電池、チャッカマン、布団干す時挟むやつ、ビニール袋、水。氷。ハーゲンダッツチョコアイス。を買いに行った。
家族のひとが、かき揚げを作ってくれてる。こちらを乗せて、おいしい饂飩が出来上がりました。
電池、チャッカマン、布団干す時挟むやつ、ビニール袋、水。氷。ハーゲンダッツチョコアイス。を買いに行った。
家族のひとが、かき揚げを作ってくれてる。こちらを乗せて、おいしい饂飩が出来上がりました。
昨日は、出窓に置いてた、けっこう大きな鉢が、突風で小さいソファの上に倒れた。土がぶちまかれた。こういう日に、いつもソファに座っているおふたりさん、きつねと羊。が別なところで寝そべっていて、災いをかわした。土は、ぱっぱと片した。
泊まるホテルの朝食を、一日分は、申し込んだ。天気予報が、晴れに転じている。山へも登れるかも。特急電車を予約。にちりん号だぜ。
なんのアラームかけてたっけ、クワっクワって音が鳴り響いた。なんと、ベランダ手すりの中央に、野生のインドインコがとまって、部屋の中に向かって大声で叫んでいるではないか。なにかを語ってる。なんだろうか。
夜の時間に、体の隅々を伸ばした。わたしは、自分で書いた文章の、毒素で、ぐったりしたかも、アホやん。
ここに置いてもらえるといいお店の、仕入れ担当の人と、知り合いなのであった。ちょっと聞いてくるか。
と思いつつ、酷いエピソードの数々が思い出された。その担当のひとは、わたしとは反る。のであった。「もう僕に話しかけないで。」と、わたしの脳内でイメージする、その僕。は言った。そのように想像しただけなのに、すごい、リアルな映像だったかも。
治安の悪さ、は職種によって、ゆるされるボーダーがまちまちだとおもう。治安は悪いけど、突出した人情味がある。封建的な間柄は、そういうものだ、という慣れができていた且てのわたし。一度でも外に出てしまうと異界になる。その治安の悪さ、は、あたまの悪さであり、言語の寡なさ、感情だか嗜好だかで引っ張ってしまう、劣悪な倫理観にしかおもえなくなってた。
TV的音声のなにが厭か。テンポの一律な尻切れトンボな調子。内容が浮薄で、スキャンダラスで、人類の覗き見根性を刺激する。ウルサい、ウルサい。と何度も家族の人にボヤく。
風に吹かれるまま、風が強く涼やかなことを、愛でる。鳥が飛んで横切る、窓からの眺めを、愛でる。
産み落とす世間が見当たらないかんじ。わたしが、今世は出産することは無かったことを、今日、振り返っていた。世間的体裁を、誰からも迫られることが無くて良かった。未熟な状態のひとと20年近く付き合う知恵が、わたしには無い。TVのノイズを聞きつづけないといけない苦痛と、ガキのノイズは似ているのかも、TVノイズは、少しは許せるようになっているか。濁るかんじ。ボーダーを下げてしまうことで能面の無表情になりそう。
外界にふれていながら、境界線が引ける。ってことを、ひとは演ってるのかも。わたしは、鳥に近いくらいも、高波動なのだったりして。ひとにほとんど馴染まれない分、鳥の存在が近しいこと、ふいにベランダで足を休めている野鳥のことが、嬉しくて、嬉しくて。
あわただしい想いが駆け回ってる日。
料理人で腕を奮うひとの、補助的な役割のひとがいて、延々と、人参を小さく丸くくり抜く道具で、下拵えをし続けている。わたしがバイトした本格日本料理のお店に、カウンター内陣の板前さんの末席に、下拵えやさんは居た。細くて小さい男の人。眼鏡かけてヘラっとしたひとだったとおもう。
下請け、というか、末端作業員としてならば、服飾の業界に居られたのかもしれない、途中で離れた後ろめたさのようなのはあって、6年も7年も、内職とか食えない額を平謝りしながら得るシゴトなら、やったと思う。つづけてたら、なにかあったのか。
預言で。あなたは、やるべきところをまっとうしたのです、と言われた。
代わりのきくポジション、が服飾から事務に移りかわった。事務のお偉方が、わたしを美しいといって、食事に連れ回してた時期があったけど、その座は、わたしが(服飾やってた時に)しゅしょうだとしていた人には代われなくて、わたくし。に務まるお役割だったとして、その形容詞、綺麗。が、真空状態の、そのひとがわたしを付き合わせるための口上で
わたし、という存在に、なかなか人数が多い集団に於いて、美しい。などと言われたことは無い。それでわたしの顔や体に、或いは意識に、その形容詞を定着させることは無かった。美しくはないのか、さあね。わたしは誰だろう、想念の中にだけいる、
