TORABARA かんなづき17日

今日は、仕事して、終わって、明日の準備をしなきゃと思うのだがまったく、明日の準備はすすまなかった。明日泊まるホテルに電話して、その応対が乱暴ないんしょう。なんか威張った支配人ヅラって、最も、ホテルに向いていないとおもう。

旅館の支配人なのかその嫁なのかって人が旅館受付で、その腕に、ロレックス巻く無神経。サービス業の、清潔感。清々しいホスピタリティ。控えめ。であることの美しさ。おまえの勘違い、を見てしまうと口直しで、特上な三ツ星ホテルに泊まりたくなる。

予約しているホテルが高額なので、とんでもないダメージを既に受けてるようなかんじ。キャンセル期限までに、断っておけばよかった。

TORABARA かんなづき16日

昨晩、布団がはぐれて、夜中に寒さで目が覚めた。それで、余計に2時間くらい眠っておこう。体調が傾きかけるまえに治しておく。

今日も、しとしと雨が降ったりした。生姜味にして、ミロを飲んだ。夜、ヨガへ行くのを止めて、服たたみをしたり、熱い湯につかったりして、早々に寝床へ。

河合隼雄の本は、冴えている。

その人の中に羊男がいることについて書かれていた。もう一人の自分というか自分の影というか。俗世との隙間が無くてピッチリと、俗そのものに顔面を突っ込んだような輩と、比べて。年齢が若い時に限らず、自分が何が出来る、家を買う、車を買う、大学。有名だ。とか、何を持っているか、ギラギラと話したいのが、大多数の俗物の特徴だ。

そこに「間合い」があるひと、がひとにぎりいて、この状態を、クリエイティブだと呼んでいる。あるいは、クリエイティビティが爆発する寸前の症状ではないか。という観察。

わたしが、メンタルの調整が必要になったとき、わたしはわたしの中の羊男を認めた、という経過があったように振り返る。わたしの、芸術気質も、この「間合い」を備えているならではだ。

説明できることがあって、先の、せっかく筑波で知り合いになった主婦が、ディスる的でしかなくなってる件。もう、LINEブロックしよっかな。について、主婦への断言で、俗物に顔面漬けたような輩。そりゃ、わたしと会話するのは、はなから無理って話。

TORABARA かんなづき15日

仕事終わってから、買い出しの日。欲しいモノがあればカゴに入れるんだよ、と声をかけてくる家の人。

なかなか平和である。と、今日のわたしは思った。とりたてて遠方へは行かないけれども、家の人の日常は、なんでもなさすぎることを積み重ねる凄み。

帰宅して、ワイン飲み過ぎて、早々に眠る。

YouTubeの、音の垂れ流し。騒音でしかない、ずっと微熱が出るような不快さだったことに、慣れたというか、その堕落に同調してしまったため、なんというていたらく。このまま色に染まるにまかせるか。

かなり浸透してるっけ。ということに、はっとする。

TORABARA かんなづき14日

出社。リーダーのひとが、二人いて、わたしと三人でお昼ご飯へ行った。今日のメンツを、先週末知ったときから、なんかユウウツだったのだが、じっさいは、全く、気にならなかった。

ユッケ丼おいしかった

船通勤、今日で五回券が終了しました。船に、乗って、日本橋へ渡る意味をさがす。窓が小さくて、時間が短くて、海に漂っていることを、今までは、あんまし実感出来なかった。本日は貸し切りの船内で、船が案外、海にとっぷり浸かったまま進んでいるのを、窓に乗り出してみた。

抜群な夜景
青い橋
最上階の回廊を、ぐるり歩いたことがある建物。仕事先に恵まれて、こんにちまできました。

コレドに、ちょっと寄り道して帰宅いたしました。

TORABARA かんなづき13日

公園へ行き、帰宅して、お昼ごはんを、神社さん境内へ頂きに行く。かき揚げそばと、生ビール。休みの日を、毎回祝う。

麗しい。
御神木。

休みの日。お花とケーキを買う。映画観る。というのを、なんとなくねんとうにおいていて、たっせいしなかったばあいは、平日にもちこそう。だいたい、こういうかんじ。

4時間以内に、帰宅して、2時間くらい、バッグの型紙のポケットについて、考えて、夕方から、近所老人と、コーヒー屋で、景気の話した。

わたしは、夜の美術館ツアーへ行ったこととか、なんて幸運だろうかとおもう出来事を、頭の中に並べて、それを話したい。鏡のように、幸運な話が出来る相手は、相手が幸運かどおかにかかっているのだな。

