホなんだろう、ゲラっと笑えたりしたけど、何かがヒリヒリしていた、と思う。

不良の人って、じぶんの気持ちが怪我してでも仲間を求めて絡みをつくっていってる感じ。岩に顔面からぶつかって血だらけになってる。他者の承認。他人軸な状態は、さぞ苦しかろう。個人が成長のきっかけをつかんでいけるのか、群れたまま老いてゆくかのわかれみち。安易に絡む的を定め、「依存」した姿が見ていて不快だった。

ひととの結びつきは、日常の中で、ポエム。になるのが理想だとおもう。

わたしは女の友人とは、誰彼おさまりがわるかった。いつまでも、ただ会っててただ楽しいひと。が不在だったように振り返る。

芸術家。

なのだとおもう。わたしの正体が、旅していると、本性があるがままで、この世に冒険に来た。ことを実感する。

躑躅って漢字、書けるようになろう。

TORABARA うづき24日

出社する日。朝、ちゃんとでんしゃに乗った。

お昼は、五目麺をいただいた。麺が細くてコリコリしているところに、トロっとスープがからまっていて、つまり好物ってこと。

早々と帰宅して、出前でピザを注文した。ラクチンだった。ビールぷかぷか飲んで、寝た。

TORABARA うづき23日

旅の余韻。を、家族のひとに話せないまま、ふて寝するモードは、退屈な気持ちから導引されるとおもう。

日常がノイズにまみれている。

朝、帰宅して、朝食後は公園へ行く。しごとは長引いた。いい旅だったから、わたしのむねがいっぱい。外の雑音にかきけされないような保存をしたい。午後、ふたつ宅急便が届く。箱、開けないまま、あしたあした、全部明日ね、

泥になってねむる。

TORABARA うづき22日

旅の、最終日。昨日は、お宿で急な寝落ちをして、夜中3時に、温泉に入った。出口の廊下で、まさかこんな時間に、人とすれ違う。お互いにギョッとしてた。

今朝は、というか。呉も東舞鶴も、軍の施設のある町で、男の格好いいひとが、いっぱいいらっしゃる観察。体を鍛えていて、お尻が小さくて、精神が引き締まったかんじの、メンズ。エスコートを、咄嗟にくださる。ここで育ったら男性観、変わったとおもう。偶然に、薬局で複数名の紺色セーラーマンを見かけた時、息をのむほど、まとってる空気の凛々しさがあった。いままで知らなかった。

曇り。近辺なにもなさそう。と朝、散歩してみて、海が、その水面が近すぎて、迫力がある。自分の身を自分で守る。町が過保護ではない印象。

水面、近い。
赤煉瓦の倉庫も、すぐそばだった。

丹後の方へ行く。天橋立。へ行く。電車が、レトロなのが好き。

じゃじゃーん。

天橋立へ初めて行った。とっぷりとはまる。離れがたくおもえて、もっとここに居たい引力。寺も神社も、古くからの威力がここに有る。

知恩院さんの狛犬さんの後ろ姿。
陸続きになる橋(橋が補って、天橋立は川洲が陸につながっている)が、開いたところ。船が通る。
靄の天橋立。
成相寺さん。バスから降りた地点に、霧がたちこめていて、寺につづく階段も見えない幻想世界だった。Uターンするバス運転手さんに、寺、どっちよ?と聞くほど。
山の上から全く橋がみえない。また来なくちゃ。今日は見せてもらえなかった。
一の宮からのフェリーに、乗船してるかもめ。自分で飛ばないで、船に乗る客!あじをしめてるのかもよ、澄ました様子。
17時に駅、18時8分までの束の間に、温泉に浸かるのがオススメ。とーってもいい湯でした。知恵の輪が、どかん、と浴槽真ん中に座し、天窓が高く光が注ぐ。建物ひとつ、に込める祈りが、よいものがあるということ。現代の建築で真っ先に失う「無駄」がある。余白にこそ、和歌がある。ここを好きだっておもった。忘れかけていることをおもいだせそうだ。

