TORABARA はつき14日

出社。というか目的はショッピングモールだ。しごと終了して、駆け寄って行く。銀色のチェスト。

質問をやつぎばやで投げた。ご担当の店員さんが、他には?他には?と聞いてくださったので、ありったけ、聞き及びが出来た満足。勢いで買いかけた。

とっても高嶺な、自分に手が届かない物。だとおもっていたものを、ひとつ手に取ることで、ご縁が結ばれることはある。と思う。その高嶺が、わたしじしんになるようなこと。そのような時期かもしれないし、

そうじゃないかもしれない。

TORABARA はつき13日

迎え団子を、こしらえて、お供えした。自分用のは昼ごはん。大きいお団子を四コ食う。みたらし味。夜、買い出しして、

ガブっと飲む赤ワイン。氷も入れる。味わいというより、氷をカラカラさせるかんじをたのしむ。冷えてるから美味しい。ぶどうな味の、なにか酔うやつ。うすまるから赤ワインにはすこし悪いけど。

速攻で仕事終わった途端に、飲む。ここのところ、ずっと、こうだ。バランス、

バランスについて。昔も読んだかもしれない本に書かれていることが、ピントが合った。オージャスを増やすような生活しましょう、アーマを作らないようにしましょう。良い循環に入ってゆくためには、まずアーマを、体の外に出す。毒出しっ

ところで13年前の本の前書きが、古い時代だというかんじ。この本を読んでるあなたの年代、ここも間違えてるし、筆者がキラキラしていて憧れるから読むのではなく、情報を掬いたくて、参考になるから手に取ってる。ここのところを解ってないアーユルヴェーダのおじさんに、ウッ。となった。蓮村って名前。

TORABARA はつき12日

キリコ展へ行く日。

朝、明治神宮さんへ参拝に行った。すがすがしい空気があり、誘われたように、わたしが勝手に思うので行く。木立の道が、光もキラキラしていて、とてもよいひとときだった。

そして緑の鉢も選べた。

キリコは、崇高だった。感覚の内容が、100年経って超えるひとがでてこなかったということ。形而上学、を絵画にした。繰り返されるモチーフが、どういう意味を帯びているか、イタリア人の頭の中は、何を考えてるのでしょうね、不思議な絵だった。スナックが板に貼りついていたりした。

大きな三角定規は、小学校の時の黒板横にあったよな、木でできてるやつ。その質感がよみがえるおもい。

浅草へ移動して、お蕎麦をいただく。笹の川。日本酒を常温でいただく。

のりこえる課題が押し寄せた心地がして、息苦しくおもう。とにかく

始めなければ。

道。

TORABARA はつき11日

ノルマ。を自分に課して、引き出しの掃除を必ずしなければ。まあ、ちょっと読書のつづきをしたり、だらっと先延ばしにしたため、けっきょくうたた寝して2、3時間?なんか、夕方なんですけど。って日だった。

ワインは、一週間かけて上等な一本をいただくのに、このごろ2日で1瓶空くんですけど。荒れてる。

預言カフェに行ったことの、しょうげきが、その印象が、時間を経て、変化している。今残っているのは、歳とった人に対する、羊そのもののような盲目さに対する、慈しみ。心や頭でわからなくてもそこにいてくれましたね、現役のままで進ませます。中途半端だの挫折だの、という単語もあった。わたしがすでにその言葉付きを脱していて、なにかわざわざダメな言葉付きで形容をされる事は、希まない。

こんなにめぐまれている。と常々、わたしはじっかんしている。この奇跡なかんじ。に沿うというより、相対的に、あんましうまくいっていない、未だ花も実も無いじょうたい。と言われた辺りにひっかかりをおぼえる。また、空っぽになる?それをよろこんで、希望が注がれるのを待ってて。いままでを超えた、達成がある。だそうです。

わたしの急いた、なにか詰めこんで、アクセクしなければ。というのは、変な思い込みなのか。なんにもできないひと。まるきしわたしに備わるギフトについてふれてくれていない。「気が強いからそれを証すできごとが起こる」それで

わたし(主)が、あなた(わたし)のところまでいって、保護、補う、ガイドをしっかりとします。らしい。そばにつきっきりになるしかないほどのあやうさ、その、わたし。らしいって事。

他の娘、息子が、どのような預言を聞いてらっしゃるか、ネットの検索の中に出てきているけど、わたしがいただいた内容には、なにか苦労多い所が滲んでいる。

なにかと似てる。もう若くないのに、結婚の写真を撮っていただく場面で、なんか商売相手の年令層でなく、経済的なターゲットでもなさそうな気の毒な気持ちをわたしに向けられながら、シワだらけな厭な写真が出来上がったかんじ。わたしは、こんなはずはない。わたしの内にある青写真との乖離。

わたくしじしんがわたくしへの酔い心地をつくりだせるなら、介さなくていい場所はあるのかな、カフェのことも、他をよそ見してしまって、他のひとへのコトバが妬みの的になったりした。

