TORABARA しもつき16日

朝の散策で、海つたいの岩にへばりつきながら、先へ先へと進む。釣りをするひとが、このような道をじりじり作っていっているっぽい。

弓ヶ浜の、奥のほう。
朝の海が美しい。朝の光を海で見るなんて、もしかすると、砂浜で見るのは、初めて。それでしばらくみとれた。

朝食後にお宿を出発してタライ岬まで歩いてゆく。

ヒールの形をした岩。
タライ岬よ。ぐるっと見渡せるところ。
いい眺め。あゆみを進めると岩も海も、表情が刻々と変わる。
ぐっと、海のそばに近寄るところもある。
龍宮窟。
龍宮窟を見上げる。
ハートの形にえぐれたらしい。
こっちにもハートの形、みつけた。
岩の層は、何万年も前の、火山で隆起して、層がむきだされた。

タライ岬の遊歩道を歩いて、2時間くらい。さいごの頃に手彫りのトンネルを抜けました。灯りが無くて、おそろしやー、自分の足元が闇で見えない、もう出口の明かり目指して走るしかなかった。

田牛、というバス停に到着するとき、視界にバスの姿、もしや駅へ行くバスだわー乗せてー、と手を振るも、気づいてもらえない。これはね、乗らなくて良かった。すぐそばが龍宮窟だったのだ、ここ、龍宮窟を見学できて、よかった。奇跡的に、このような美しい場所が、地球にたち現れることに、おどろく。

そして次のバスが来るのに、2じかんいじょうあるため、歩くことにした。トンネルを四つくぐり抜ける。しかし

いっこめのトンネルに入るや否や、トンネル出口からこちらに向かって車が来る。その爆音、ライトの光の大きさ、スピード、にビビりすぎて無理無理無理!慌ててUターンしてトンネルを戻ってしまった。こわすぎる。ぶつかられて圧されて事故っちゃったらどうするよ。

しかし、ここでタクシーを呼ぶと何千円とかかる。どうするよ、意を決して、猛ダッシュでトンネルを抜けましたよ、祈って、車よ、通るな、と。祈りが叶い、無事でした。バスがけっこう走る道路に出て、駅に行く。14じ10の便。

そして、14じ40発、もういっかしょ、白濱神社へ行きました。好きな場所だった。むかしからすきだったばしょにやっと、行けた。というかんじ。

海のほうの鳥居。横に海の波がけっこう荒れて押し寄せていました。

ここは、伊豆最古の神社さんなんですって。樹齢二千年の木がありました。本殿の杜が、海の側とおもえない、緑の深い場所に思えた。

16じ頃、駅に戻り、タクシーで宿へ。

TORABARA しもつき15日

旅立ちの朝。なにも用意していなくて、早朝の暗いころに、やっと、持って行きたいものをまとめた。いっちょくせんに、小田原につながる便に、乗ること。乗換時間が10分くらいしかない、JRへ入って踊り子号1号に乗る。

昼まえに、南の陽気な土地へ到着。そのまま、石廊崎へのバスに乗り、1時から観光開始。というか、ランチいただいて船のクルーズして、お宿へ行こうという計画だったとおもうのだが

ジオレクチャーを受けたひとのみが行ける猪鼻の岩場、そして石廊崎灯台の中にも入れるって。これに参加させていただく。

なにか誰か棲めるような洞穴。
何万年も昔に、マグマが流れた跡が残る、岩場の見学。ここら辺りは、岩が醸しだす、岩世界だった。植物のレクチャーもありました。

ストレスを受けるとまるで形状が変わってしまう草。を実地で確認した。人も同じだね、頑なな、尖って硬くて短い、ツンツンした草の状態。険しい環境は、生命の形に影響する。

草が生え始めた岩
石室神社さん
この岩の岬が、熊野権現さん
石廊崎クルーズ船で左に見える岩だよね、前に来た時の景色を、頭の中で覚えていて、ああ、ここ。っておもうの、いいね。
あれあれ、今日は雨の予報で、曇りが保たれてよかった。傘の出番がなくてよかった。という日に、夕陽が拝めるとは!たいよう。

たいよう!!

