TORABARA かんなづき4日

週末に突入するさいの、興奮があった。空気圧がちがう時間へ、いざ。

ポシェットを作った。美術館に行ってロッカーに荷物を預けたじょうたい、限りなく、手ぶら。ポケットの付いていない服を着ているときの、ポケットな存在。を作ったってこと。念願の留め金具を使った。

すいすい、作った。

TORABARA かんなづき3日

雨も降ったりした日。植物が元気なので、わたしは励まされている。外には、野鳥の声。いつだったか、近くで姿をコチラに見せに来た鳥。視線の先の電線に止まった。白黒な奴、尾が長い。鳥の態度が近しいかんじ。とても。

夏、足袋を履いてるみたいな形に足が灼けてしまった。ミュールを履いて、ハッとした。朝公園へ行くとき、日焼け止めクリームは、まんべんなく塗るべし。

四角い形したような変形スカートを穿くとき、パリっと糊づけすると格好いいと思った。四角を強調するので。

常に進化してゆく。日進月歩のひと。

旅をしてまわることをハレだとして、ケのときにいかに巧みな技を含んでゆけるか。

野菜だらけのレシピを、何品も作る。ケの所業で、やるべきはこういうことよ、しっくりくることをさがそう。

TORABARA かんなづき2日

おつとめで、朝、電車に乗る。仏教美術の本を読んでた。教科書ふうに書いてあるけど、書いた人の主観を振りまいているいんしょうが随所にある。ここまでくっきりとした分類が出来ることではない。統一した解答になろうとする筋で書かれてしまっている。

そもそも仏教の成り立ちを、律令国家ありきヤマト化されたことに沿った流れで捲る、たしかに流れではあるけれども、日本にある信仰のかたちは、地域特有の深いルーツあってこそなのだ。寺という存在を政治的側面からしか判じない、受験用に均質的数値化をすすめたような本文は本質を逸していた。わたしが欲しい知は、別なところにある。日本の、仏教とは。

茫漠な中の、句読点は、重層的に美術館へ通ったり、実際に寺とか土地を巡ってゆく中で、探ってゆこう。

以前に、うす暗い部屋でおぼろに拝ませていただいた、向源寺の十一面観音さんの、アップになっている写真が見れて、よかった。

昼はハンバーグ。夜は、モールの散策。あれこれ服を試着した。幅広く、いろんな格好をしてみよっと。開眼するみたいな愉しさだった。

早く帰ってらっしゃい、と連絡入る。美味しいミートソースが煮込まれていた。いっぱい食べた。

またしても返礼品ってページをがむしゃらに検索。街を出歩いても、でくわなさそうな珍しい品物が、奇々怪界にならぶ。日本って、こんなに広いって、知らなかった。かも。

TORABARA かんなづき1日

オキーフのカレンダーをめくった。今月も、とてもいい花の絵。空色も入ってる。

夜、買い出しの日。帰宅して即、ワイン飲む。間合いの息の仕方というのは、相性があるとおもう。タバコでもいいのかも知れない。アクセクしつづけているような人。という観察が家の人にある。その詰まり、を今後どうするか。

わたしがバックヤードに置いてきたような事柄が、現役で起こる。邦楽の、典型的な歌謡曲をループで流してみたり、それらのカラオケが好みだったりする、家の人。保菌者っていうコトバが近いかも、昭和の熱を持ったままなひと。それはわたしにとって、俗なことは垢。ノイズです。時間をかけて、わたしはマヒし始めているか。

ワインで誤魔化しているか。

ワインは、美味しいとおもっていただく。詰まったようなじかんを砕けさせる、魔法のようだ。

買い出したものを冷蔵庫にしまう。それから、ラーメンを食べた。早寝した。

TORABARA ながつき30日

一途か半グレか。そりゃあ一途こそ好ましいとおもう。昔は悪かったひと、或いはしょくぎょうが反社会的、だった人の自伝を読んだ。にじむのは、人たらし。っていう気がした。人と人の間に生まれていて、およそ人との関係がむすべないことと比べて、人。に突進して絡み、人についての学びを築き上げた。

前に、テロリストの外人が、日本の中古車販売で2年で2000万円稼ぎ、テロ資金にしたニュースを聞いたけど、先ずはよくよく人たるや何なのか、知らなければ人に営業など出来ない。そこから進んで、政治信条があるっていうのは、頭の出来が違うよな、という感想。

お金が、すごく稼ぎたいのにいまいち、稼げていないことが壁で、壁止まり。というところと比べたときの、自在感。

善悪というのは、生まれた背景、その国や年代の教育によって、造られたもの。になっている場合が多い。あれはダメこれもダメ。と、縛り上げるパターンは、多い。しかしながら、動物としての人間という種。は、どうあることが自然なのだろうか。種として、生かしきる。きょうちがあるはず。ということを、私は考えている。そのヒントを、ひとまわり大きいスケールの話を読めた。という読後感。

この本の延長みたいに、今日は、不動産屋さんに連絡を入れて、こうあるべき。という提案を申し上げた。話しようによっては崩れるのかもよ、ボーダーって。いっこ、叶った。賃貸している家の設備で、こちらが勝手に新しくした換気扇フィルターを、買ってもらえるって。言ってみるものだわと思った。

