TORABARA むつき15日

いろいろ、やることがある。家のネットを、ネット会社同士の商戦に巻き込まれて、無駄に変えた。月額の費用がにせんえんやすくなります、という勧誘があり、つい、乗った。なんどふらふら、この、オプション付ける代わりに安いよ、タイプの、めんどうきわまりない手間に付き合うやら。

とくに今回は、オプションの内容が酷い。ネット回線の、メインNTTルータの他に、2台ルータが送られてきて、繋ぐのは1台だろっ、このありありとした無駄に、うなだれる気持ち。そのオプションを解約できるタイミングになりました、の知らせがあり、早々、余ってるルータを返送する手続きをする。

っていうか、最初から、ルータ余計に送っていらなかったんですけど。

とにかく前ネット環境分2台と余計分1台のルータ返送手続きを、それぞれした。ということです。

図書館に本、返して、読み終わった本を、差し上げる用の棚に置く。

そして、新宿へ、お出かけ。用事を済ませてから、夜景を眺めて散策。こういうの、珍しい。何かの用事、すなわち目的に、囚われつづけながら歩いたことしかない気がする。新宿。ふらっと、書店に寄り、わわわってくらい、欲しいまま新品な本を購入。そして紙の包みを抱えたまま、電車に乗って帰宅。

お出かけを加えて、満たされた。

TORABARA むつき14日

今日は出社する日で、出社してるひとは三人で、誰とも会話が続かないので、どうか昼一緒になるながれになりませんように。これは、互いに同じ祈りだったみたいで、叶った。ほっとした。

帰り道の寄り道で、かわいい色のタイツと、お化粧福袋を買う。福袋というか、中味が全部見えている、ラッキーな割引セット。ローズの香りなのが揃っていて、これは私の為にあるやつじゃん。と即決。にこにこして店を出た。

読んでる小説が、一気読みするほど疾走感がある。そのときよんでるほん。は、人生の気分を左右する。

高級なチーズを2種類えらび、帰宅して、ミートスパゲティ食べた。

TORABARA むつき13日

昨日の夜に焼いた、チョコパウンドケーキを朝食にする。ロブションの食パンも半分。

株は5波目で、手が出せない。そのもどかしさが生活のほうに混じってくる。ポジションを持つと、参加したぞ、みたいに高揚感がある。

話題になっている本の、文庫を読んでいて、こりゃ、面白いわ。とおもった。その場の時間軸を、別な次元にしてゆく存在に、おぼえがある。言い方を変えよう。考え方の軸がてんでんばらばらな人たちが集団になったときの色彩豊かな、宇宙空間みたいな居心地を、体験したことがある。この心地よさが、本の中の世界に展開してゆくような、ごほん。

女なのに、男まさりのひとがいて、本名は、末尾に子、が付くのに、それを、お。にかえてたひと。雄?男?漢字ならばなんでしょう。道場破り、な発言が、粋だった。

というかほぼ、救世主みたいなお役割なひとだった。

烏合の集が同じ方向見てる、のが、耐えられない。誰か一人をもてはやしているような集団が、受け付けられない。目が無い虫の群れが右往左往しているざま。それに類する、集まってしまってる、そのじょうたいを忌みきらう。

解説文は、集団になる性、側からの眺めで解説してあったため、違うだろ、という感想。本体の、本は、とてもおもしろかった。

TORABARA むつき12日

温泉行って映画見よっと思ったけど、温泉が長引いて、映画は、またこんどにしよっか。温泉の後で、食堂でまどろむ。ビールと味噌野菜ラーメン。おいしーい。

地図を見たら文学館が近くて、見たかった展示、前に聞いてたやつ、だったので行く。

歩けた。

ここに来ることを思い付いて良かった。日本の文学界の、黄金期を共に生きた、ドナルド・キーンさん。なんて出会うタイミングは約束されたみたい。このひとは、この物語を生かされている。という眺めだった。ふむふむ。

有名なひとたちのアウトライン、を知っとく、だからなんなのか。かつての芥川賞作家との対談は、文学的な知識が深いからキツかったと、キーンさんが述懐していて、わたしは去年、そのキツい人の孫イベントに行き、厭な思いをした。そのことも思い出した。

孫が、冒険家で、誠意を持ち、イベント開催していらっしゃるとはいえ、何年も遡ってそのイベントへ行ける時は行っていたわたし。それでこちらがいつも来てくれるひととニンシキされていたか、全くの無。であった。サインをいただくときに、直に聞いてしまったので、取り返しがつかない幻想の壊れ方。以来、孫のことを応援するのはやめていて、活躍のアウトラインをなぞることの無為、を、わきまえるようにしている。

