仕事して終わったとたん、酒。鹿児島の天文館にある酒屋で、青バナナの香り、という芋焼酎を入手したのが今、家にある。コップに注いでぐびぐび飲んでべろべろ。ふつうは、たっぷりと水で割る。と教えられる。へえ。そうか。と、水もぐびぐび飲んだ。
酔っ払ってるだろ、おまえ。
その酔いをさますみたいに、結局、酔っ払ったまま、もう寝ろよ、と家の人に、寝室に追いやられた。
手繰る話は、わたしが経た、それじゃあわたしのたましいは七分だろ、という体験。何をするために生まれてきたか、才能が明らかなひとが、下拵えをしつづけるひとを求めて、その枠に居た。もっと昔に、わたしのバイト先の、板前がいる料理屋は、序列があけすけでカウンターの最奥が板前。順番通りで一番水場に近い見習いは、延々と、人参を、丸くくり抜く道具で丸くくり抜き続けていた。
その序の口。みたいな分際を、延々と続けかけていたわたくし。はた、と気づいて、離れた。七年かかった。いったい、どういうお役目でここに呼ばれているのか。延々と、あんたは虫が七分のたましいって程度なのだと決められる、みたいな扱いだった。
なぜそれを味わったのか。わたしの生い立ちに、その鍵はある。おまえなんて。底辺な身分である、経済貧民な父が、わたしに分際を刻んだ。その貧相を、わたしが演じた。と、現在の私は解釈する。
わたしは、果たしてわたしは、父が閉じ込めようとした、その底辺が相応しいか、ごめんなさい、父よ。底辺なのは、あなた、父。です。
卑しさを克服するためにこの世に生かされ、その課題が終わらないから、いきながらえている。そのあがきの飛沫が、詩集になって発刊された。死臭、と同じ音の、それ。
年初からの異和感を、何度も取り出して考える。
わたしが、下拵え役にだけ、埋没させられ、わたしの時間をわがものに操られつづけていたら、悔いしかうまれなかったであろう。決別したからこそ、やっと、血を吹きかえし、
命が輝くというもの。それを存分に享受する。できることは、ぜんぶやる。やれるだけやる。