TORABARA やよい4日

朝は、あわただしく、仕事はじめて、もうとにかく、夜になり、

実家に電話した。何回も着歴があったので。先々月、いやなかんじでけつれつしたわだい、には一切触れないで、楽しくおしゃべりした。

わたしの先日の旅について、しばらく語った。船の中での話とかをした。

TORABARA やよい3日

出社の日。へしゃげた声を出すおばはんと、一緒の日。このおばはんは、出社の曜日を変えてるけど、こそこそ、じりじりと、アノヒトトオナジヨウビハイヤ、とか申告してたりして。女しかいないチームの、なにこそ言い出すか知れたものではない。対応が、あけすけにざつじゃね?

などと観察した。しごとが終わってばんざい。さてと。なにか美味しそうなのを買い出しして帰ろう。チーズとかサンドイッチとか、

帰宅して。ゆっくりお食事を嗜んで、寝た。

TORABARA やよい2日

朝、梅祭りにて、ヨーグルトと、ピンクの花を買う。家に戻り、ただ家の中に居た日。

家のひとは、びょうき。ノイローゼか、うつ。そのえいきょうがわたしに、及んでいるといえばいえる。家に居て、掃除機をかけたり、換気扇をキレイにしたりもした。

ニュースに、首を突っ込んで、なにをしている時も、ニュースの音声を真横で掻き鳴らしたまま、な、家の人。不穏でありながら、わたしはわたしの真空状態に入るとかして、撥ね避けてゆかねば、というサバイバルが、ここで繰り広がっている。

人生が、成功していると言われているひとの、決まりきった暮らし、物の考え方、朝食に摂取する、テッパンな栄養素、を知っている。おおよそのじけんとむえん。である事を知っている。それでいて、それって硬直じゃね?と冷ややかに判じていた。おもしろくはない。只の平凡を、わたしは愛することは、ついに、無かった。

わたくしの、日進月歩。と、平凡さは、足並みがそろわないってこと。

TORABARA やよい1日

朝、ヨガへ行き、花屋に寄り、帰宅した。

家のひとは、びょうきでねていて、近所の老人と、昼まえから上野へ出かけた。まともに美味しい、和食膳をいただく。国立博物館にて、美術品を鑑賞し、浅草へ。コーヒー屋さんにて、ホットラテをいただく。

家のひとが、スーパーくらいは買い出しが出来そうとのことで、

帰宅して、スーパーへ行った。

人生は短いようでいて、あんがい長いから、しっかりと、腰を据えるというか、ひとつのことに打ち込むように。と、老人からアドバイスがあった。秀でたところを発表することで、人とか世の中とつながることができればいい。

青写真、をおもいえがく。なにをもって、わたしは世の中とつながってゆくのだろうか、世の中とのつながりは休止したような年月が長い。

長い。というか、わたしにとって、まさに自分が操縦している時間は、旅している時間だとおもう。向くこと。を探して、居場所にするとして、わたしの居場所は、旅の中な気がする。いまのところ、あっとうてきに。

TORABARA きさらぎ28日

今月は、旅のインパクトが強かったね。自分から時間を操縦する。時間は、読むもの。時間を打つ。

なにを望んでゆくか。十全とした存在に、ちゃんと自分で成る。

昼、八百屋へ行き、いちごを買う。他に、ほうれん草とか菜の花とか、青リンゴを買った。

TORABARA きさらぎ27日

今日と明日は、ヨガの予約を入れているけれど、キャンセルすることにした。

ふわっと、仕事が終わった直後に、ワイン飲んだりするのは、ゆるまるから好き。

旅のことについて。奇跡がつづいたとおもう。これ以上ないほどの、旅程になった。天才的。とちゅうで、すごくない?いま、ここ。これ。と、なみだぐんだりした。

登頂できたなんて。晴天の、神々しい日の情景が、ずっとあたまにあった。