TORABARA しわす14日

Martha ARGERICH 演奏、シューマン幻想小曲集作品12 第1曲 「夕べに」

1979年録音、音楽が、必然な演奏。この演奏家にとっての曲としかおもえない。弾こう、としていない。溢れてきて音楽になっていく生きものみたいな音。冒頭から、知っている旋律、正体は、このような曲なのだなと、聴いた。真空世界の渇望が、この次元に顕現している、そういう演奏です。ぜんぶ、いい。CDになって残ってくれて、ありがとう。

お昼、郵便局へ行く。書き損じの年賀を5枚取り替えてもらうことと、星祭り申し込み。吉野の山奥で、大寒から節分まで、星に、毎年の祈りをするのよ、

み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり(古今集)

ろくねんくらいつづけてごがついつかに、通うのもごえんだった。このつづきが星祭り。な気がしている。

夜、次々と、ラジオ放送をradikoで聞いた。落語を躰に入れて発酵していて噺家になっているとおもっている。単独のトークが好き。別の人が一緒で律儀な解説を繰り広げるのは、あんまりよいと思ってなくて、毒を感覚的に吐いたようなのが好き。瞬発で何が飛び出しても安心で同時に面白いとおもう。

TORABARA しわす13日

朝、澄んだ空気だった。

富士山

思惑は、各々の部屋に入っている。その1、田舎。学校時代。ある一定の定型を保ちながら、年に一度、会報が届く。ここにあるヒエラルキーには、とっくにお腹いっぱい。

その2、家族のひとの親。ただ顔を合わせていればいい用事。じっ。とリビングのソファに座る。移動する車の座席。手続きがあるんですって、1日かけるんですって。田舎あるある、只のおてすうおかけしていますじょうたい、ゆうせんじゅんい、一人一人の時間が貴重だという基本がない。このズレを受け入れたまますごす時間。

その3、本の中。極道の世界の親分みたい、この作家の、わたしたちと括る塀の内側で、作家周辺がどんだけ平伏すのやら、作家は、わたしは卑弥呼の生まれ変わり、とまで言い出したんだ、選ばれしわたし。写真が化け物みたい。有名になることがTVから圧をおよぼすことの小説版、意に介さなくてもざっと目を通す会報みたい、これも会報だったのね!定点として、知っておく。

その4、過去の葉書世界。好きなかんじ、好かれたかんじ、が葉書になって残っているけど、蜃気楼なのよ。ふらり、おたよりしてみたりして。標本なだけ、止まった時間なのか、そこへはここからアクセスして行けるのだったか

なんだっけ、話半分。をみわたして、今日も毛糸編みを進めた。

TORABARA しわす12日

朝からお風呂に入りたくて、浴槽にお湯を張って、焚いてるけど、なかなかゆっくり時間がとれなくて、だんだん夜になってゆく。

垢太郎みたいに、粘土みたいなヨゴレにまみれた気分になっていって、夕刻の、仕事終わった直後に、チャポン。と入る至福。湯気も肌色。お風呂はいいな。

ポカポカとしている夜の時間。キリトリさん、チラシの好きな絵柄をハサミでチョキチョキキリトリすること。をしたり、毛糸編みのセーターは袖を編み始めた。身ごろから目を拾って、数えて、計算する。つまり、10センチ四方を、何目で何段で自分は編むのかをはかる。ゲージを取る、といいます。何センチの袖にしたいか、考える。

毛糸編みは、野暮なサイズ感にならないように、オシャレな今どきセーターのふんいきを纏えるように。

TORABARA しわす11日

木版画の年賀状を、彫って刷ることを、再び始めよう。道具は用意した。

今日は、紙にハガキ大の枠をえんぴつでえどり描きして、図案を書き始めてみるところまでのつもりが

板に描いたらどうなる?少し彫ってみるか?色付けはどう?なんてやってるうちに出来上がりました。

版画を刷るような物好きが、美術道具店で、なんやかんや迷って、ほほう、こういうのが出来上がりましたか。

乾かしてから撮影したところ。

TORABARA しわす10日

ダルっとなってる午前中、このまま昼寝かという時に、そうだ、ゴッホ観に行ってみよう。とネットの中のチケット予約ページを見てみたら、夕方近い時間に空きがあった。

いそいそ、お化粧したり支度している間に、はっはっはっは。みたいな弾んだ気分になっている。予定を2つも3つも付けて、出発。

予約してた本を受け取る。読み終わった本を返す。西新宿の高層ビルの、地下一階なのか地上なのかわからない、グラウンド。みたいなのが各ビルにあったりして、水が噴水とかプールになってたりして、イメージはオアシスなのかしら。昔からあるよね、というHAICHコーヒー屋さんに入って、プリンもいただきました。

