TORABARA ふみつき9日

あわただしい想いが駆け回ってる日。

料理人で腕を奮うひとの、補助的な役割のひとがいて、延々と、人参を小さく丸くくり抜く道具で、下拵えをし続けている。わたしがバイトした本格日本料理のお店に、カウンター内陣の板前さんの末席に、下拵えやさんは居た。細くて小さい男の人。眼鏡かけてヘラっとしたひとだったとおもう。

下請け、というか、末端作業員としてならば、服飾の業界に居られたのかもしれない、途中で離れた後ろめたさのようなのはあって、6年も7年も、内職とか食えない額を平謝りしながら得るシゴトなら、やったと思う。つづけてたら、なにかあったのか。

預言で。あなたは、やるべきところをまっとうしたのです、と言われた。

代わりのきくポジション、が服飾から事務に移りかわった。事務のお偉方が、わたしを美しいといって、食事に連れ回してた時期があったけど、その座は、わたしが(服飾やってた時に)しゅしょうだとしていた人には代われなくて、わたくし。に務まるお役割だったとして、その形容詞、綺麗。が、真空状態の、そのひとがわたしを付き合わせるための口上で

わたし、という存在に、なかなか人数が多い集団に於いて、美しい。などと言われたことは無い。それでわたしの顔や体に、或いは意識に、その形容詞を定着させることは無かった。美しくはないのか、さあね。わたしは誰だろう、想念の中にだけいる、

連続した物語の中にはいない。ギョーカイに居た、というよりも、カーテン越しに、中の様子を聞いてたって丈だ。とにかく、そのしゅしょうが表立ったところで、情報操作も、していた。わたしのことがNGになったこと。をヒタヒタわたしに伏せる。便利な連続作業屋さんは、確保したいよね、という売り買いの秤にかかっていたと言えます。

わたしはわたしをどこへ運ぶか。わたしは強い。気が強いんだよね。わたしにとって、自分を生かす道が、気の強さを証す、ことでしかないなら、これからも旅はタフになりそう。気は、強くなくてもいいんだよ、と知ることで、わたしはゆるまるのかな、

ゴダールの軽蔑に描かれている、女の心の閉ざし方、強気さで撥ね除ける要素、が共通していたりして、わたくしの、うちがわの宇宙ななにか。