TORABARA むつき26日

昨日は、ヨガへ行く、を経由して、お洋服を買いに行く。お洋服モールへ到着した頃には日が暮れていた。あっという間に閉店。3時間じゃ足りないなんて。一巡してから買っていってる途中で引き上げた。

それで今日は、また一路、お洋服モールへ。地界(と名付けることにした)を棄てたつもりが断末魔の叫びみたいに、蘇ってきて、キゲンを直してゆくというか、そのヘドロな念を、だらだら過ごすことで、治療してゆくのだ。

自分を、けっこう甘やかすことが出来た。あれもこれも、幸運にも、お買い得でした。

映画館へ。文化事業へ、なるべく投票(お金を遣う先を決める。これは投票だとおもう)することにしている。映画会員を、何年もつづけていて、今月は更新月なのでした。

ついでに北欧の、ゆっくりした作品を観賞した。全く、私とは感性が違う作品で、国民性が異なるからか、寝そうなのを起きてるのがやっとだった。いったい何を見たんだろう、物事への意味の付け方で、共感が少ない。消化不良な余韻だ。このことを考えつづける、ことも、ゆくゆくなにか、わたしの感性をひろげるのかもよ、

とにかく、色々、映画見てみたい。

帰宅して、家のひとと仲直りした。

TORABARA むつき25日

ここ一週間は、ほんとうに参ってしまいました。それで長く寝てた。

わたしの気持ちは、結婚をやめたい。それを家の人に言ってる。3月で、仕事か結婚を、やめたい。どちらもやめたりして。

家について考えるうつわ、が飽和状態になったとおもう。もう、家に関わり合うのは、止めたい。わたしは樹木葬をされたい。家にまつわる、何も、欲しいものは無いです。他人のほうが愛情をいだきやすい。血の話をしない関係性の中にだけ、居たい。

天の理、地の理、がある。わたしは地の理だけで引き摺る風習がある土地にうまれ、地の理しか知らない両親の元で育った。幼いまま、ひとりで新天地に来て、こんなに羽が伸ばせることを知る。これからも知ってゆく。

とうぜん、天の理だけがわたしの世界なのだ。わたしひとりの時、わたしはとっておきな存在である自分をあじわっているとおもう。

わたしは、旦那の選び方を間違えた。結婚生活をしてみないとわからなかった。仕方がない。旦那の生活内容は、予め、判断できたきもするけど、常に自分の親、妹の存在に触りつづけるのは、耐えられない。優先順位が、筆頭が母、なところも。わたしは、旦那の母ともけっこんしてんのか?というくらいです。

体を動かして、生活しない。椅子に座りっぱなしで、基本、口先で指示を与える性質。ここも、わたしは、指示には従う気がないことを都度、告げる。自分でやれよ、私がやってる作業の邪魔になるのはやめろ。あと、自己本位な点。溜め息と苛立ちをあけすけに撒き散らす。部屋の内で。

りこんしたい。他人とルームシェアしているほうがマシ。ルームメイトであり、恋人に近いような、愛のある相手と、住みたい。そのひとと、調和のある時間もすごせる。自分の親をふたりの暮らしに持ち込まないひとと、家族になりたい。理想が似てるひと。

わたしがかつて、一緒に暮らした男は、親に対する距離感が似ていた。男親を家に一度だけ呼んで、わたしがスパゲティをふるまった。それを、焼きうどん?と間違えた。エピソードがその一つしかないことで十分だった。親を交えないで済む、二人世界。これが世界のすべてでよくない?二人がとても好き同士で、ほかのなにものも介在していない。好き好き、で、おままごとみたいだった。好きすぎて生活にはならなかったか。

天の理。について。結び付ける、統合して拡大するエネルギー。単純、万能、公開、自由、効率、ポジティブ、安心、安定、平和、互助協力、自他同然、長所伸展、公平、自己責任、という方向です。秩序維持、生成発展、波動、必要、必然、ベスト。というルールです。