(追記)その活動を、ばかみたい。と思うひともいて、そういうひとはわざわざ会場へは行かないだけで、活動を、発表していることへの、けんきょさは要るとおもう。わざわざ足を運んだひとへの横柄な態度、は、無しだよな、悲しい。

キーン氏は、いいことを書いてらっしゃると聞くので、是非、本を読み始めようと思う。文庫本も入手。

ゆっくり、一歩づつ、今年が形つくられてゆく。今日は、温泉の浴室に、一条の太陽光が刺していて、浴槽の淵に当たり、Vの字に折れ曲がり、その折れ曲がった先に正面から顔を近づけて日光浴をしていたというか、光の筋に、やわらかな湯気がモクモク沸いて照らされている様子を、ぼっとうして眺めた。この時間が、良かった。

TORABARA むつき11日

今日は、ゆるゆる六本木へ行った。

去年は、全く、六本木をたのしまなかったかも?わたしの勤め先が、ヒルズ。のちにミッドタウンになった頃、毎日通ったエリア。

一度入ったことあるハンバーガー屋さんが明日で閉店するらしかった。間に合って、最終晩餐会みたいに豪華なのをいただいた。ビーフ、ゴーダ。黒生ビール。

マチュピチュ展を見た。世界のあちこちを巡回しているらしい。写真は撮らない。儀式で実際に使用していた道具を展示してある。念は生きたままだとおもった。生贄を天に捧げるって、この器の鏡面に、いったい何を映してこんにちに至るのか。わたしは、刀の名前を、知っていた。トゥミ。以前、いつ見たのだったか、頭に名前がよぎり、わお、当たってるんですけど、と、自分にびっくりした。

高度な文化が、アンデス一帯にあったこと、造形がわかりやすい形状をしているというか、大胆に簡略化してあり、分量がたっぷりとしていて、好みである。

そののち、少々ビルを見て歩いた。お化粧やさんで、ちっちゃい顔で長身の女が、どろどろ、と言ってて、泥施術のことなのだけど、訛りは茨城県のひと。ヒルズは、実は、店員さんたちがおのぼりさん達。だから、びびらなくてよろしいのです。

六本木の空気は、時々、吸いたいっておもった。

TORABARA むつき10日

朝、ムカつく一幕があり、ババアの胸ぐらをつかむところだった。瞬間的な沸騰。テメーコノヤロウって口走った。もっと具体的な言語化が追いつかなかった。とにかく、塩を撒いた。帰宅して、玄関ドアの外に向かって。ババア、というのは穢れだ。しばらくそのスーパーマーケットにも近寄らないこと。

用事を、次々片付ける日。マイナンバーカードの更新。予約した本を受け取る。読み終えた本の、図書館への寄贈。解約するネットルータ配送手配。確定申告資料を印刷。返し忘れてるお守りを納めるがてら、ひんぱんに通わせていただく神社さんへ、詣でる。

今年初に、詣でる。今日も尚、参拝客が大群で押し寄せていて長蛇の列が、幾つものびていた。向かって右の端に並ぶ。見上げると雲一つない青天。御神木の緑葉が、のびやかに聳えている。わたしは、自分の名前と住所を、心で唱え、そのまま、去年一年間、毎月、素晴らしいご旅行をさせていただいた感謝を、ひと月づつ思い巡らしてた。

毎月、なんというかけがえのない旅を授けていただいたことか。それを、今日、ここを参拝して報告ができて、本当によかった。

飲食コーナー、外へお盆を持って出た瞬間に突風がある。甘酒が、少し減った。カバンにもかかったわ、洗わなければ。全部ひっくり返らなくてよかった。なにか、ゆさぶられるかんじ。あまり、おだやかではない。清正井へも行く。今は新しい流れは無い。それをたしかめた。

百合の花を買って一旦帰宅。となり駅へ行く。老人と打ち合わせた。老人は、正月に、みすぼらしいジャンパーを着ていて、それを、直に聞く。なぜ白い新しいシャツが用意できないか。

