TORABARA しもつき28日

服のことの、初心に返るような、いい本を読み終えた。全ページがカラーで、わたしが服のことをいいと思い立った頃の志を、ありありと思い出した。こんな本がでていてくれないかな、と思ったままの本が、実在していた!夢は、今日着てる服で同時につかんでいます。

叶えたいことは、同時に、いつも発信しています、発表されたばかりのCHANELのお化粧品に、しゅんかんてきなアンテナを持つ。とか、そういう事。同時代の、お洒落さんどうしはビビビって、つながっているのよ。

レイチェル・ロイ著、ダイアモンド社、好きな服だけ着ればいい。

TORABARA しもつき27日

もうそろそろ、週一で通いだして、丸二年になる。ずっとマスク姿しか見てなかった人の、口を、初めて見ているか、ちょっとマスク外してたとき、見たことあったはずだけど、とにかく、知らない顔だった。口元が見えると、性格が別な人。そのひとのおしゃべりが、違って聞こえた。派手でワガママな顔付きだったなんて。

遡って、しごとだかなんだか知らないけど通ってたばしょに、人間性ゲロ以下なひとが、実に多く集まってきていて、観察しているのがしゅみだった。顔面の肉が垂れ下がって、顔色が黒ずんで、貧相なお痩な女性が、高飛車な態度していたりして、滑稽さは、どこかしこにあった。どデブで、偽名つかってる女は、更年期で、さっぱり通えなくなってた。健康だから入れてもらえたくせに騙した。約束を破って平然とするなよ、むしろ不調を患ってることに同情して欲しそうだった。てか、あんたの場合、単に食べ過ぎだろ。

女の人が糊みたいな貼り付いた意味を物事に振り始めるのが耐えられない。女の間に於ける承認になど価値は無いけど、それが短絡な断面ではなく、歴史。そのものならわたしはどうにもなっていない。

女だけの会議で、どうやるのやらご自分のエピソードを捻じ込むのが上手なひとがいるけど、9割が男の職場の、多様すぎる物事の視点と解釈がある場が、わたしにとって生きやすかった。

わたしはマドンナ。男ばかり10人以上で行くゴルフに紅一点、わたしが呼ばれた。職場にわたしは思い出をつくりに通ってたんだろうかね。

TORABARA しもつき 26日

寒いね凍える。という日のお昼に、温泉に浸かってぽかぽかしていた。露天風呂は、曇天の霞の中で入った。室内は白い。外と気温がちがいすぎると、朦朧体みたいに白いよ。

映画館へ移動した。カンヌで賞をとった、韓国に帰る、という作品。親との距離、嫌悪感と身内の感覚、やるせなかったり、似ていたり、愚かさが鏡になって自分を映していたり、血は消せない。未熟なわたしたち、親であることの未熟も。

親の限界で里子になっているコは、仮面がはずれやすい状態にある。清書、これでいいのだ、という完成は実は無くて、関係とはどの局面にあっても途上だ。

身勝手に、情というのは沸く。もう止めてくれよ、と常に思っていたはずが、不意な間。魔?に、なんだかかわいくおもえたりする。連日舞い込むメールだったり、そのうざったさに併行していて、人を面倒くさくしたらしているものの、正体を、描こうとしてある映画でした。

夜になって、からだが温まったことによる、けだるい眠気に包まれるようにして、こんな日は、くたびれが抜けるいいねむりになる。

TORABARA しもつき25日

国立博物館で現代美術を見る日。横尾忠則展、寒山拾得。

トリックスターの必要は、とても興味深いテーマだ。日付け入りで、日記みたいに大判の絵が仕上がっていく。万華鏡にたちあらわれてうつろいゆく景色、描けることの、描きつづけてきたことの、80代の境地。宇宙から、インスピレーションを受け取る基地のようなひと。

異界があらわれる。画面の真ん中に、緑色した四角。ここから向こう側の、別次元の世界が、ぱっくり口を開けている。彼岸は同時に此岸にもある、あやうさは、すぐ目の前の、あなたのいるお部屋の中にもあるのですよ。

服。建築。デザイン。画家。彫刻。

ヒエラルキーがあって、より高みを極めていることで、服なんて、デザインなんてね、りょうができてしまうらしい、かつて、野球のユニフォームのデザインをされてた。それを見たとき、負けるよね、服の人。って感想。同時に、雑な筆跡の画家の絵は、何枚も好きじゃないという感想。