やっと行けた場所。従兄弟が寺の住職で、昔々、忙しい時期に、こちらの(新宿の西にある)寺のお手伝いで遥々出張して来ていた。その時分に何度かわたしも上がらせていただいた。従兄弟は、三年前に他界した。寺で名乗ったら、務めの坊さんに、ああ、OBさん、お名前存じています、とのこと。お庭を見せてもらって帰ってきた。これを何の用事と呼ぶかわからない。

故人のことを知っている場所や人と、会ってみることでわたしは大使みたいな役割をはたしているのかもしれない。寺が古いままの造りで、どことなくほっとした。母も出自が寺で、子供の頃はしょっちゅう(母の実家である地元の)寺に上がらしてもらう、これは習慣だった。ただ正座して大人同士の世間話をひとしきり聞いている時間。線香臭い菓子パンと、カピカピにお供えしてる間に乾燥した果物をいただいて帰る。

いただきものの果物があるせいで、果物は買ってもらえなかった。果物とは水分もとんでいて焚き染められた線香の状態しか知らないため、もの凄い不味い物だとおもって育った。

わたしが寺に行ったことは、わたしの潜在意識にとっての体験だったかも、泣きそうなくらい、何かが感動している。

ゴッホ素晴らしかった

初期の作品。
明色に明色を重ねる実験。

TORABARA しわす9日

サイゴンレストランで、ダナンのビールRALUEを飲みたい。注文したことないメニューをたのみたい。今年は、三回くらい、来た。

豚串焼きをのせたビーフン、というメニュー。串?は付いてなかった。

1時間だけ本屋に寄るつもりが、9階から好きな棚をじっくり見てまわって、3時間も経ってる。今年になって、やっと、欲しい本が選べるようになったので、なにか買ってみたい。いままでは買うことに力んでしまって、本屋店頭と家の本棚で温度差のようなのがあった。

手に入れたことで嬉しくなるたいけん。抱きかかえるほど、選んで良かった本、と出会えることは、真に良い。

思いがけない所、コンビニの店入り口が、緑や花の鉢売場になっている。今日はプリンセチアが届いていた。電車で、顔のそばに薄いピンク色の花ざかりよ、いいね、は伝染する。

TORABARA しわす8日

わたわたしてた日。1時間、朝によゆうがあればすべて解決しそう。追われた。時間に。

いつのまにか選んだつもりもないルートに乗っかって進んでいることを、一昨日の電話をかみくだいて、はっ。と気づいた。法というのは、底辺な邪心を想定され、それによる不利益を被らない。という構造をしています、それで、情(なさけ)が入りこまなくなっている。仏のこころ、とカイリしてるってこと。

話に何かの要素が全く無い、潤いと滑らかさが無い。という印象は、法の話だったせいか、その話し相手の世代が、加工された環境しか経験してこなかったことに因るのか。

来年は、その年初のお返事に委ねてあって、どちらだったとしても、天の声のように聞ける気がする。

いや、待てよ、なにかを探そう、空が開いている場所で、わたしを導くように願ってこよう。みたいなことを考えてた。勘をはたらかせるとき、空が開いてるところにて、空から注がれるカンカクを、言語化したのは初めて。

夜はゴージャスな料理よ。スペアリブを赤ワインで煮る。ほうれん草のバターソテー。アボカドとプチトマトとモツァレラチーズを、同じ大きさの角にカットして、オリーブオイル、ビネガー、塩胡椒。で和える。

TORABARA しわす7日

すきな街で、なかなか行けなかった。今年、でかけないままだったから、今日が初。

夜景

ごちゃごちゃ雑貨を自分に選ぶ。えらびぬいてカゴに入れた。すごく昔の話、修学旅行のお土産を、欲しいままの勘でお買い物するタイプのコが、ものすごく上手に選んでた。見せ合ったとき、そのコの買い集めたほうを丸ごととりかえてほしいくらいも、ミラクルだった。わたしは計算して、つまらなくなる。理屈で選ぶと、枠が残るんだよね、安かったから、とかはダメ。これはながきにわたり貴重な学びになっている。

今日のおかいものは、そんなに買っちゃわなかったけど勘を手繰れていたとおもう。ぱーっとしたモノが売ってるお店だった。家に似合うとおもう。