TORABARA きさらぎ16日

風が強くて家が揺れたんじゃない?むやみに外を歩かない方がいい。風が止むまで家に居た。蟄居。

夜、図書館のポストに本を返却して、本屋さんで新品の文庫本をぶっしょくした。所有することと実際に読んでる時にめちゃくちゃおもしろい事に、ひらきがある、ことがある。背表紙を、自分のコレクションを誰に?誰かに?見せたくて格好をつけかける。お飾りな本を、買いかける。読み終わって返す、のではなくても生鮮食品の旬。みたいな読み方がいいですね。

夜のスーパーがガランとしていた。セールだったのは昨日。でたらめな出来合いのお菜が夕飯になる。刺身。サンドイッチ。コロッケ。まるでパーティのオードブルみたいな取り合わせになってる。

くしゃみをれんぞくしてするから、鼻にスプレー薬。とたんに全くくしゃみはしなくなった。効きすぎてる。

TORABARA きさらぎ15日

色鉛筆は、お出かけに持ってゆくのは36色のものがいいと思っていて、Germany製のものを手に入れてみたけれど重たい。それで買い直すなんてしのびなかったけど、とにかくいいやつ、届いた。重さを計ったら300gか250gかの違いだった。

モバイルバッテリーを鞄に入れっぱなして、携帯の電源減ったときにだけ備えて持ち運んでるのはアホらし。200g。夢は重たいから色鉛筆が重たくても運ぶ。

ケーキを焼く時の、型の底をアルミホイルで包み、ホイルは備え付けの棚上段に置いてるのだけど、千切ったときの破片が、ふわーっと上から舞ってくる銀色が目視出来て、見逃さなかった。卵を割ってるボールの中に入った。これをすかさず取り除いた。わたしはなんて目がいいの!異物混入許さず。ホイルは日本製を使っていて信用していたけど、ちぎりかたを気をつけないと。

カラヤン指揮のブルックナーだけど、ベルリンフィルではなく、ウィーンフィル盤を聴いてみるか。ベルリンフィルのがなり立てた演奏がうるさい。たしか、昭和の代表的な音楽評論家が酷評してた気がする。カラヤンが目立ちたいだけで、まったくブルックナーのなんたるかが台無しになる解し方、だったかな。指揮者はカラヤンでないほうがいいのか、とにかくブルックナーの名演奏盤を、さがしたくなった。

MOA美術館の天井の万華鏡

TORABARA きさらぎ14日

いちごを、いっぱい食べた。ガラスのお皿に盛って、コンデンスミルクをかけた。お菓子の代わりに果物ってなることを忘れていた。

家の人に電話して、田舎の幼なじみの人に、クッキーのお土産を持って行ったことがよろこばれた事を聞いた。それ以来、いろいろ物を呉れるらしい。

夢に出てきた知り合いの、肩幅が狭かった。真っ黄色のダッフルコートを着ていた。物見たさで、どれほど歳をとったか、覗いたけど、昔のまま若い顔。物資的に、決まりきったこと丈で済ませる。この人と付き合いがあった頃は、保守的な人の典型だと観察していた。閉じてる、というか。なにか気持ちが緩み、はめを外すことが無いように、何もかも計算の内側だった。

このてのひとは、たまにいらっしゃる。高飛車。とセットになっている。外の世界を見ないかわりに自分が凄い。という自閉状態に陥る。それをいいように聞かせていられるカモを探して、延々喋る。という特長もある。

知り合いが、閉じたまま、いい調子なんだね、というのを一瞥する。という夢。強く映像が残る。木偶の坊め、とおもいながら、あすなろ。みたいに、閉じてだけいて、自分の内に篭って丈いて、ただ体を調える営み。だけをしてみようかしら、あしたこそは。みたいなことをおもってる。

TORABARA きさらぎ13日

昼休憩は、チョコレートを郵送する手続き。焼き芋を買う、スパゲティ麺を2袋買う。

折り紙、濃淡で青を、リボンの形にカットして手紙に貼った。残りの青は、波の形にカット。切り紙、というのをただ持っておいて、いつでも貼れるシールみたいに、取っておく。というのが、練り消しを集める習性の延長で、このカンカクのふくよかさは、ぜひ、大事にしてるといいとおもう。

キリトリした折り紙の色とりどりなやつは、透明なファイルにしまって、ノートの裏表紙の内側に格納しておくのが理想。糊でノートに貼っちゃったりする。

たのしい キリトリさん
ところで、秋田県から送っていただいたりんごがとても美味しい。

TORABARA きさらぎ12日

動物園へ行った。

白熊
虎。2023年4月生まれ。

昼の動物見学を終えて、いつもならば国立美術館常設を観たりするのだが、今日はあてどなく歩こう。中央通り沿い。御徒町を越えて、さっぱりしているビル辺りも過ぎて、ぎょっとなる。猥雑な活気、小娘が数メートルごとに立ちんぼして客を呼び込んでいるではないか。おにーさんよってかない?という発声された音が、その鼻にかかり方、唾の含み方が似通っている。その娘らなりの媚びなのか、ことばとたいどに、応報がある、意味付けが噛み合うのであろう若い男のコが、ニヤけたりクールなままだったりして、娘の方も通りの誰を呼び止めたらいいか知ってるってふうだった。なんなの?この土地に繁殖している、わたしからは何も信号が読み取れないかんじ。

