TORABARA しもつき11日

仕事終わってからのことを書こう。

海のそばで、お気に入りのドリンクを持って座る。ホットウーロン茶、ミルク入り、タピオカ入り。それで茫然としている時間だった。

バス行きが、こたえている。多分、準備が間に合っていなかった時点で、今日はやめておく。と、断ればよかった。それをスッピンのまま、更には、人前で化粧したことで、機嫌がだめになって、なにかギリギリ保っていたところが決壊するかんじで、泣きじゃくったのである。

お金に恵まれている境遇とか子孫が次々につながってゆく、その家。その話は、私にとって耳障りだった。海外で何ヶ月か過ごす、お正月は家族がほうぼうから、その外国のまちに集って祝う。

知らないままでよかったところ、お土産をせがむ、という形をつくらされた。これが追い討ちをかけて、こちらをみすぼらしく感じさせた。

帰宅してから、このいちれんの憤懣を、思い出したままロックしたのかなんなのか目が冴えて眠れない。世間話をする近所のひとに電話をかけて、ぶちまけた。少なくとも、人の様子に関する形容詞など、いくつかの言語を与えることが出来たので、気持ちはおさまってきた。

今日は、仕事先に、以前も一緒だったひとと再会するという出来事があったけど、わたしのあたまを占拠していたのは、もっぱら、家とか血縁の話だった。

TORABARA しもつき10日

家族付き合い、するため。家族付き合いは、するもの。家族付き合いくらいしてよ圧。

世間体、に常に照らすらしい長男が、文化的な先入観として、「べき」ことを、血に注入されて生まれてきたか。後天的に、染まったか。当たり前だ、という文言を振りかざし、田舎の隣人へのあいさつにおいてさえ、さじ加減を持っていて、その加減は、「べき」に支配させている。

自身の屈託ない発露、ではない見えない亡霊が肥大化している状態。小林秀雄を読みたまえよ。考えるヒント。に書かれている一説。血、がからむとまた、複雑な捩れも生じてゆくのかも、同族という意識の内に籠っていなければならない圧

なのか、行きのバスで、情緒不安になり、泣きはじめたわたし。今日は出発の時間を間違えたため、5分で服着て、とりあえず電車に乗った。化粧をしていない。化粧はバスの中でするか。そのスッピンが化けるようすを、通路はさんだとなり席の、ダンナの妹に見られている状況。本番は、ダンナの母なのだっけ。わたしはわたしのココロのために化粧する。

社会から負う役割。

なみだが止まらない。サッと会話に無関心になったりした。上辺で会話していればいい時間、を観察。会話というよりも、矢鱈と金額を言い合っている。なになにがいくらで得しました。という構文で、ほぼ構成されてるコレは、なんなの。AI化が簡単だとおもった。

ナニナニガイクラデトクシマシタ

フェラガモだのベンツだの、就職先商社だの、ブランドまみれな話題。そして、わたしが作ったポーチが要るか聞いたら即答で、いらない。だそうです。

とっておきなものとして、手作りの作品を渡したりしなくてよかった。手の込んだ編み物のストールを、わたしてしまっているやつ、あれこそ豚に真珠だった。

TORABARA しもつき9日

いいお天気。美術館へゆく じゅんび じゅんび。

北川民次の絵

3時からの講演会を聴いた。口達者で老年に突入する女が登壇。こっちが美術学芸員で、もうひとりの女が話すひと。トーク始めるけど華が無い。インテリってだけを振り翳した気分悪くなる女。2年半前に出産したらしいけど60才近くに見えた。

一緒に行った近所の老人が、「民コロ」と言って履いてた靴を投げかけてた。気分害してたらしい。嫌悪感は、どこから生じただろうか、おまえがかしこいことは判った。メキシコに心服したならメキシコの民族衣装の一張羅を纏ってそこへ上がれって。実際が伴わない、口先の理屈。しょぼい毛糸のチョッキを着て、運動靴を履いてる。でいて、自分が映ったスライドの写真、真ん中にいるのが私でーす、って言ってる。誇示、なんなの。

美術館に入社したての新人が震災に遭って、被災地に「一時的なユートピア」が出来たことを経験した。社会学者が本で、土地が被災することで住民の間にユートピアが出現し、それが消えなかった例が、メキシコにある。と述べたことを足がかりに、メキシコの街に潜入してたらしい。ここのところはよく分かっていない。メキシコの実情を観察してアーカイブ?を残すことが飯の種になると嗅いだから行ったの?

古い社会主義、と呼ぶのか思想の傾き、みんなで壁に絵を描いてみんな団結しましょう、というところを取り上げて紹介しましたとさ。それを現在の日本の美術教育に落とし込みたいのですって。ご自身の放浪に大義名分つけちゃって、いいご身分ですこと。横文字のアートウンチャラって肩書きなんなの。

確かに、北川民次が生きたメキシコの街、土着の文化であるとか国の向きを、伺い知っていく際の手がかりにはなりそう。展覧会にて一連の作品が一同に集められて、わたしが感じたのは、

北川民次の絵の、圧倒的な美しさだ。

絵が美しい。北川民次がたとえどんな社会的な疾しさ憤りを抱えていようとも、北川民次の絵の世界は、なにもかもが圧倒的な美しさに昇華している。このこと。絵というのは、腕のある芸術家が宇宙からおろしてくる神聖な領域であるようにおもった。