自由過ぎるえがかれかた、の空間に身を置くことでトリップしそうだった。トリップしちゃうことが狙いであるらしいので見事。です。

浅草に移動して、天丼。えび2、かき揚げ。ミニビールも。

協力し合うことでお店が立ち上がったとしても、せめぎ合うのだとおもう。独善的な美しい、世にも不思議な空間を出現させる。世界中のひとが幸せな異体験をする。空間を肌でかんじることはしあわせだと知る。お店のイメージをふくらませる。

TORABARA しもつき24日

地味なことで一喜しているだけな、ケな日。ハレは、休日とか旅行へ行く日におあずけ。

しごとは、定時で終わる。しごと。にたいして客観的でありつづけることの巧妙。パッと手放してしまえる。週末よ

家族の人が取り組んでいることの不穏な気配、断末魔みたいな溜息が、何度もあった。ヤケクソな気がしてくるのはこちらで、赤ワインをぐびぐび飲まずにはいられない。しばらく、別室で毛糸編みをしてみるけど、わたしが何かをすることが無為にしかおもえない。家を覆ってしまう気怠さ。遮断するには。外出かな。この夜が、わたしにとってもかけがえない貴重な一夜だということ。

見返りがあること、技術の向上にむかうときの苦しみがあって、この苦しみは撒き散らされることが同居人にとって当然だとは、同居人の側はおもわない。歩調を合わせる営みが私の方にあるとすると、苦しんで手に入れる向上?なんだろうね、考えてみよう。

TORABARA しもつき23日

旅行の二日め。湖を一周しながら美術館をまわろう。

紅葉した山肌に、ぐるりと囲まれていて、その向こうに、雪姿のアルプスが見えている。それと、湖の上空の雲が、刻一刻と形を変えてゆく。天使がおよいでるみたい。なにかになぞらえたくなる眺め。

お天気

徒歩で一周したかった。12キロメートルまわったところで、バスに乗りました。途中に寄った美術館でも歩き回りましたので、30500歩。

北澤美術館は、2階の日本画を愉しみました。エミールガレは、万国博覧会を2度制したって。

ハーモ美術館は、アカデミックな教育を受けていない美術家の呼びかた、アウトサイダー、を集めてあった。ルソーもアンドレポーシャンも、ポンポワも、たっぷり見れてよかった。作品は良かったのだけど、スタッフは、教育を受けた方がいいですね、無駄なおしゃべり、しかも愚痴をカウンター内で続けるスタッフの男二人、この醜さは、地方ならではな気がする。ゆいいつ、ざんねんだったので、ここに書いた。

ガラスの里は、とても素敵だった。お土産の揃いかたが、よりどりみどりに楽しくて、お買い物するといいです。熱々のフォンダンチョコが、美味しかった。歩いたことのご褒美だね。

マイセンのお皿だわよ

この旅は、なんだかすごく、新しい世界に突入したというカンカク。もよりの駅に帰還して、旅に感銘があったと、なみだぐむ。外にいると、わたしはなんて祝福されているかを、肌がかんじている。なんか、すごい。

愛しの、ルネ・ラリック

TORABARA しもつき22日

思い切って、朝一番のバスを予約してる。最寄り駅で、電車に2分遅れると思ったら、電車が3分遅れてくれてちょうど乗れた。

中央道、進行方向の左斜め前に、なんと大きな冠雪の富士山!こんなにくっきりとお出ましとは。快晴、ふしぎなくらい、いい時間が、ふだんのデスクを離れたところに有るらしいと知ったわ。

諏訪大社さん四社を、お参り、できてしまう。2時間に1本とか、1日に2本だけのバスが、ほいほいと、ちょうどよく、来たのだ。公共交通機関だけを使って、ほとんど奇跡なのだ。

手前のがま口お財布は、記念品で頂ける。

温泉に入る。蟹を食べる。そして小さいお部屋に泊まった。

TORABARA しもつき21日

合間をみて、掃除。お台所の、各所を拭く。洗剤詰め替えなど。

あした、旅行に行くって日の前日は、荷造りをしながら靴下置き場の整頓を始めたり、化粧品まわりの容器を磨いたり。ととのいますな。

とにかく焦点があした、なのだ。その前の旅行から、その次の旅行、これが句読点になって、なにがひつようか。改まる。