TORABARA むつき20日

曇りのち雨。

近所の老人と神社へ行く。老人にとっては初詣だ。電車に乗ったら、椅子に座りかけた人が、座らないでこちらに近づいていらした。老人と知り合いの、大作家先生でした。このころは何か書いてらっしゃる?の質問で、わたしはご本人のお名前にピンときて、あ、〇〇先生。とお名前を発音した。

そりゃ嬉しそう、名前を知られて呼ばれる、有名な作家冥利ですな。群像に連載、66回になりまして、胡蝶って題名に付いてる。それを携帯の画面で見せてくださるのを、どれどれ、と近寄って覗く。おぼえられないむつかしい題だわねーと言って笑った。くるくる、立ち話。久しぶりに、人と話したかんじがした。と近所老人は言ってた。

私達は電車を降りて、わたしは作家先生に手を振った。妙に間延びした間、があって、やっと電車発車。

それから参拝、それから、美味しい豚カツ屋さんへ行った。老人にとっては新しいビル2つをガイドして、コーヒー屋へ寄ったときはもう夜。バスに乗って帰る。

コーヒー屋だけど、狭い空間が若者だらけで、空気が籠って、室温は高く、もろ乾燥していていけない。これマズイ。と体感したけどまんま、帰ったら喉が痛くなってる。せっかく察知してたから、かじょうなくらい、防げるとよかった。

TORABARA むつき19日

遠くまで行っていたかもしれない日、近場にしておいて、何度も行ったことのある場所、歩いたことのある道路を踏む。おんなじかしょを踏んでて、しょっぱなに来たときの鮮烈に、ここ好き、とおもったっけね、という過去と現在が同時にあるかんじ。だった。

新しい所、水族館。ここのテラスからの絶景。

おおお、富士山!

真珠を貝の中で育てていたのを取り出す体験。取り出した真珠で指輪にしてもらったのが、とっても気に入った。

このかた、かわった顔してらっしゃるねー

長谷寺は、以前はいつ来たのだったかな、まるでなにも覚えてなかった。静かにして十一面観音さんと対峙するひととき。お堂の、日光がさしこんでいないところにいらっしゃるお姿を見上げる。奈良のお長谷さまは足を直に撫でさせていただけるときがある。面影は、似てらっしゃる。

右横に弁財天さんの洞窟があったのね。大黒天さんを撫でてご利益があるのね。ここに来る時は、100円玉をじゃらじゃらがま口財布に用意して、ありったけばら撒くエンターテイメントとして参拝するといい。ケチるから参加しないのは勿体ない。呉れ呉れとどこかしこに賽銭箱。おもちゃのおかねでおかいものゲームしてるのかもよ。

高徳院へ。

この後、ハイキング道に入り、宇賀福さんの所へ。とにかく、巳の日がお祭りで、それは昨日だったらしい。それでは昨日ならばご縁濃く結ばれたのだろうか、朝は、江ノ島神社さんで銭を洗ったばかり。一日のうちに二回も、銭、洗わなくてよくない?もしかすると、威力が掛け算になったりして。

夕陽を稲村ヶ崎にて、温泉に浸かって眺める。夕陽が海に筋をつけているところの、写真は無いのよ、電池が少なくなっていて、フリーパス券を表示させる電池を残しておかねば。のストレス。電子機器よりも、チケットは紙にかぎるよな。

この旅もとても、よかった。

TORABARA むつき18日

今日は午後から旅。

旅をすることで畳み仕舞う。ような心の所作があるとおもう。

午後、すでに旅は始まっていたかも、家の中のそうじ、掃除機の掃除。水回り排水口を、ピカピカにキレイに整えた。ゴミを除くことで棘を抜いたような、トレた感じ。これがすがすがしい。旅に行くことと同種の、すがすがしさをひととおり家の中の分を、終わらせて、出発。

おそくなっちゃったわ。

竜宮城みたいな、夜の江ノ島。

お宿に到着して、ドリンクタイムが始まる時間まで、すぐそばのデパートを散歩して、3駅先が、江ノ島。ふらっと行けるなんて、くせになっちゃって又、来れるといいな。

昔の007をBS放送していたり、まったり寛いだ。温泉は、湯河原から運ばれているって。なんだかいい夜でした。

TORABARA むつき17日

朝は、梅がもう咲いてるのを見て、澄んだ空なら、富士山をたしかめる。

早咲き。空の青さ。

予約していた本を受け取りに行ったら、近所の老人が雑誌を閲覧していた。立ち話もなんですから、とミスタードーナツのチョコ&ブラックのブレンドで、しばし近況をしゃべった。