TORABARA ながつき29日

夕顔が咲いた日。

朝から、今日は咲くよね、というつぼみを見守り、外出中も、家に帰るのが楽しみだった。

家のことを午後3時ちかくまでやっていて、根菜の調理、半身浴。洗濯。少しになってしまったけど上野へは行きたかった。慌しかったから、なにみたんだかわからない。

高山植物の展覧会。山へ、お花の時期に行くと楽しそうだ。コマクサは、女王らしい。
ハイマツは、ホシガラスに種子を運んでもらう。ホシガラスは、運んだエサを、土に埋める、それを忘れる習性があるらしい。
先日の弥陀ヶ原でフィールドワークしたときの、一枚。ハイマツの写真です。

話がつながりました⭐︎

ヒロコマチコさんの展示も見ました。本人が描いている姿のムービーもあった。他にも、絵描きさんの展示があった。

マルチカラーの絵。たのしいね。

画家の人、に限らず、何故にそういうのが成り立つのかふしぎ。当面の目前の稼ぎ口を求めて、食い扶持にする。という、私は生活運営にあたってこれをしてきたとおもう、このこと。から、インスピレーションか何か知らないけど、人の世を離れたかしらないけど、まるで別な思想の軸で、生きるという営みがあるらしい。その道しるべは、天から宿るのだろうか。なにかしら声が聞こえてくるのかな。芸術活動だけをしているひとの日常に、普通の会話はあるのかな、むっちゃ俗な、承認欲求とマウント。に太く繋がっていたりして。

いろんな人を観察して、それをカタログをめくるみたいに眺めている。何にでも成れる。まだわたしがなにものでもないから。

という、可能性のはなし。

TORABARA ながつき28日

朝のうちに、クラシック音楽を聴きながら半身浴していて、かなりたっぷり汗をかいた。そしたら息してるだけで気持ちいいコンディションになりました。

板谷波山の息子は、家のアトリエの、陶片が遊び道具になって育った。梅樹さん。モザイクアートのあじわいが卓越しています。塗り絵にしたいわ。アップリケの図案にしたいわ。と掻き立てられる、ワクワクな作品群でした。横浜水道局の玄関先を飾っていたタイル絵。

お出かけよ。神社さんの境内も歩きたい。フランスのパン屋さんで高級なところの喫茶に入った。中央の大きなテーブルで、ひとり客は座る。左横には美しい着物姿のマダム、右横には正統派なお洒落をした若い女性。こういうお店に、たまに行くのはいいね。パン屋さんが焼くシュークリームも、美味しかった。

空の展覧会へも行った。こちらも、見応えがありました。ごきげん。

今日は、家まわりの草木伐採の日。雑草どころか雑木が生い茂る、力のある土ってことか。住処をうばわれた、それはそれは大きなカマキリさんが、ポストに退避してらした。おひっこしになって申し訳ないけれど、気に入る草地がありますように。

TORABARA ながつき27日

あんまし歩かなかった日。朝、公園へ行かなかった。夜は、物品を選ぶ時間。ネットで、返礼品という名前のやつ、を延々検索していた。

よっぱらってもいた。家族の人とは、時間の内容に求めるものが違っている。画面の動向を見て、口出しをするものの、あるいは「打つ」そして頃合いを睨んで、利獲、あるいは反対の方向に行きましたと言って、イライラを募らせたり荒げた声を出す、机を叩く、悲壮そのものになる。時に、体調までも悪くする同化。ここでお金を得たり失ったりしている。

画面は、もう4年も見続けている。隙がないとかで、身の回りも部屋もトイレや風呂も、掃除をすることが一切無かった。家に帰るなり画面の前に座る。手を洗わない、うがいをしない。汗かいて臭いのにシャワーで流さない。さすがに

匂うんですけど、臭。と私は宣じた。すると、口出しされたとかで家を出る、とのこと。バンザイ。そうしてください。わたし、かせいふではないですし、洗いものが二分の一になるヨロコビ。家の汚れ、家の中で煙草吸われる不快から、開放されるバンザイ。なはずが、家を出ないまま、今に至っている。

多分、時を読むとは、やることをやる。という営みがあってこそ。見えてくるという感覚、性質というか、経験則から言うと、掃除、という営みは、抜群に人の運気を上げるとおもう。わたしはそれを知っているのであり、実行してもいる。

わたしの時間の過ごし方は、創造的なようそを欲してると思う。毛糸編みが進む。クッションカバーを作る。金継ぎを始める。着たい服の型紙をひき始める。等。

真横で、あー、だの、うー、だのと翻弄を被る側で、やられてるひとを尻目に、わたしはわたしの崇高なカプセルの内側で、机を広くつかって、わたしのしごとをしなければ。これがゆくゆく出来るようになると、いい。と思う。今は、

カプセルを構くために、どうするかを試行錯誤している。寛ぐ、緩む、という要素だけがある時間。まあ、これもいいのかな、気に入ってるワイングラスにいきなり上等な赤ワインを注ぐ。カプっといただく日課。ガシガシ、何か作ることを、近年お休みしている。