ヨガへは、1年間通おうとおもっていた、その縛りから解放される日。最終クラスは、スクリーンで放映されるのを真似るやつ。月4回を、パーフェクトに通いましたね。よしよし。であり、やれやれ。だった。節目を記念して、以前、イマイチな習い事をしていた地、笹塚へ行きたくなった。それでチャリで行ったのだけど、
一体、行ってどうなるか、全くの無駄足だった。わたしは昔、この町に住んでいたのだが、駅まわりの商店が様変わりしていく。なんでもない日常の中、リビングルームみたいに通ったドトールは、同じ系列の、気取ってる方のコーヒー屋になってるのか。そこの接客してたコが、十字架を顔に描くようなメイクしそうな、赤いシャドウ塗ってコスプレしそうな、なんか生意気なふんいきで、正直気分悪い。ここで過ごすフィーリングを害してしまった。二度と行かない。
椅子の横にコの字型の机があって、通路狭くて、そこを通った女の髪が、わたしのホットココアカップの中に落ちた。嫌ー、な場所は、こういういやなことが起こる。と、メモした。
友人は、とっくにいない。というか、いったいわたしをなんだとおもっているか、ウンザリしてきた歴史。「あんたなんてこんなもの」と言っておくことを親しみだと勘違いしているひとは多い。全く、なにもおもしろくない。特に年老いて、体が腐りはじめるのか、腐った感性になってゆくひとが多い。その、「腐り方」を、取り出して、観察しているような物思いを、最近している。
自称占い師、という要はおばはん。が、お金盗っといて、こちらを値踏みして形容詞並べただけ、みたいな占い結果を言ってきた件は、酷かった。その後も、知り合いであることが続いたのだが、こっちをなんだとおもってなにを言ったんだよてめえ。という気持ちを、わたしが含みつづけていた。知らない人に戻して下さいと念じる。そのひとの価値観で、こちらを照らした結果をやすやす口にしてゆく、おばはん属。思想活動には階層がある、位相?ともかく、価値観の本体が低迷してて闇いひと。
長年知り合いだった人も、思うようにならない出来事が重なったことで、取り返しがつかないほど、性格を拗らせてた。礼儀を、わざと壊したような横柄な口をきいていて、彼女は全く、親しみ、に着地しようとすらしていなくて、ただれた精神、ただ本音をそのまま吐いてるだけ。相手の生活力に劣性があるか、を覗き見して確かめている、という腐り方だった。ごめんだわね、お付き合いしていらないよね。
島にいた人は、判断能力が乏しかったのだ。わたしは、傘を落として、翌日傘が無い。それでホテルで傘を調達したい、ホテル売店は、目の前に傘がぶら下げてあるのに、わたしに渡すことを固辞した。これはお客さんの忘れ物なので、渡せません。それをわたすとしぬのか。サービスするひとのかたくなさなんなの。
ひととのきょりをとる。わたしが取り出すサンプルから、つまりは、きょり。について学びがあるとおもっている。

山茶花が、出迎える。わたくしのおうちの前。