ひとの、うまくいっていないところに、首を少し。つっこむ、覗き見なしゅみが、げんざいに限らずマスコミを膨大なゴミ溜めにしている。わたしに、うまくいっていないところ、を、話題にされることは、このマスコミに向きあうときの覗き見根性の延長かと、むしんけいね、と申し上げたところ、

つまり、しごとをしなくなることにより、時間ができるから、ゆとりが多くなること。遊べる。ことへの期待があるらしかった。

考え方のクセをほどくようなじょうきょうが、くり返し、これでもかというほどおこることは、人生の祝福だったりして。

TORABARA むつき16日

朝は公園へ。夜はスーパー。好きなように夕ご飯になりそうなものを買いましょう。葉っぱが大きな容器に入ってるやつ。木の芽天ぷら。ポテトサラダ、ほくほくとした仕上がりになってたやつ。

あしたの昼は、アボガドと小エビとチーズで、サンドイッチとかしよう。これも買っとく。

気分が急にらんらんとして、晴れた顔になったりしている。こういう、バイオリズムは、星からのえいきょうなのか、しばらく低迷した気持ちがつづいていたので、そろそろ明けるのかも、みたいなことを、ふと笑みになった一瞬で考えている。

前途について。一体どうなるの。かっこうつけたことをいうつもりはない。本日時点ではどうにもなっていない。

TORABARA むつき15日

出社するときに、どうでもいい格好をした。凛としたお洒落するといいのに。内側に籠っていたい日は、構わないで。という発信をファッションによってやってる。

この頃、店の鏡はマジックになっていて細く映る仕掛けなのだな、これをいいとおもうなら、じっさいほそいひとになってしまいなさいよ、なんか、ゆたかなたいけんをしたい欲よりも、ストイックなじょうたいから、たべるよろこび、おみずがおいしいね、ごほん、よむと、たのしいね、を、じゅんすいに、あじわいたい。先ずは何もかもリセットして、物事は新しく鮮やかだと感じたい。

4歳になったひとが、3歳半まで、いっこも言葉が喋れなかったって。言葉のまわりにあるものを広く、蓄積をしていってたのかも、末恐ろしい才能を感じる。よくぞ待ってあげられたね、母も父も、凄い。

TORABARA むつき14日

バスと電車で、ほんのお隣の県へ移動するだけなのに、往復で7時間も、公共交通機関に乗ってる。それと、今日は、違和感がマヒしているけど、なにもかもひっくり返すような思いも沸くとおもう。わたしが何をどのように考えるかを確認するきっかけになる。

お金に照らすしかない美意識は美しくない。保証書の付いたような、桐の箱に入ったアクセサリーに、わたしの心は動いていない。あたりさわりのない会話すぎて、かえってかくそうとした言い回しを言い当ててしまいそうだった。

血のつながりをふくんだ中での仲良しごっこは、ぬるいね。

そもそもの結婚に、向いていないところ。育っていく中で係った親戚やら田舎やらへの嫌悪。膿のままの傷に蓋をしていたのに、取り出して抉られはじめている。ここに葛藤がある。あるいは、葛藤するかどおかを、選ぶ時。わたしは、言語対応能力を多分、仕事を通して身につけた。それで牽制球の敬語が、思うまま操れているのだ。だから、ぬるいつきあいも出来たりして。な話。

TORABARA むつき13日

動物園にあそびに行こうと思って、乗り換える駅で改札を出たら、傘さして歩いてる人がいて、はて、今日雨っていってたんだ、予報見てなかったけど、雨。ならば動物園行くのは中止。

それから、屋根のあるお店に入り、棚を片っ端から見て、欲しいものあるかな、延々、物色していた。ここまでだらだらしたのは、何年ぶりだろう。だいたい近年は、しゅぱっと目的地へ行く。という行動をするようになった。余暇とは無駄。とすると、まさしく、ずるずる、お腹すいてきて昼下がりから生ビール飲んで、タイ料理に舌鼓して、また喉渇いたから、コーヒー屋入って、プリンも食べた。

極めつけが、ふつうのノートよりも10倍くらいの値段の、トルコ製、まっ白な手帳を入手。今年への気合いだわ。

文房具って、無駄に買ってもらえなかったため、ほんの少しの贅沢が、もの凄く潤わしくおもえる。同じ位の額面を、かんたんに美容品につかうのは、平気なのはなんだろ。

イルミネーションが、美しかった。