無限なる創造主の光と愛の存在。

田舎にある価値観の根底は、怖れかもしれないね、

自分に対する否定的な心を捨てるのよ、自分自身ではなく、自分をおじけづかせる原因をつくった人たちを否定するの。byココシャネル

ほら、ごらん。田舎のひとたちを否定するの。そのひとたちのことを考えてる時間は無駄よ。

TORABARA むつき24日

しごとが終わって、美容院へ行く。

わたしは、連日、家の厭な面を見て、なんとか気分を変えようとして、まだなんだか、険しく殺伐としている。気持ちの底に闇い川が流れているかんじ。昨日のヨガの時間は、少し晴れて、今日の夜のお出かけでもまた、晴れた。

美容院の、男のコだけど、ちょっとした仕草でドキっとするようなひとだった。こっそり、お互いが好きだったりして。もう、ドキドキだよね、なんか、誰かを好きになるかんじって、こんなかんじ、のかんじ。あれ

れれれ、わたしは現役なんだろうか。鏡の中のわたしは、現役だった。出来上がりの写真を撮ってもらったけど、かなり綺麗な目線でわたしを写してくださってる。と思う。

わおー。ふわふわ、しあわせな気分で帰宅した。ごはん食べて、寝た。

TORABARA むつき23日

しごとが終わってから、下北沢へ行く。夜店が、いい感じだった。またしてもヨガレッスンを、受ける。レッスン開始までの時間を、ちょっとぶらぶらして、それが楽しかった。

ぎゅっといい商品が集まっている場所の、波動のようなのが、好き。空気を纏う。というのは、あると思う。マニキュアを試したりした。ここと、いったいになってるの、巻。

TORABARA むつき22日

なんなの、な渦中。集金を迷惑だと伝えて、おそらくいかられてる。せっかくこの話に関わらせてやってる、くらいに思っていたりして。親の思想のクセを、わたしは醜い、と感じている。

母親は、私を守らなかった。私よりも、自分の出自である格の高い家、からの自身の承認欲求を優先している。田舎で育ち、外に出たことがない、個人の顔と名前で、社会に出たことが無い。今も、その実家の娘、でしかない振る舞いだ。

彼女は、個人ではなく、家。なのだ。このことに、今朝気づいた。なるほど。

自己を犠牲にして、家。にしか価値を見出さない。自身の身だしなみや、自身の喜びを後回しにしていて、慢性的な摂食障害を持っている。自分がデブなことを、まるで被害者のように他人事にしている。自分が何が好きなのか、何がしたいのか、わからなくなってしまっている。

姉妹がふたりいます、その片方だけを、親戚が可愛がり、その家に呼び、お小遣いを渡している。馬が合うから付き合う状態がある。親は、可愛がられない方の娘を、その親戚から遠ざけ、その親戚の門をくぐったりしないように、娘に力を振いました。きょうだいはふたりいるんだから、ふたりかわいがりなさい、としんせきを叱りなさい。親なら。

この歪が、糸をひいています。

まあ、もうそろそろ、いいや。この話題。

レンラクが来ないと思ってた人から、能天気なLINEが入った。大切な友人。わたしの気持ちが窮していたため、救われた。わたしたちはワクワクする気持ちをそのまま行動に移している。

明るくて軽やか。自分の真実の性質と整合している状態。ポジティブなことに焦点をあてること。ネガティブにチャンネルを合わせないように、と、バシャールさんも仰っています。

TORABARA むつき21日

感情の端の場所、その限界まで感情を使う、よれよれになって、使い切る。

という精神活動、というか精神にとっての運動、が度々ある。普段使わない感情を活性化させておくため、自虐的というか、自主トレーニングの一種として、なにか種を見つけて掴んで、徹底的に、考えあぐねるのだ。

これはわたしの癖かもしれない。感情を汲汲に使い果たした、と思える時、圧迫感から開放されて、体から古い念を手放して、すがすがしい浄化がなされた。と感じる。

この境地に至るまでの産みの苦しみたるや。この精神活動は、おおいに私の誠のこころに基づいている。

今日は、実家に、電話をかけた。顔も名前も知らない、存在を知らなかった親戚に、いきなり私たち夫婦がお金を納めることになった件。

それは祝いに類する事へ、お金を納める件、ではあるものの、ちょっと待って。わたしたちに、先ずはそのコを紹介していただけますか。面会が、先。じゃないのか、誰だよ。

どなた?知らない宛にお金を納めさせるようなしんせきつきあいは、止めさせてもらっていいですか、と父へ言ったけれど

見たことも聞いたこともない、そのコに私たちを付き合わせることの違和感が、父には言っても言っても、伝わらなかった。家同士、家の親同士の付き合いで、そこに親同士の力関係がかんでいて、家の体面の為。が率先する集金理由らしい。