老人は、前から狭い世界に篭っていて、即、金に照らして、損得ってだけで、囚われたままだった。からだが、伸びやかになることと、心は、並走する。なにか、じゅうなんたいそう的なことをつづけてゆこう、かたまってしまったらおしまい。みたいなことを老人を見ながら察知している。

誰かと会っているよりも、わたしは、ひとり時間が、果てしなく伸びやかに感じている。

神社さんの木。地面から浮いてる。
木に抱かれる。いつも見てる木が視界に入る安心感。

TORABARA かんなづき12日

午前中に、ヨガへ行く。帰宅して、電車に乗り、アウトレットモールへ行き、ずっと服を見てた日。

冬支度で、暖まるアイテムを、たっぷりと選ぶ。派手な装いの、下に着る服。縁の下で活躍する、重要なアイテムも、厳選した。楽しい。

かなりはらぺこで、コーヒー屋さんでピザをいただいたのだけど、食べ足りないよお、グーグーグー。みたいに飢えてて、服を選んでまわるのは狩というか、わたしはハンター。なので、飢え具合を相応しい。と思った。

服を、あれこれ選ぶときは、手放しで喜んでる時間だね。

帰りに、ショッピングビルの本屋の文房具コーナーを隅々まで見て回る。辺鄙で、品物が回転していない程、萌える品物に会える。その、忘れられた数々が取り払われ、売れ筋だから置くって丈の味け無い一角になっていて、とても残念。

場所の魅力って、無駄があるからこそ輝く。仕入れ担当の人の、人間の幅が、ふくよかになりますように、位の、大きな問題。

TORABARA かんなづき11日

美術イベントに参加する日。ナイトミュージアムですって素敵。

昼前から、淡々と掃除をしていた。お台所の、流し近辺。オーブンを徹底的に、磨いた。その間、考え事が出口に向かうのを感じる。多分、外出なんてしないで、お掃除をつづけることこそが、外出に求める十全感だ。いま、わたし、ここ。という存在度合いが、十ってかんじ。

ミュージアムの写真撮った。

メキシコの、オブジェコレクション
こんなのも居た
ワニさん
拓本
こちら、大作の、世界の木。が中心になっている。宇宙絵、といわれている一枚。

午後1時に準備始めて、美術館に午後4時到着。え?もうよじなの?雨で湿ってた日。ゆるく過ごせたことが、よかったね。

TORABARA かんなづき10日

仕事して終わったとたん、酒。鹿児島の天文館にある酒屋で、青バナナの香り、という芋焼酎を入手したのが今、家にある。コップに注いでぐびぐび飲んでべろべろ。ふつうは、たっぷりと水で割る。と教えられる。へえ。そうか。と、水もぐびぐび飲んだ。

酔っ払ってるだろ、おまえ。

その酔いをさますみたいに、結局、酔っ払ったまま、もう寝ろよ、と家の人に、寝室に追いやられた。

手繰る話は、わたしが経た、それじゃあわたしのたましいは七分だろ、という体験。何をするために生まれてきたか、才能が明らかなひとが、下拵えをしつづけるひとを求めて、その枠に居た。もっと昔に、わたしのバイト先の、板前がいる料理屋は、序列があけすけでカウンターの最奥が板前。順番通りで一番水場に近い見習いは、延々と、人参を、丸くくり抜く道具で丸くくり抜き続けていた。

その序の口。みたいな分際を、延々と続けかけていたわたくし。はた、と気づいて、離れた。七年かかった。いったい、どういうお役目でここに呼ばれているのか。延々と、あんたは虫が七分のたましいって程度なのだと決められる、みたいな扱いだった。

なぜそれを味わったのか。わたしの生い立ちに、その鍵はある。おまえなんて。底辺な身分である、経済貧民な父が、わたしに分際を刻んだ。その貧相を、わたしが演じた。と、現在の私は解釈する。

わたしは、果たしてわたしは、父が閉じ込めようとした、その底辺が相応しいか、ごめんなさい、父よ。底辺なのは、あなた、父。です。

卑しさを克服するためにこの世に生かされ、その課題が終わらないから、いきながらえている。そのあがきの飛沫が、詩集になって発刊された。死臭、と同じ音の、それ。

年初からの異和感を、何度も取り出して考える。

わたしが、下拵え役にだけ、埋没させられ、わたしの時間をわがものに操られつづけていたら、悔いしかうまれなかったであろう。決別したからこそ、やっと、血を吹きかえし、

命が輝くというもの。それを存分に享受する。できることは、ぜんぶやる。やれるだけやる。