TORABARA ふみづき18日

夜、旅立つ日。ぎりぎり間に合う電車、の一本前の電車でバス停に向かう。バス停は、待合室がほとんどないというか、野外で電光掲示板を見るかんじ。若者が中心的客層で、声高めな熱気で犇めく。ほんの10分いただけなのに、早く、バスに乗っちゃいたいよと思う。

来たー。盛岡行き。席は申し込み順で決まるのか、3列の真ん中。そしてカーテンが無い。そして冷房の風が直撃して寒い。席が互い違いで、意外と広いのがよかった。なんか、戦い。斜め後ろのコが、いつまでも荷物整理していて、ビニール音、シャラシャラしている。夜中になって、咳をしだす、後ろの方のひと。これもしつこくて、わたしはマスク装着。予防な。夜中に、いよいよ冷房が肌にさわるので、リュックから雨具のマントを取り出して、ブランケットみたいにかけてた。

サバイバルな、バス。休憩SA、2こめの、多分福島県で降りて、美味しいヨーグルト買えたわ。朝ごはんになった。

なんとか目的地に到着いたしましまし

TORABARA ふみづき17日

夜、映画を見た。これが、よかった。ラストシーンがあったことで、それまでの光景を思い出すだけで泣けてくる。まるでわたしが経験してきたみたいに、光り輝く思い出、もう失われてしまった。見終わってから、何回も泣きそうになる。

お友だちが恋愛感情になることがあっても、それで付き合うのは奇跡的だとおもった。だから、付き合ってたことが奇跡。恋愛と結婚は別。とくに女が、世知辛い世の中を知ってしまっていて、普段、殻をつけたまま、自分をガードしているコにとっての、伸びやかな蜜みたいな男。は、好きすぎるでしょ。というのが伝わるのであり、泣ける。

自分が失ってきたものと重なるから泣ける、というより、わたしが失ったと思える映画のリアルなかんじ。

四次元に真空になって保存される、その映像は、くり返し再生される。恋することの讃美歌のようでもあるし、恋を経た人の、諦めた草臥れ感、これを大人になったって言うのかもしれないけど

戻らない時間が煌めきすぎることに、泣けた。

TORABARA ふみづき16日

近所老人と、月初にレンラクして以来音沙汰が無いことに、はたと気がついて、毎日レンラクを入れるひとがいないひとの所在は、知られないまま、なにかあったのだろうか。家の電話から電話して、LINE入れて、携帯電話もかけてみた。つながらない。

つながらないってなんなのか、と、トイレ入ったら、10年きれたことがない電灯が、点かなくなった。なにかこれは不吉なのかと、ますますそわそわした。わたしの第六感をかんじようとして、へんなかんじするか、しかし、わからん。それでシャワーを浴び始める。

そこに電話のベルが鳴ったので、髪も濡れたまま、裸なまま、受話器をとる。相手は、近所老人だった。普段と変わらず、むしろ元気だからこそ知らせが無い、というかんじ。

トイレルームの電灯は、厄の身代わりできれたのかも、起こる現象は、しゅんかんで、すり替わるのだったりして。わたしが見ているショーが、見る可能性が幾通りもあって、紙芝居がすり替わるかんじで、近所老人が消滅するストーリーが、パッと、元気バージョンになったようなかんじ。

この日の、ちゃんとなにかを羽織らないで、髪ぬらしっぱなしな時間があったことによる、身体の冷え。が生じた。気をつけて過ごそう。

TORABARA ふみづき15日

夜、お買い物へ行く。今日は、セールなのだ。家族のひとが、いろいろ買ってくれた。高級アイス、3個。他。

読んでる本の話、ジャンルは、自己啓発。読み慣れていて、読みながらなんにも考えてないっていうか、いくらでも読める。

とにかく一定量のなにかを、毎日続けなさい。体を鍛えなさい。というのが提唱されている二つの柱だった。

本に何度も、「ひとに好かれようとしなくてよい、いい顔をしなくてよい」とくり返されてるけど、そもそも、ひとがわたしをどう思うか、にわたしの軸は無いきがする。

わたしは、なにか的を芸術的かどおかで見ている。それがわたしの質。質とは資質で、わたしはより一層、芸術領域に邁進しようと思っている。なんていうか、言葉にまだならなくて、芸術の話しはまた改める。

TORABARA ふみづき14日

夜中に、あたまにきて、とっさのしょうどうで押さなくていいボタンを押した。なんかね、キャンペーンとかうたっていて、いまいったい何のキャンペーンに申し込んで、いつ終了するか。今日は、間違えた。これからはメモして、ちゃんと、ポイントを貰おう。

いいよ、次回また、もうしこめばいいよね。

お昼にいただいた、4種チーズのピザ。

朝のしゅっきんのとき、地下鉄24時間券を、昨日の残りを使った。

夜、温泉の予約とっていて、行く。あっけなくよやくしたから、忘れないように、今日は温泉行くんだよって、自分に言ってる。このきおくのあやういかんじが、まさかのキャンペーン解約衝動的行動につながるというか、おぼろなきょうのわたくし。