またしても、昭和一桁生まれの特性である、古びた思想、に触れた。家にまつわる、ネガティブな地の理。

複雑・秘密・束縛・非効率・不安恐怖・競争・強欲・短所是正・不公平。闇の勢力に支配されています、みたいな特性を、彼ら実家の人に感じる。こんなに気持ちが塞がるのはなんだろう。しゃべっていて反省を促される居心地は、なんだろうか。

私とは付き合いが今まで無かった。先方、この話の、お金を納めるコの親。が目をかける相手では私は無かった。それすらも、私に責があるような話の運びは何だったか。金だけをあてにされることは、失礼だ。と言った。

封建制度を浴びた世代、儒教でいうところの、被支配者であると、ご自身を位置付け、さらには末っ子の私を、末端の立場だと予め決めてある発言の数々は、なんだろうか。

とてもとても不快で気分が治らない。

TORABARA むつき20日

出社して、しごとの後に、しごと場所そばのヨガ教室に行く日。荷物が、カバンの中が、ぎゅうぎゅう詰めで、とんでもなく不自由なかんじがした。

しごとの後で、時間の決まっている用事は、拘束されていて息苦しさがあった。

もう、ここでヨガの予約入れるのは、やめよう。

しごと先で、不幸があった時の集まりで配られたお菓子が過剰にあるので、持ってきました、というお菓子を渡された。線香の匂いが付いているわけではなかったけれども、そういうの、持ち出さないで自宅で消費しろよ、と思った。

TORABARA むつき19日

お誕生日のプレゼントを、かなり前倒しで、家の人が買ってくれた。アウターが増えてて、もうこれ以上、アウターは要らないね、と言って家を出発したのに、

アウターを2着、新調してくれた。

親戚の話。集金の頭数に入れられてるけど、その親戚のコの顔も知らない。会ったことないってこと。歳も知らない。暇な田舎のひとたちは、しがらみを捏ね回すことで、まきおこる刺激を養分にして、生きてるのかも。

母の出自が400年続いてる家なのだけど、家の庭には樹齢400年近い、椎の木があったりするけど、現在および先代の家主と、わたしは折り合いが悪く、その門をなんじゅうねんも、くぐっていない。

それを闘いのように、わたしは内にかかえてきたのかも。対峙する的が、400年の伝統、くらい大袈裟にとらえてきた。得体の知れない、その古い家の流儀から、どうやらわたしは否定されているみたい。といういごこちは、なまやさしいものではなかった。

それにしても、できることならば付き合わせないで終いにして下さい。子供の頃に、その家の歪は見抜いたとおもう。

その家で年に何回か、大勢の人が集まる機会があり、人の手を借りる、という状況があり、小学生のわたしは借り出された。その場に、たしか中学に上がってる歳の、かなちゃんという親戚も手伝いに来ていたとおもうけど、かなちゃんのことは家の人たちから嫌われていて、大人たちが、早く返せ、顔見たくない、みたいな会話をあけすけにしていて、本当に間もなくして、タクシーに乗せられたのか、親に引き取りに来させたのか、帰らされてしまった。怖。

小学生のわたしは、かなり凍りついた。嫌われるかどおか、そこに公平な基準などが存在しない。美醜、への好みに尽きる。くらい、わけのわからない判断をくだされる。かなちゃんに類するふうにってことと思われるけど、ゆくゆく、のちのち、二度と呼ばれなくなるぶんざいにわたしがなった。

そういう場所があるということ。説明はつかない。そして、器をはかられた末、顔も合わせないまま、集金出来る頭数に入れられて、その家のむすこさんが何か成される祝いで、わたしから集金することになったレンラクが、(私の親から)昨日の16時に入る。むすこさんの顔も知らない。むすこさんが存在するってことは伝え聞いていたけど、歳も名前も覚えていないし、という状況。

可愛がられる場合は、何度も家に上げて、都度、お金を包まれ、相談に乗り、ひつようならばおふだまで用意して渡す、らしい実態を近年知った。容赦ない差異は、闇をうむよね、

そういういなかにあるはなし。