連続した物語の中にはいない。ギョーカイに居た、というよりも、カーテン越しに、中の様子を聞いてたって丈だ。とにかく、そのしゅしょうが表立ったところで、情報操作も、していた。わたしのことがNGになったこと。をヒタヒタわたしに伏せる。便利な連続作業屋さんは、確保したいよね、という売り買いの秤にかかっていたと言えます。
わたしはわたしをどこへ運ぶか。わたしは強い。気が強いんだよね。わたしにとって、自分を生かす道が、気の強さを証す、ことでしかないなら、これからも旅はタフになりそう。気は、強くなくてもいいんだよ、と知ることで、わたしはゆるまるのかな、
ゴダールの軽蔑に描かれている、女の心の閉ざし方、強気さで撥ね除ける要素、が共通していたりして、わたくしの、うちがわの宇宙ななにか。
昼は、ピザだね。辛い、おいしいやつを食べた。帰りは、ただ歩きまわってた。欲しいものを、探す。と同時にダメダメ買い物はダメって言ってる。夕涼みで海のそばで、メールやネットを見てた。
祭りの屋台で賑やかな雑貨が、キラキラして見えたカンジ。煌びやかなお店へ土曜日に行ったことが頭からはなれなくて、電話をしかけている。いや、待て待て。手元に筆記具がなかったのでふみとどまったけど、
わたしのカラフルなポーチは、あの売り場で広げるのが相応しくおもえて
電話は、かけてみるかも。
家に居て、夕刻から温泉へ行く。
家で、久しぶりに、ミシンの仕事をした。たのしい。わたしが、百歳にむかって極めるとするなら、ミシン。をおいて他に無いとおもう。ミシン、というか、服。服にまつわること。作る。
温泉は、プールもあって、今日は、どこまでも泳いでられるくらい、調子よかった。
靄がかかるくらいも、暑いっていうか、蜃気楼がみえそうな、湿った空気なのか、窓からの光で、CDプレーヤーの上に置いてるCDの周辺に、まん丸の虹ができていた。
休日が二日あった場合の一日は、家の日にするといいのだ。落ち着いて下さい。ってかんじ。わたしは出かけすぎる。のかも?
美術館にふたつ、行こう。旧伯爵邸、が公開されている、お屋敷に行って、お屋敷を廻ったという余韻を残す。
ふたつめ、武井武雄展が、とてもよかった。美しい本を、限定で300部ずつ、刊行してゆくというライフワークがあったことを、初めて知った。先ず、日本の何処に、どの様な細工ができる職人さんがいるかを、リサーチする。ゴブラン織り、ストロー編み、ステンドグラス、エンボス加工。卓越していたのは、象牙細工だとおもった。どこにもない御本。秘蔵しておく宝物としての、憧れそのものが形になっていると、おもった。
ところで屋外が雨雷。屋根に当たる雨の、壮絶な音。ゆっくり、雨止むまで、展覧会をみて、6時になる。
目黒川沿いを歩いてたときは、止み間だったみたいで、ポツポツ降りだしたのが、どっと、ゲリラ豪雨になった。それどころじゃない、目の前で、ドカンって音、危なかった。雷がとても近くに落ち始めた。それで数メートル歩いて、黄色い木のドアを押して入りました。
なぜ、ちょうどいいところに、雨宿りできるコーヒー屋さんがあったの。おとぎ話みたいな時空だった。熱い紅茶。なんておいしいの。
黄色い、店の中に、芸能人の娘がふたり、居たとおもう。名前、知らないけど、ダンスして歌ってる、グループ?フロア、個室。分刻みで、誰と誰がどうしたかを、話している。写真撮るしゅんかんに目が合う。ことを気にして、マンション付近に週刊誌。がくることへの警戒をしゃべっていたけど
頭の回転がすこぶる早くて、物事への意味の付け方が同じ、虫の分類でいう、同種ってかんじがした。外見の整い方が一律、同種なひとたち、の特質がおんなじ。ことは研究対象になりうるか。マスコミの、マスゴミ、になる根のところに、こういう芸能人の感性があるのかも。
中目黒。きらびやかな本屋さんと、雑貨。見てまわってるの楽しかった。
歯医者さんへ行って、歯は、治ったわ。
古本屋さんへ行ったら、先日、新品を書店で買いかけて、手で持ってた本、レジに進む手前で、むつかしそうかもと戻した本が、100円で売ってた。同じ本。ご縁をかんじるので買った。山川出版社の、地理の本です。
それからワイン屋さんへ行って、ボトル3本えらぶ。料理用、赤白。いつもの、マルキドシャス。
旅の、組み立て方を、それとはなしに考えている。インナーなわたしが楽しむか、外交することで楽しむスタンスか。どっちにする?