温泉の受付女3人が、自分たちが受付業を担うビルの所在地が不明、方角が不明、なことに驚く。いったいひとは、なにに忙しいのだろうか。ビルの目の前にバス停があるのだけど、その名前も受付の人は間違えてた。この、へんなかんじが、わたしの解約衝動的行動へとつながったか、なんなの、あんたたち。みたいなここち。

温泉の空間は、とても気持ちよかった。

慣習的な方法ではない帰路で、旅行みたいに、窓の外の景色を楽しんだ。お台場は、宇宙。未来。を予感するような、とてもとても好きな土地です。

TORABARA ふみづき13日

そういえば、おいしい冷やし中華を出す店があったな、6種類くらい、白キクラゲだけを乗せたのとか。そのお店へ行きたい。わたしが通ったしごと先のそば。久しぶりに行ってみよう。

まずは、神社さんへ。来週、旅するから、無事を祈る。

鳳蝶が出迎えてくださいました。歓迎のしるし。黒アゲハさん、紋白蝶さん、紋黄蝶さん、青い蝶。いままでも、いろいろおでましいただいた。

ちょうど副都心線が開通した、といって昼休憩に新宿3丁目への往復したひとがいたよね、道路からいきなり階段を下りて改札だったはずが、真上にビルが建っていて、更には、そのビルに年季が入っていた。そんなに時間が経ったんだっけ。

中華の店は、さいしょに座った席を、移動するように言われたことで、動転したというか、メニューの麺、のページに冷やし中華が無くて、ジャージャー麺、牛めし、のセットを頼む。落ち着いて見たら、ちゃんと、冷やし中華の特設ページがあった。なんのこっちゃ、すごく冷やし中華の口になってたのにね。何食べても美味しい、けれども、目的はセットじゃなかったので、また来るか。と思った。

江戸川橋へ。凸版印刷博物館へ行く。黒、濃淡のチラシが格好よかったから。ドイツの、卓越した印刷技術が、文化を牽引した。この印刷による再現能力があるからこそ、今世に、鑑賞のよろこびが伝わった。同じ版を、別な項目の分類によって、町田国際版画美術館とか、東洋文庫ミュージアムで、見たっけ、なんだかんだ、見てるね。という感想。

おいしいコーヒーを求めて、神保町へ。タンゴ音楽がかかる店。昔から存在を知ってて入るのは初めて。ワインケーキという名前の、とにかくお酒が効いていて、ほろ酔う。

散策は、おしまい。帰宅して、家のひとと映画みたりして、休日は、おしまい。

TORABARA ふみづき12日

朝8時から、ヨガクラス。

先生はスタイルが良いひとだったですが、床に寝そべり人の体を見上げたとき、肉が、その量がたぷんたぷんに見えました。昔、脚立に上がってるひとを、脚立の足を支えながら見上げたことがあったけど、細いひとだったのに、鼻の穴がでかいみにくいひとに見えた。肉の重力が見える視線は下から上。上から下って、写真撮る場合もいえるけど、だいたいわかくかわいく映る。

ヨガ終わって、ぐずぐずだらだらした。うたた寝をして、昼すぎてた。早朝ヨガの時は、身支度をスタジオで済ませて、そのままお外。のお出かけすると有意義。

夕方近くなって、古本屋へ。引き寄せたいかんしょくは何だろう、バーの、ママの、かずこさんが、いい本を見つけたのよ、と見せてくれた、ニューヨークの本、あ、これだったかもよと出版年月見たら合致してる。

民族特有の手工芸がお店に並んでいて、そのお店にゆかりのある方が出版されたという本、かつて見たことある本を、いよいよ手に入れたい。

古い刺繍の本とか、生活のことが書いてある本を、買いました。

ワインを、3本選びました。古本屋とワイン屋へ行く、休日の夕方って、よいね。

夜の時間は、ビデオを見て過ごす。ドレスがゴウジャス。ストーリーは破綻してた。クセになって見て、見終わると何みたんだかわからなかった。

TORABARA ふみづき11日

金曜日。重ねて届いた、父からの手紙。わたしが突きつけた内容を、かみくだいたわけでもない勝手な言い分が、ツラツラ書かれていて、

お互い、ここが限界だということに対して、なのかな、わたしの体は涙ぐむような反応をした。

田舎のベースが、陰湿というか、呪術的というか、霊界に属していて、物事の道理に、合理的な要素が薄い。ただ漂うひとたち、朦朧体のようなものか。今回の、惨事としか呼べないような、父のシロウト本の出版。その内容を詰問することで父の時代錯誤を悟る。わたしが、離れたかった感性の正体が露わになってゆく出来事。

ところで、雨具のマントが先日から見当たらない。干したとき庭のほうへ飛んだままか。家のまわりがぐるりと庭で、ぼうぼうの草が2階にとどきそうな勢いで茂っていて、とても足を踏み入れたくない。のだけど思い切って、庭に入る。じつは、雑草地帯の歩き方を知っている。根を横倒しにつっかけで踏んづけるのだ。つかんでいい草を、瞬時に見分ける。擦れそうな草を除けるため、服でおおわれたところで肌を守る。

とにかく、マント、あったよ。よかった。