秋葉原、駅前地下のライオン。にて生ビール飲んでチーズピザを食べた。何故に、いきなり飲んだりしたか、多分ビックリしたのだ。奇行なことが普通なこと、時代が変わってる。その場ににつかわしくなくても平気だという錯覚が、今日はある。この時間の異質さが、休日のさいごをかざりましたね。

天気が良かったこともあり、町は混んでいました。

家に帰って、ガトーショコラとチョコレートパウンドケーキを焼いた。ココアクッキーの生地を仕上げて冷蔵庫に寝かせた。生クリームのパックを開けるとノルマに追われるってこと。明日、コーヒーに落として使い切るからひとまず、ほっとした。

TORABARA きさらぎ11日

昨晩は、ドラマ閲覧が止まらなくなって、夜中2時になってしまった。

朝の雲。

梅祭り、ピンボールゲームが、なんとビンゴになり、お花の鉢をプレゼントしてもらう。

指輪の磨き上がったのを取りに行く。新品みたい。

電車一本で行きたかった洋菓子屋さんにつながっていることを、電車に乗ったときに気付いたのでビューっと行った。苦いオレンジのチョコレート。サブレ。ケーキは、モンブランとサバランにした。ここからはバス一本で帰れる。

よいルートだった。

日差しがぐっと強い明るい光になっている。立春から1週間、いつもこんなだったかな、もう冬ではないね。

金持ちで行動に粗があるひとのことを、負けたことが無い人は、心が優しくなれない。と近所の老人が評していて腑に落ちた。かたわ、というのは差別用語だけど、かの金持ちこそを指して、かたわ。という形容がうかんだ。わたしが、隣人金持ちの横柄を、赦せるとすれば、瞬間的に、負けたことが無いけいけんの乏しさ、けいけんじょうかたわ。だと憐れむしかない。

わたしは大人げなく、夜まで道路ぎわに出しっぱなしのゴミポリ容器を、ガーっと隣人エリアに下げた。同じ事をやり返したわけだけど、わたしの家のポリ容器は、蓋を容器に入れられて、家エリアに突っこまれた、凄いのは家族のひとの反応。わたし家のポリ容器は、親切に下げておいてくださったね。と咄嗟に言い、隣人出しっぱなしのポリ容器を下げてやったのを、しずしず、これはこのままにしておきましょう、と戻した。

この一連のできごとがあったから、家族の人の人間が良いことを知れた。

TORABARA きさらぎ10日

金曜に、歯の被せもの銀、がトレた。たんきりさらし飴を齧っていて外れるなんて。いいえ、老朽化のメンテナンスのチャンス、今朝、10時に歯医者のよやくをいれたら、午後4時30なら空く。とのこと、結局、午後4時30を只待つ時間みたいな日になっていた。

梅祭り。一週間前が見頃だったと思うけど、今日もまだ残っている。10年以上前に、やはりわたしは梅祭り。に来て、真緑の服を着て写真撮ったわ。配り物、要するに無料でいただけるのを、あれもこれも、無料のお茶を毎度いただく。植木屋さんで、バンダという真紫色の蘭の切花を購入した。

近所老人と、待ち合わせて、駅のコーヒー屋さんへ。そして冗長な物に執着した話を聞かされ、なんなの、もう帰ろう。という、これも毎度なオチ。

お店を新しく始める話。運がとてもいいひとこそがお店をやったほうがいい。それはわたしだね。

歯医者って病院で、病院って気分が重たくなる。しかし、今日はなんとか病院ののちも、高い気持ちになって、お買い物まわりをいたしました。

盛り上がってほしいお店でこれからワインを買うことにしようかな。それと文房具。それと古本屋さんへ行った。ブルックナーの交響曲全曲をカラヤンの指揮のやつ。聴くことにした。マーラー。ワーグナー。今年は、これからは責める。

夜の時間に、家でチョコレートケーキを焼いた。

赤ワインは、ハンガリーのタリスマン。イタリア有機栽培のsanta tresa。定番でコートデュローヌ。(フランスよ)を揃えました。

TORABARA きさらぎ9日

イスタンブールから、郵便小包が届いた。注文していたネックレスよ、パッキンにやさしく包まれていい感じ。ビビビっと、写真見て、購入を決めました。当たり。気に入りました。

うふふ

昔、古着屋さんで見つけたアメリカアンティークのプラスチックネックレス、水を色にしたような透き通ったやつ、これを電球のあまりにも側に掛けてて溶けた。捨ててしまったことを悔やんでいたのよゆめにみるくらい。宝石になってまた手元に戻ってきたかんじ。雰囲気が全く同じ色なの。

ほっとする。が近い。わたしに揃うべき、わたくしproof。