TORABARA しもつき14日

たまに、夢に出てきて会うひとがいる。実際に過去に付き合いがあった人の場合もあるけど、そのひとは、口はきいたことが無い。高校2年の時に同じクラスだったひとで

日本に名だたる文学賞がふたつあるとおもうけど、そのひとつに輝いた。そのひとは、全く口をきかないひとだった。黙って周りを観察している。口元に綺麗にたたんだハンカチを充てて、教室の外廊下の窓から半分顔を風にあてつつ、廊下で戯れる同級生たちのことを見ていた。ふっふっ。と、わらいごえをかすかにさせて。

その、黙って観察している姿を、見たことがあって印象に残していて、ゆくゆく、その彼女に内蔵されていた大きすぎる才能が、花開いた。わたしの、目のつけどころが、人を見ることに於いて、おさえておくところが、わたし、凄いと思う。

夢では彼女とじっさいに対話をして、わたしは何かを聞き出そうとしていた。それが排他的なかんじではなく、同じ島にいる人同士みたいだった。

それで、大きなあたたかさのようなのが、眼が醒めても漂っていた日。

TORABARA しもつき13日

夜が明ける前から起き出して、浴槽にオレンジ色の香るやつを入れてゆっくり浸かる。そしてもくもくと毛糸編みをしていた。

風の音で、びゅるるー、というのが吹いて、夜は明けた。

なにか、まるで別人のように過ごした日。

女子について、わたしが念を入れてケイカイをした方がいいことを書く。

一様序列になりがち。なにかの対象に対して一斉に同じ意味を付ける。これを協調性の証しのように、しゃべり合う。世間話のレベルをケイカイしたほうがいい。

感受性が、もともとは各人が独特で、迎合するひつようがなかったはずだ。うんざりする女子の、へしゃげた声で現実をなぞる、レッテルをペタっと人に貼り合う。それがお粗末な形容詞である。疑いもなく、仲良しごっこをする、そのざま。

なにかのかげんで人の集まりに伸びやかさができているのは、どういう場合だろうか。霊性の高さというか、洗練の度合いの高さ。ひとがユニークな状態でいるかどおか、それは健やかさの秤だとおもう。

TORABARA しもつき12日

ひきつづき、家の話を、家の人にしようとしていて、それをさえぎられる。家の人には、人の話を聞く器が足りていない。本人に余裕が無くて、耳を傾けることが出来ません。その、限界を超えてる姿が、わたしから見えている。ああ、そうだった、このひとの耐久能力ってとても浅いこと。それを以前悟ったことを思い出した。

もう話すことがないままになった。逆に、わたしを更に逆撫でする、オーストラリアの国について、の話題を始める家の人。無自覚というか能天気だよな。囚人とか流れついてる島なんだっけ、国の始まりって?わたしは、悪意をまじえたような事を言った。よく知らないし、あまり行こうとしたことが無い国(場所)だわ。そういえばどうでもいい。

なんか、悲しいようなわたしの気持ち、を知ってるかのように、外に様々な種類の野鳥があつまってきて、電線に止まった。電線は、外の道に沿って張ってあるのと、そこから、わたしの住む家に直接引いてきている線があって、わたしの家の窓から近すぎるところ。に鳥が居ることが、今日は、とてもとても嬉しかった。

いつも、鳥が近くを飛ぶことは嬉しいけれど、今日は、うるうると、鳥がわたしをなぐさめにきたことを察している。弱っている、わたし。

うたた寝で早々に寝た。

TORABARA しもつき11日

仕事終わってからのことを書こう。

海のそばで、お気に入りのドリンクを持って座る。ホットウーロン茶、ミルク入り、タピオカ入り。それで茫然としている時間だった。

バス行きが、こたえている。多分、準備が間に合っていなかった時点で、今日はやめておく。と、断ればよかった。それをスッピンのまま、更には、人前で化粧したことで、機嫌がだめになって、なにかギリギリ保っていたところが決壊するかんじで、泣きじゃくったのである。

お金に恵まれている境遇とか子孫が次々につながってゆく、その家。その話は、私にとって耳障りだった。海外で何ヶ月か過ごす、お正月は家族がほうぼうから、その外国のまちに集って祝う。

知らないままでよかったところ、お土産をせがむ、という形をつくらされた。これが追い討ちをかけて、こちらをみすぼらしく感じさせた。

帰宅してから、このいちれんの憤懣を、思い出したままロックしたのかなんなのか目が冴えて眠れない。世間話をする近所のひとに電話をかけて、ぶちまけた。少なくとも、人の様子に関する形容詞など、いくつかの言語を与えることが出来たので、気持ちはおさまってきた。

