TORABARA きさらぎ5日

今日は雪が降る。今日は雪が降るにもかかわらず出勤する。今日の出勤は、早退になる予感、それは4時の気がする。

2時に、帰宅することになった。わたしの周りは、雪に興奮気味な反応をしていて、わたしも、雪、雪。と思っていたけど、帰路の駅は普通だった。

このまま、家の中で今日も明日も過ごす為に、お楽しみななにかを買って帰ろうと思い、それは上等なナッツになった。

雪が積もり始める前に家に到着できたことで、びっくりしたきもち。こんなささやかなことでおどろくなんて。

夜の時間に、ずっとやるといいとおもっていた手直しを始める。ウエストポーチのファスナーがとうとう壊れているので、いきなり糸を切って外した。ファスナーではない留め具に替えるかも、手をかけると愛着がわく。

TORABARA きさらぎ4日

曇天。公園をひとまわり歩いたけど帰宅して家に篭っていた。

温かいココアを鍋でふつふつ沸かして、あまくして、ブランデーも落とした。

ベーグルを作る。200回、体重をかけて捏ねる。ふっと作りたくなった。

うまそうなの、出来た!

りんごのパウンドケーキを焼く。型抜きクッキーは材料を量って、いったん仕舞う。ルーティンで、クッキーを焼いたりしよう。卵の黄身でテカリがついているような、星型クッキは、おやつの基本だと思う。

外が暗くなったらワインを飲み始めましょう。暦のうえで立春。家でやることの10のうち、1、出来た。

TORABARA きさらぎ3日

節分は、一年の中で特別。とても早い時間の神社へ行きまして、境内にて朝の太鼓が轟き鳴った。体の芯が振動するほどの音。さらに太鼓の音に近づいて、連打のところで、おおぉ、節分のバイブス、これを体験しに来たのだと思った。ぐるり外周を歩いて廻って、おとなりの公園を通って、

最寄りの駅に帰る。コーヒーと真っ黒なドーナツを買って、梅が咲いてる広場でいただきました。いったん、帰宅。

晴れてお出かけ日和ですので、どこかへ行きたいのだけど、それが何処なのだろう。都内の温泉へ行くことにして、その道中にある文学館で、衣裳デザイナーの展示を見た。

こういう分野でしごとをすることのはしり。仕事の機会が途切れなかったことを眺めて、途切れない作業がたまたま事務作業ってこともあるとおもった。上流で水が涌いて、川になって、大海に注ぐかんじはしなくて、こういう川が、こういう川なまま。と思った。ご本人も、これは映画なり舞台なりのパートタイマースタッフのような領分だとインタビューでおっしゃってた。

こういう分野って、現代は、これはダメという抑制が外れているから飛躍的に自由表現が得意になってると思う。

仕事の筋と併走することに拘らなくていいということ。仕事と括らないですきなようにすごす。惹かれるほうへ没頭することで自ずと、わたしにはわたしの道がうしろにできているということ。そしてそれを展示したりしなくていい。

温泉そばの夜景。

TORABARA きさらぎ2日

冬の太陽は低いところに昇って、部屋の隅のほうまで、あかるくする、色あいのようなのが、部屋ですごしているときの、季節のかんじかた。それと、真っ暗になってから、庭をフットライトで照らしているおとなりさんの灯りが、澄んでる空気のせいか、うるうる揺れて綺麗だ。

今日って呼ばれていたところに行っていない日。たぶんれんあいにおいて痛みも痒みも味わったことがない幼稚でしかないひとのあたまは、金で。食事で釣って。或いは自分が偉いという、ひとりよがり。

嘘なパタン。待ち合わせまでのソワソワ、その時間に一体何をして過ごすか。自分のベルトを選んでいた。小さいご自分の見た目を取り繕う為の道具選びが今ですか。聞いてきょうざめした。

本物は野性味がある。他のことが何も考えられなくなる。駅に何時に来るように言って、その時間にすこし猫背で早歩き、血相がかわっている。四つ脚の獣みたいな鋭いまなざし、左手だったとおもうけど私に渡そうとしているプレゼントの包みを鷲掴みしたまま、極度の緊張がこちらに伝わる。まだわたしを見つける前の、わたしを探すそのひとの真剣さ、改札前はドームのような広い空間で、人を縫うように徘徊してる、が見えてしまった。ドキン。射抜かれる。

ひとはうそはつけない。15分余っててショップに入って自分のベルト?は今見なくてよくない?相手のことでいっぱいになれないその行為が、だいたいその後のそのひとを語ったとおもう。

しょっぱながテストだったんです。

TORABARA きさらぎ1日

TV会議が昼過ぎからあるというので、カメラチェック、自撮りモードでたしかめて、とにかく、化粧しないと。それと、こんな機会は滅多になくて、手で携帯持って、カメラを向けてたって事だけど、上から映すといい。若くうつる、下から見上げると老けてうつる、の法則。

手で持ったまま、時々どアップになったりしながら、それと背景に、紙風船のモービル、折り紙で作って飾ってるやつがぶら下がったまま、ここにはツッコミは入らない。絵画カレンダーもそのまま映った。今月の、めくりたてのやつ。会議した他の人たちは会議慣れしていて、ちゃんと固定カメラ、スーツ姿、作り笑顔が完成してるし。

