TORABARA はづき17日

ホルモンを、目の前の囲炉裏で焼くランチをいただきました。ホルモンからしたたる脂で、火が燃え盛って、網からはみ出して、火の池みたいになった。このままテーブルに燃え広がりそうな勢い。それと焦げるので、肉奉行。しばらく肉、焼いてるだけの時間。焼き上がったのを皿にのせて、積んでゆく。次々と焼き上がるから、食べてるばあいじゃない。さいしょに焼き上がったやつ、冷めちゃったじゃん。

表面だけいい色になったやつ、中身が生だった。ころがして、反り返ったところも広げて、焼きいれるべし。クチャクチャしてるけど、のみこむしかない。

なんでもない間合いで、ただ舌を噛んでしまって、そこが口内炎みたいに腫れてしまう。わたしは、わたしのからだは、かしこいから、もしかして食べすぎないように、わざと、噛んだのかも、キズになると、食べないことが薬になる。

よる、このキズ治っちゃったわ。よかった。

ホルモン焼いてた時間も、まあ、よかった。

お盆の日付けと食事。

TORABARA はづき16日

送り団子を作る日。餡子を入れて胡麻団子にした。蒸し器で火を通してしまって、ごま油で両面を焼いて出来上がり。

お盆の祭壇には、おじいちゃん、おばあちゃん、母方の従兄弟ひとりを、お招きしている気持ち。来てるかどおかは知らない。西の窓辺に、果物、お花を飾って、日本酒は憧れの土地を冠したのを並べた。白神山地(もうすぐ行く)、山形月山(いつか行きたい)。

従兄弟(20才年上)は、チョコレートと、新婚のお嫁さんとスパゲティ食べに行くのが好き、くらいしか、好きな食べ物を知らない。(昔聞いた)

従兄弟に子ども2才のベビーシッターをしてくれと頼まれて、私が小学校6年の夏休みの間中、家に通っていた。従兄弟が子供会合宿を主催すると言って、私が手伝うことに勝手になっていたりした。近しく親しいひとだったのは田舎の学生時代までで、ピタリと付き合いがなくなっている。

私に、ひとつ年上の姉がいて、一人暮らししているダイニングキッチンの床に、この従兄弟から贈られた梨の箱があった。20過ぎの頃。わたしも東京で暮らしていたのだけど、わたしとは音信は途絶えるというか、相手にされないというか。キョーミ無しってことだとおもう。

子供会を手伝っていたのは、わたしの方なのに、梨の箱。を見たことを最後に、息の根が止まってしまったみたいに、わたしはこの従兄弟の存在を閉ざした。かわいがる。めをかける。こととそうではないことの歪。

幼いわたしはただただ従順に、健気に、いとこのお手伝いをした。転じて、お呼びでなくなった。わたしの中の少女がいつまでも泣きじゃくる。なにかがだめだったみたい。

従兄弟は、自分で育てた自分の病気で、けっか、命を落とした。生きている間、ひとはぶざまだ。今世では、少ししかかかわることがなかった。

仏になった魂は、ここに寄って、桃でもたべていってね。

TORABARA はづき15日

公園に行くとき、ざあぁー、と雨になったので久しぶりに歩く。いつもは自転車。

朝、歩いたりすることが、その日のゆいいつのとくちょうだったりする。それで木立の蝉の声を3分かけてビデオに撮った。騒音みたいなジーーって音。朝のこの時間ってなんだろ、と、昼すぎの机の前で、この映像を再生している。

わたしのめざす、自分のお店開店。どんなお店?どこ?わたしは、対人が苦手で、18年、飲食経営にたずさわっていたのに、まるでツバをつけないまま、新しいまま。だった。これこそがわたしの可能性だ。

女のサガは、自分のテリトリーにツバをつける。偉くなると畳が古くなっただけみたいな存在になる。これは醜い。みにくいというじかくしょうじょうがないひとは、じぶんのゆうえつをなでつづけ、へいそくして、こうちょくして、へんなにおいのとしよりになってゆく。

んじゃね?公園の帰り道、歩道のしるしの白い線の上を真っ直ぐ歩いた。白い線じゃないところは崖なことねゲーム。

黄泉の国イメージ。お盆の祭壇のおぼえ。(プリングルス、いらなくね?)