TORABARA しもつき8日

出社。

お昼ごはん、鯖の照り焼きのパリパリした皮とか味わいたいー という口だったところに、店の人が、鯖は本日、味噌煮があります、レアですぜ。というセールスをされたため、味噌煮。になってて、これじゃなかった。ちゃんとパリパリなのを食べるとよかった。という感想。

週明けから、今のチームに増員があるけど、どうやら行き場がなくてたらい回しになっています、という人が回ってくるという話。わたしが3年前に一度一緒だった人で、派手というか用もないのに男社員が執務室のデスク横にへばりついてその人と無駄話を延々とする。これをめざわりにかんじるひとは多いであろうよ、またこういうのをくり返すのなら。本人を目の前にして、あなたのことを派手だと告げ口したわ、としゃべれるつもり。わたしの知っている事をチームの人に伝えて、みょうにこうふんじょうたいだったわたし。

適材適所が、さがせるはずなのに外れてるままなのは、社会の余裕なのか。合いません、という所にしがみついたままにならなくていい、とその人におもったことは、そのままわたしへも鏡で、合ってるんですっけ と私自身を問う。

100均を徘徊して、考え事が頭からはみ出しているので、目の前の物品が目に入らなかった。如実に。だからだから、メガネを拭ける携帯の紙と、ウェットティッシュと、歯ブラシキャップ、をいったい何遍棚をうろついたやら、とにかく入手。

高級チーズ売り場へ移動したら目の前で欲しかったまさしくなパックが半額になる。その半額シールを貼る手渡しで、はい、買いますと手を延ばして、まま、入手出来てしまう

なんて世の中の歯車が、正しく組み合いましたよ今っ。を実感して、帰路につきました。

TORABARA しもつき7日

仕事先で、同じチームの人が今日最後で、異動されるるるって日。ずっと泣きじゃくるような気分があった。その人を通して、日本人って素晴らしいよ、と感じる。新しい世代は進化しているとおもう。

泣きじゃくる理由は、自分自身の慎ましやかな身の上、であるとか、その人の、盛大なお見送りのされ方、のいっぽうで、ただ、ここから消える丈な去り方もある、無常というか、こんなことくらいで人生は暮れてゆくのだっけ、ところどころで、情が激したりして、デスクに向かって座って、ギョウムしているわたしは、同時に嗚咽しているひとだった。

途中まで見ていた映画を、最後までみた。2本。

明日こそ明日こそ。と煽動するようなきもち。

TORABARA しもつき6日

昨日の夜、星まつりの参加お誘いが届いていた。あたりがまっ黒な時間のポストから取り出した、大ぶりの茶封筒。

本日、お昼に郵便局で払い込みをした。一番乗りになる位も早かったりして。

吉野の山奥の寺。大寒の日から、節分の日まで、毎夜、つまり2025年の私の星を、佳い年であれ。と祈願していただく。

お昼にテキパキとして、蕎麦を茹でたりもして、夜になる。

家族のひとがレモンクリームスパゲティを作ってくれた。美味しかった。

TORABARA しもつき5日

家にいた日。夜、コピーをとりにいく用事。わたしにかぎらずかもしれないけれど、身分証明の写真映りの気に食わなさ。役所で順番に写真を撮ってもらう場面で、クシが置いてあったとおもうけど、共用のクシなど使わなくてよかった。ごあいきょうで梳かして、額の上辺が直角の三角になってしまってる。白い三角の布でも付けてる形。ウラメシヤーと、ベタに言いそう。そしてとても不自然に少し笑った顔。冬に顔は下膨れしている。

この顔、私なんだろうけど、とにかく透明フィルムに入れてる時は、シールを貼って顔を見えなくしている。多分、自分の気に入るように矯正した写真を用意して、見とれることが出来れば、その顔付きに成る、あるいは写真への苦手がなくなるかも。

みたいな一連のもの思いを、写真見る度にしている。とにかく、両面コピーとらなくちゃなので、視界にちらっと入る、どころか焼き付くほど見て、気分を害している。

とまで言われて、かわいそうなわたしの写真。

TORABARA しもつき4日

晴れ渡った空。公園の植木市場は昨日までだったか。透明な緑、な多肉植物で欲しいやつ、パッと買っておけばよかった。

八百屋に行って、お昼はシチュー食べて、こんないいお天気、図書館に本を返しに行く道中、が最大にお天気を楽しむ時間になる。

神社さんへ行き、お茶の葉をくださいと言って、なんか遅いな、と見たら、ぎゅうぎゅう。とありったけ袋に詰めてくれていた。真剣な顔で!

上野。博物館にて、お宝を見て回りましょう。

ぎゃー、リアルよりもリアルな柘榴

近所の老人と待ち合わせて、バスに乗って、浅草へゆく。いつもの蕎麦屋さん、笹の川の熱燗と海老天ざるそば。そののち、コーヒー屋さんへも行く。

このごろ、老人には勢いが無く、澱むような気が漂うことを、分析するけど、お金の制限。が優先順位の筆頭にあるらしいところ。お金の枠をさわりつづける、お金に自由だ、と言えば言うほどに虚しい老人。勢いがあれば、お金は化けてゆける。食べたいのが鴨南蛮なら食えよ、安いからなめこ蕎麦、なのは哀しい。

かなしみ。考え方の枠が、こわれてゆくことで、人に革命がおこる。枠を守ることは、かなしみでしかない。