今日は、仕事先に、以前も一緒だったひとと再会するという出来事があったけど、わたしのあたまを占拠していたのは、もっぱら、家とか血縁の話だった。

TORABARA しもつき10日

家族付き合い、するため。家族付き合いは、するもの。家族付き合いくらいしてよ圧。

世間体、に常に照らすらしい長男が、文化的な先入観として、「べき」ことを、血に注入されて生まれてきたか。後天的に、染まったか。当たり前だ、という文言を振りかざし、田舎の隣人へのあいさつにおいてさえ、さじ加減を持っていて、その加減は、「べき」に支配させている。

自身の屈託ない発露、ではない見えない亡霊が肥大化している状態。小林秀雄を読みたまえよ。考えるヒント。に書かれている一説。血、がからむとまた、複雑な捩れも生じてゆくのかも、同族という意識の内に籠っていなければならない圧

なのか、行きのバスで、情緒不安になり、泣きはじめたわたし。今日は出発の時間を間違えたため、5分で服着て、とりあえず電車に乗った。化粧をしていない。化粧はバスの中でするか。そのスッピンが化けるようすを、通路はさんだとなり席の、ダンナの妹に見られている状況。本番は、ダンナの母なのだっけ。わたしはわたしのココロのために化粧する。

社会から負う役割。

なみだが止まらない。サッと会話に無関心になったりした。上辺で会話していればいい時間、を観察。会話というよりも、矢鱈と金額を言い合っている。なになにがいくらで得しました。という構文で、ほぼ構成されてるコレは、なんなの。AI化が簡単だとおもった。

ナニナニガイクラデトクシマシタ

フェラガモだのベンツだの、就職先商社だの、ブランドまみれな話題。そして、わたしが作ったポーチが要るか聞いたら即答で、いらない。だそうです。

とっておきなものとして、手作りの作品を渡したりしなくてよかった。手の込んだ編み物のストールを、わたしてしまっているやつ、あれこそ豚に真珠だった。

TORABARA しもつき9日

いいお天気。美術館へゆく じゅんび じゅんび。

北川民次の絵

3時からの講演会を聴いた。口達者で老年に突入する女が登壇。こっちが美術学芸員で、もうひとりの女が話すひと。トーク始めるけど華が無い。インテリってだけを振り翳した気分悪くなる女。2年半前に出産したらしいけど60才近くに見えた。

一緒に行った近所の老人が、「民コロ」と言って履いてた靴を投げかけてた。気分害してたらしい。嫌悪感は、どこから生じただろうか、おまえがかしこいことは判った。メキシコに心服したならメキシコの民族衣装の一張羅を纏ってそこへ上がれって。実際が伴わない、口先の理屈。しょぼい毛糸のチョッキを着て、運動靴を履いてる。でいて、自分が映ったスライドの写真、真ん中にいるのが私でーす、って言ってる。誇示、なんなの。

美術館に入社したての新人が震災に遭って、被災地に「一時的なユートピア」が出来たことを経験した。社会学者が本で、土地が被災することで住民の間にユートピアが出現し、それが消えなかった例が、メキシコにある。と述べたことを足がかりに、メキシコの街に潜入してたらしい。ここのところはよく分かっていない。メキシコの実情を観察してアーカイブ?を残すことが飯の種になると嗅いだから行ったの?

古い社会主義、と呼ぶのか思想の傾き、みんなで壁に絵を描いてみんな団結しましょう、というところを取り上げて紹介しましたとさ。それを現在の日本の美術教育に落とし込みたいのですって。ご自身の放浪に大義名分つけちゃって、いいご身分ですこと。横文字のアートウンチャラって肩書きなんなの。

確かに、北川民次が生きたメキシコの街、土着の文化であるとか国の向きを、伺い知っていく際の手がかりにはなりそう。展覧会にて一連の作品が一同に集められて、わたしが感じたのは、

北川民次の絵の、圧倒的な美しさだ。

絵が美しい。北川民次がたとえどんな社会的な疾しさ憤りを抱えていようとも、北川民次の絵の世界は、なにもかもが圧倒的な美しさに昇華している。このこと。絵というのは、腕のある芸術家が宇宙からおろしてくる神聖な領域であるようにおもった。