駅前で焼き鯖寿司が半額になるお時間だったみたい。舌鼓を打つ。特急の中で独り晩餐よ、京都へ。

2時間だけ京都ですごす、夜景のおすすめは、三条大橋かしら、高瀬川の風情がよくて、四条まで歩く。駅に戻って、高い高いビルのエスカレーターを昇る。

タワーがビルに映る、其の一
タワーがビルに映る、其のニ

TORABARA うづき21日

西条の町の、最高峰な寛ぎがあるホテルを発見したわ、次回も、ここに泊まりたい。ここに泊まるためにここに来てもいいね。

カキフライの夜ごはんが美味しかった。レモンサワーが、保冷の特大のステンレスカップで、提供されました。

1ブロックくらい歩いた所に、美術館があって、レンブラント ファン レイン の作品が来日してるなんて、驚く。見るしかないよ、

そして、酒蔵巡り。七軒も、蔵元が集まってるって。そのうちの4軒、まわったわ。お酒もまわった。

白牡丹さん。かつて、棟方志功がラベルの牡丹の花をデザインした。もっと時間かけてデザインしたいのだと、葉書を送ってたってさ。思い入れが強かったのだね。こちらの梅に漬けた日本酒を、瓶入りを入手いたしました、とにかく美味しく、品性があるお味でした。
亀齢さん。物販のコーナー、入口右を入った空間が、雰囲気がよいです、やさしい気持ちで商品を開発してるっぽい、と推測します。石鹸も飴も、お猪口や箸置きも買う。こじんまりした空間は懐かしい。’90年代のまま時間が止まっているようなかんじ。
福美人さん。杜氏の学校的存在らしい。気まぐれに店、開けてるっぽい。わたしが退店したらシャッター閉めはじめてらした。今日は客来たし売れたし、おしまいっ。みたいな気楽さかも。

そして、東広島へ、バスで行く。

もう2度と来る用事がなさそうな、新幹線に乗るためだけの駅。幹線道路がバシッと走る。一直線に舗装されちゃって、そこへ向かうバスは、40分もかかった。新大阪から京都は、14分で結ばれている。交通にまつわる時間の、長短の、へんなかんじ。

京都。2時間だけあるから、錦市場へ行く。鰻のお弁当を入手よ、老舗、「のと与」さん。奮発して、三枚入ってるのを頼みました。市場は、外国の旅行者だらけで賑やかです。

特急に乗って、東舞鶴へ。

ぼんやりしてガランとして屋根の高いアーケードを通ったけど、夜のラジオをスピーカーで流していて、DJがリスナーの人生の節目についてのメールをちょうど読んでた。この人生が幻影になってどこか遠くへつながってゆくような、ロマンチックな夜道。

フリードリンクの時間を過ぎてて、カシスなんか飲みたかったわ、それでは一杯だけ、カシスカシス、と言いながら杏露酒を注ぐ、ホテルの人。レコメンドなものをようしゃなく、ビンを、ずずずっと前に出すかんじ。こっちもつべこべいわないで、うけとるかんじ。旅人という、詩人を よくわかってらっしゃる。

TORABARA うづき20日

きょうが雨って知ってる。すこし曇って、お日さまのシルエットが見えたりした。

昨日の、歩き過ぎたのがひびいている。膝を庇うようにゆっくり歩くしかない。そうだ、液体の湿布薬を塗ってみよう、アンメルツヨコヨコ。

泊まった宿に江田島の地図があったので行くことにする。呉の港からフェリーですって、小用港へ。なんか、公共交通機関だけを使ってまわる場合は、「来てるバスには乗れ」というほうそくな気がする。1分以内にのりつぐあわただしさで、塩の温泉ね、これ乗って!みたいなことばを観光案内のひとに投げられて、とにかくバスに乗った。

バスの乗り換え地点に、島唯一の魚介類定食屋さんがあるらしく、店の写真の看板が立っていたけど、店は、先月末に閉店したって。

東屋があったので、そこでバナナたべたりお水78円。を飲んだ。梅干しおにぎり98円。

地元の大型スーパーをさんぽ。そして塩の温泉へ。気持ちのいいお湯ですな、と入って、出て、最寄りに見えてる中町港からの次のフェリー。が16分後に出発する、乗るか。港までは歩いて15分、つまりそっこく着替えて走れ!!

温泉入ったのに、汗だくで大荷物かついで、海沿いの道を走った走った。そして船に間に合った。

湾に沿って走ってるとき、高校生くらいのカップルを追い越したけど、運動会の時に流れるマーチみたいな曲を、すかさず大声で歌う、男子。みっともなく走るわたしにからんできてからかうかんじが、人が、面白いよ、いやいや、いそいでっから。わたくし。

宇品港までの、島々の景色が素敵だった。

似島のそばを通る。
高速のフェリーは、あっという間に景色が変わる。

下船して、路面電車というものに乗って、停車駅をいっこいっこ瞠る。乗り換えもして、白鳥線の、県立美術館へ到着よ、ブルターニュの絵画鑑賞をたのしみにしていた。

海の本物を見て、絵画でも海。

かなり立派な美術館でございました、となりの縮景園へも行く。

藩主、浅野長晟の命で作られた石橋。

昭和20年に、どうだったか。にふれることになる。この橋は、びくともしなかった。石の太鼓橋は、原爆の爆風でびくともしなかったって。技術たるや。日本人すごいよ、なみだがこみあげてくるよ、

この土地に、紙で合羽を作れるほどに、文化は進んでいたが、それは消失した。住所に、紙、の名がある辺りの文化なのかな。祭り船の甲板を飾る紙の細工は、爆風から遠くに保管されていた模型だけが助かったって。

茂る草木