TORABARA はつき10日

夕顔は、今夜、開花。

1時間ごとに見に行く。もっと花びらを大きく広げるかな。かぐわしい芳香。一夜で必ず、種をのこせる自信がある。だから、一晩だけ咲くって。

ぱーっとは咲かなかった。くんくん、匂いを嗅ぎにいって、そわそわと過ごした。

今日は、髪を切ってもらった日。ぜんたいてきに白の髪があるかどおか美容師に言ってもらわなくてよかった。すでに染まっていたのだし、ほぼ無いってことにしておいてよくない?世間話、地震について知ったような事しゃべってたけど、これがまたバイアスかかったままの論説。つい、美容師のコンプレックスがありそうな体型と発言のネガティヴが結びついてしまう。こちらの気分が沈む相手。

美味しいランチをいただきに、池袋へ。ベトナム料理よ、中部ダナンの麺。春巻き3種類。

そして家具屋さんへ行く。つきっきりで接客するタイプのお店だった。ドイツ家具、KARE。小物をお買い物したかったけど適当なものはなかった。この路線で家具が欲しいのかな、好きな家具って、側でずっと佇んでいたい魅力があると思う。VS、ガウディの椅子。欲しいのはどっち?

街でいろいろ配ってた。無料で。熊の形のグミ。眉マスカラ。団扇。花火があるとかで浴衣姿のコが大勢いた。いいものですね、夏ですね。

お決まりのモチモチしたのが入ってるブラックミルクティーを飲み、更に、図書館へ寄って予約してた本のピックアップ。歩きすぎた。一万七千歩。帰宅いたしましたの。

TORABARA はつき9日

わたしって気が強かったりして。と言ったら、いまごろきがついたか。と家族の人に言われた。キツイさとキレイさは、リンクしているか、手相を見てもらったとき、二面性、とてつもなく冷酷な質と、情に厚い親しみ溢れるのが同居しています、この相は女優さんに多いですよ。と言われた。

女優さんですってさ、どうよ。

今日考えた事。ポストに同窓会の案内が入ってたけど、その会で同期の成功者みたいなひとが登壇して偉い。有難い。話をなさるんだそうです。瞬息でゴミ箱へ。

そういうことじゃないんだよな、ただ時を経る尊さなんだよ、なにものかでなくていいの。実家でゴロゴロしてるんだ、なんにもしていない。でも今日は行ってみようかなってひとにとって、優しい場であってほしい。同じ時代の空気を吸ったことの温かさ。に包まれる。なにげない、からこそ良いのだ。

わたしは、お返事もしないこと、に一票。という態度。

アクリルの椅子、なんだかかわいいね。

TORABARA はつき8日

家のことで、やることリストがあって、ずっとなにかを片付けていた日。

流しの周辺は、いよいよ、よく拭かねば。というじょうたいなので、ひたすら、取り組む。取扱説明書がシールになって貼られたままなのを、剥がした。こういうたぐいを、ちゃーんと、はったままにしておくことの、美観の低さ。日本製品の出荷時の仕様に、おしきせがましさがある。文化の高まったひとから、お人よしをやめて、美観に徹してゆくべき。

そして汗だくになって、

キレイになりましたとさ。

TORABARA はつき7日

ピアノのお稽古をしているひとときが、わたしにとって大切だった。ピアノは、習い事として通わせてもらっていたのだが、姉に奪われた。

実家に金銭の余裕がなかった。姉は上京して私立短大に通い始めた。これは姉の将来に直結する、家をあげての事業になるから、家のお金は自分に回せ。と姉が母に詰め寄り、わたしからピアノの習い事が取り上げられた。

「月謝」がダイレクトに狙われたことについて。ひとの生涯の、恒久的な豊かな流れ、を暴力的に、姉の私欲に傅かせる(男を替えて享楽に興じていたかと存じます)この即物的な俗物、二十歳そこそこの姉の脳でしかない事物の配置を、何故に愚かな母は言いなりになるしかなかったやら。将来の職業に関係ないから習い事が無駄だ、やらせててもしょーがない。という横柄な口が、居間から聞こえた事を思い出した。結果、姉の将来がお金を得て家に還元出来たなどの事実はなかった。すきあらばせびりとる。という姉を警戒しつづけて今に至る。

現在、姉が小金稼いでいるバイトが、姉の通った短大のろせんの職種とおもわれるけど、そこ止まり。という現実を二十歳の彼女が識っていたら、私だけが輝く約束になっているような振る舞いは、出来ただろうか。おとしまえはつけろや。彼女が、そこ止まりな事と、わたしのピアノの犠牲は、一元的な気がする。ひとの芽を摘むようなまねへの報い、といえるのだったりして。

わたくしがわたくし自身への崇高な時間を持って、ピアノに向きあうことに、力の行使、介入があったことは許されない。

ちゃんと、自分の好きなことをやっていられる、わたくしの生活態度は、時代を超えて(もう30年も昔の話してる)、なんて尊かったか。という話。