しゃべり慣れている相手とだけお喋りしていたひとが、気を遣ってひととしゃべった、ことで、しゃべり言葉にしなければ、というスイッチが入って
入りっぱなしになっている日。
うるささを、蝿の文字を使うのって、まさしくこの、ブワンブワンと脳内を駆け巡る、しゃべり言葉製造マシン化しそうな〝it〝を表現してると思う。うるさーい。
久しぶりに庭園を歩いてみたい。朝早いと、年寄りが群れになって庭の解説する、そのひとも年寄り。なガイドツアーが開催されて、よたよた。どんより。覇気とか活気とは違う、家の中に居場所が無くて外に出てきちゃったひとたちの臭いだった。足早に通り抜ける。
石でできた橋は、いい風が吹き抜けて、いい処だった。月見とかするらしい橋。
すぐそばの本の、ミュージアムへも行く。とにかく私の脳内の騒音。昨晩の会話を続けている、まるで読んでる文字がはいってこない。やり直し。最初から展示されているテキストを、ちゃんと読む。何度めかでやっと、ああ理解した。という症例っていうんですか、これ。
次。美術館にはいってるホテル系喫茶にて、サンドイッチ。迎え酒みたいにグラス、白ワイン。お庭におちる木漏れ日をぼんやり眺めた。まだ、脳内ノイズが消えない。そしてここのボーイさんがヌシになり過ぎていて、知り合いかよ、みたいなサービス、古風じゃね?今日、これは居心地が悪かった。
念は、歩き回ることで振り落とせるか。さらに上野駅から湯島駅への通路みたいに、動物園に入って通過しただけ。人混みが、ひどくて、あんまり見えない。象さんは、象の国みたいに、象使いのひとにつきっきりに世話を焼いてもらったり、お絵描きやボール遊びを教えてもらうほうが幸せなんじゃないか。同じ動作を繰り返す丈なようす、右左右左。見ていられない気持ちになる。可哀想。
いま、いちばんおそれている動物の、白いやつの、写真撮った。
明日から、山に行くので。
夕方、帰宅して荷造りをするはずが、さっぱり、手がかりがさがせないような気分。1時間、半身浴する。ごぼうと鶏肉と長ネギで煮物にした。春雨も入れよう。
それでまた、ぱったり、荷物どうするかあたまがまわらない。父に電話して、前回の旅の話をした。父は本を出版するらしく、わたしの描いた絵が表紙絵になる。何年か前に描いてたやつ。奥付けに、わたしのことを紹介する文を載せるとかで、捏造じゃねーか、みたいな思い込みをツラツラ言ってて、ゆだんならない。ちゃんと校正させてもらうわ。
いったん、寝る。