TORABARA はづき14日

朝、床をよく絞った雑巾で拭き掃除した。素晴らしく清々しい。

シゴト先というのは、カゼじゃない、声だけちょっと変で、体がだるくはなかった日の声が変だったことをいつまでも握ってくる。ぶり返さないように、とまで言ってる。そもそもがカゼじゃなかったことは、そもそものしょっぱなから聞こうとしてなかったか。

今日は、お盆のさなか。お赤飯を炊く日。

読了した本のこと、白砂糖と圧力鍋と肉や南国果物、バナナ、乳製品、をコテンパンにやっつけるようなことが書いてあった。筆者の写真は、体が元気らしいけど10才くらい老けて見えた。食事で体を養生してゆくこと、が高じて、しろくじちゅう、食について得意になってしゃべる状況は、食傷ぎみになるようにおもった。食の模範生って、食に限らず模範生って、きゅうくつ。

食事に理想があるというより、適度な食事によってととのったカラダと生活には理想があると思った。食べ物や食べ方でだめなものをふやさなくてよい。食べ物には感謝して、目で見て美味しそうなものを、こころゆくまで味わって頂くことが、体にとって栄養になると思った。たべものと同じくらい、コトバを食べているとおもう。毒になるコトバは、食べないでお返ししましょう。

TORABARA はづき13日

急にバシャバシャと雨になったりするような日に、渓谷へ行くのは止しておく。どこかへ行きたかった。やるべきこと、お萩を作る。お盆のかざりつけ、折り紙でモビール作ってみたりした。

これはしておかねば。という家事にとりかかっているとき、自分の顔をくしゃくしゃにしわをよせたへんな顔にしている。このクセは、前は、テレビ画面を見ている時もあったため、居合わせていたひとにしてきされて、知った。

自分の様子を人に見せることが稀なひとは、原始動物のクセもおそらくこのかんじ。な様子を残しているのかも。クシャついた顔の似顔絵を描いてみたけど、似てなかった。皺というより顔面の体操。

よく咲いて呉れた。

TORABARA はづき12日

映画ショーを観に行く日。開演前1時間ですでに100番の整理券だった。早めに行ってよかったわ。熱い麦茶を水筒に入れて持ってきた。蓋を開けるときにけっこう蓋を回すので、こういう仕草は、まわりのじゃまになるかも、それでなるべく盛り上がってるシーン、火が爆発している場面で、いそいそきゅうすいしたしだいです。222分。

RRR

冒頭の音楽で、低音の歌声の、その低さよ、映画作ったひとの気合いがわかるとおもった。

からだとひきかえに。わかさとひきかえに。食事をごちそうになるとか、お金とひきかえに、付き合うとか、のちのち、きもちは反転してとてもうけいれられなくなる過去になるとおもう。商品価値が、高い、売れたね、というとくいなきもちがのこるようにおもって興じていたつもりだったことが、懺悔にしかならない。それと、「ひとのことが好きだ」というスローガンって、ひとをコケにしかおもっていないきがする。わたしはひとのことが好きではないようにおもうけど、これは真面にひとと対している発言になる。才能が好きな相手のことは、好き。1%くらいは好きなひとがいる。とおもう。

TORABARA はづき11日

電車から降りた時、また、日傘を電車に置き忘れたっ、と思って、慌てて車内に戻って、席を見たけどなくて、電車のドアは閉まり、降りられなかった。日傘は、バッグにちゃんと引っかけていて持っていたのだ。しばしぽかんとしたけど、最後の行き先が最初になったってことか。新宿。

計画が急に変わったので、通りすがりの景色が何もかも新鮮だった。片す。ことは少しだった。お茶屋さんの抹茶を買う。お菓子材料屋さんでプリンの型を買う。駅でこんどの旅行の切符を発行してもらう。

余分な所を見て歩くじかんが多い日。こういう時にちょっと見たことで、ゆくゆく欲しくなったりする。ゆとりが多いひとは悠々としている。

とてもお腹空いたので、お店探したけど、どこかしこ混んでる。あるいは空きすぎてる店で入るのをためらう。

いつもの森へ移動して、ほっとしている。ここを歩くことは、やはり好き。そして改まったよいごはんを頂きました。

手鏡を持ち歩いて、ときどき自分の顔を見てみましょう。わたしっていままでなにをやってきたか。いまなにをやっているか。リアルな事がささやかすぎて、なみだぐんだりしていた。

TORABARA はづき10日

いただいた、アロエの鉢を大きな鉢に移した日。

水やりをしているわたくし。

東北旅行するとき、お化粧品を小分けにして持ち運べる容器を用意した。お化粧品も買っちゃったわ。マスカラ下地が、スモーキーグリン色ですって。

宇宙人のシールも買ったわ、貼っちゃうわ。ノートもせっせと記す。イエス。