昼休憩に、外せない用事がもうひとつあった。肉の日ですから。スーパーは、人混みになって盛り上がっていました。

そして落ち着いたころから、粛々と掃除をしていた。拭き掃除は、邪念までも清まる。

セーターを編み上げた。この後で、イケテル形になおしてみるかも、他にも、自分で編んだものを、みなおしてみようと思った。トライ&エラー。で、自分の才を育てる。

透かし編みと、二重の袖の対比。

TORABARA むつき31日

ふたつ。結果が予想されていてAとB。できればBがいいと思っていて、もしもBになったらあれもしよう、これも買おう、どこそこへ行こう。というのを羅列して書き出していた。ノートにね。それでまだかまだか。Bになってくれ。と待っていたわけ。

まさかBをきぼうしてないでしょ、あなたはAをきぼうしているはず。と、周りはおもうわけで、じっさい、Aになって、よろこびのこえが届いた。しかし、

Aになった場合のやりたい事、やらない事、買う物。ほんとうにこんなの買うの?これ、いったい何の約束だったの。赤ワインを地元の酒屋でいっぱい、買いたいの?Aでなくていいのに。

ところで、今日の夕刻、自転車で走ってる道に、新しい木の香り。新築の、家の柱。ワクワクするよね、家を建てるって。

朝の公園で、まんまるにふくらんだ梅の、花が咲く前の、まんまる。枝じゅうぎっしり、これから咲く時が、好き。咲いたら枯れる。

またもやBの話。わたしのやりたいことリストだったりする。1年ぶりで行きたい洋菓子屋さんマッターホン。インドの朝の香りがする香水か、MIUMIUリリーオブバレかCHANELロールージュ。イスタンブールの宝石屋さんでネックレス買う。カラヴァッジョ画集。白浜の温泉、大歩危小歩危。

Bになったらヤケクソに全部欲しいと考えたけど、Bでなくても欲しいものは欲しい。それでどうしようか、

毎日新聞の購読、朝は6時に起きる、来月は手作りの服を2着仕上げること。ノルマみたいな抱負。いっそのことAB結果にひもつけたられつをひっくり返してもいいってことにするか。

TORABARA むつき30日

どん底な気分から一夜明けて、あっけらかんと、しつぎょうしない、しつぎょうになるようなきげんのつかない、ケイヤクを得ている連絡が入っていた。

まるで不感症で、なんにもうれしくなかった。

時間が長くかかりすぎていたことも一因だけど、ここでなければ別で。変わり目は、天からの合図のように、今まで放浪してきているので、わたしは不安をかんじにくい性質というか、固定を好まなくてもやってこれた。

一つの場所にしがみ付くだけが美学ではないことは学んでいる。30年間、同じショクバだけにしか通わなかった女性の、古い畳が匂ってるようなザマ。しがみ付くことだけがアタマにある人のしがみ付き方の、ぶざま。そんなことはやらなくてもいいのに、これをやることで仕事存続があるという相関関係を間違えて、無駄な必死さを発揮していて、滑稽だったりする。

自尊心。年を重ねて過去の自分の優越感を、くり返ししゃべるしかないマシン化したような先輩の御仁方。年寄り臭の一種でもある悪臭に、鼻をふさぎたくなるかんじ。

女の自尊心は、認識の狭さによってより一層の悲壮感がただよう。なぜにそんなことで自尊心がくすぐれるのかという、脳みそ容量の、寡なさに、目を伏せたくなる。

それで遠慮してしまうわたし。口がきけなくなるパタンって、相手の想像力が乏しいことが明らかになったときに起こる。わたしから何をしゃべっても誤解され歪む時。うけとる器の無い相手に、底が抜けたままな応報、いつまでも対話以前なままなやつ。

なんの話だったっけ。とにかく祝われるような日で、夜、日本酒もいただいたけど、マヒしていて、さっぱり、めでたい気持ちではなかった。神さまは、できそうなところへ運ぶ。雇われなくても自力で事業を始める。このチャンスが遠のいたみたい、とぼんやり考えた。

TORABARA むつき29日

夜のお洋服の売場へ行こうとしてソワソワしていたのだけど、いざ、行ける時間になって、べつに。というていたいしたきもち。パッと、出かけたらよかったか、夜の公園を歩いて突っきるのも爽やかだったであろうよ、

なにかが引っぱっていて、わたしの意に介さない、昼間の電話のせいか。そのコは早口があたまいいっておもってるわけ?意味の置き方が、一行ずつズレるかんじ。いいえ、まるでまちがっている。

ケイヤクをシンサする相手を知らせてはいけないらしい所、何かをかくしながらしゃべられて、聞き取りづらい。評価という観点ではなく、作ってはいけない前例かどおかをシンサするらしい。コトナカレ、に殉じることを徹底する。みたいなサラリーマンの捏ねる、そのキョウギとやらの朧げさが得体の知れないかんじ。

風呂のフタが、うす汚れていることが気に食わないから、しばしフタを磨いた。なぜ、フタはプラスチックでできているか、そもそも、風呂場に使ってある素材、まちがってませんか、床もドアも浴槽の壁も、カビが生える仕組みをわざわざ設えて、物に掛かりきりになって振り回されているしかない。

いったいわたしたちは、なにをやっているんだろおね。