寒山拾得のように、質素を実行している。と、言っていた。財を、盛大に増やす話をしていて、いろいろ気が付いて見える、という境地があり、成功してゆく。ことを誓う。

雲ひとつない青い空を、しばらく見ていた時間が、わたしに残った。

TORABARA むつき9日

養老孟司さんの本を読んでいる。平易な文章で、おどろいている。難しそうだと思って今まで敬遠していた。話が、政治だとか日本論に、なっている。読者に、自分事として、日本とは?を突きつける。偉大な先生なので、ふっ、と、この本は私に関係ない。みたいな感情にもなる。自分のことが偉い、と思っているひとにとってだけ、テキストになり得る。参議院の在り様とか。作者がなぜそれを論じるか。作者がそれを諭す立場にあるから論じてあるのか。

わたしは、河合隼雄さんの著書が、とても好きだと思って読む。偉大な頭脳が繰り広げてゆく世界。というのを楽しめるから、読む。河合隼雄さんは、人間にとって、直に訴えてゆく着眼がある。世相を論じていても、いつまでも古くならない、旬な話のまま。この宇宙的冴えのある人物であったといえる。(故人)

わたしの世間話の中に、政治は、大仰な話題のため、入ってこない。養老さんの、自意識が幼い頃は過剰なのだという話、は思い当たる。しかし、それを大人がどのように扱ってゆくとよいのか。過剰な自意識に合わせて過剰に寄り添っていく態度は、思考停止してらっしゃるか、と思える。世間で、気を遣ったつもりになってる輩の、多くが、この安易な迎合。という気がしている。

私の意見を交えながら、考えが活性化してゆくような読書体験になった。養老さんの本は、後半では、政治経済がメタメッセージではない。ノイズを削ぎ落としたような、情報を、ちゃんと疑っていなさい。と書かれていた。

大きなインパクトがあった体験を、いくつか挙げてあり、震災。の時に、どこを情報の拠り所としているかによって、その人の、出来事への意味付けが変わっていたのを例を挙げて紹介されていた。

わたしの、在日の苗字した友人が、やたら中国韓国を批判したサイトを、わざわざ見に行っていて、いちいち憤ってらっしゃった。「何故、そこの掲示板を見にいくのか」見たいものしか、見ていない、という自覚の欠け。当時わたしがいだいた違和感が、すんなり、文章化出来る。

在日の苗字した友人だった彼女とは、年季を経ていよいよ、齟齬が、(認識する際の根拠が。すなわち感性が。)開きすぎてしまい、もう離れてしまったっけ。

養老さんの本は、読み終えてみると、雑記ってことになるけど、養老さんが愛されている理由が、なんかわかるかんじ。それで、また読んでみたい作家さん。作家さん?というか虫とりさん、というか、学者さん?日本有数の、有識者さん。?

TORABARA むつき8日

ぽかん。と、寂しいような気持ちになり、その気持ちを観察した。おおよその、気持ちの由来は、食べ物のせいだとおもっている。

わたしは、飲食の店が生活の主軸になり、食生活が丸ごと変わる体験をしている。それまでは、食べ物を少ししか摂取しない、栄養が足りていない暮らし、冷え性。だったのだが、大量な食事に変わり、栄養が行き渡り、血行が良くなり、一旦太り、そののち、本来の体つきに、しゅっ。と痩せた。体質改善である。

この改善に伴い、性格に含まれていた陰気な質が、乾ききって飛ぶ、というのかな、ぱあぁっとした陽気な人生に好転したようにおもう。食べ物様様で、人間は明るくなる。

較べてわるいけど、余計な肉を付けた人は、太る食事しか作れない。そしてまた、陰湿な性格は、余計な肉を付けてゆく。この相乗効果を断ち切るには、自覚して謙虚に恥じらい、強い光に向かわなければいけない。わたしは田舎で育っていたときに身につけた体を冷やす習慣を、洗い直したことで、悪い傾向が嘘のようにトレた。本当に感謝している。

田舎の暗さと、知恵の無い食べ方は、むすびついているのだ。そういえば和食で昔風な調理を、直近でいくつかしていて、その何かが、気持ちの不安定さをつくったのかも、とおもった。

食の話は奥が深くて、語り尽くせない。一番食べたいとおもうものを食べてゆく。というのが自分に成る、なりようだといえる。わたしが、なにか、へんな寂しい気持ちを察知し、食べ物を見直そうとした、というのは、自分の気持ち的に負に傾く食物は、除いてゆこう。みたいなこと。それを特定できれば、あまり多く摂らないように。

セロリ、トマト、玉ねぎ、じゃがいも、鶏肉、オリーブオイル。この組み合わせのスープが、陽気な体の基本。わたしの場合、ここを、ふる里としている。