TORABARA むつき29にち

しごと終わってから、外出をする。一番近くのスーパーマーケットへ、ペットボトルのカラと、プラスチックを回収ボックスへ入れなければ、という用事。いちごと、スパゲティ、オリーブオイルも買って、

家帰って、料理開始。大葉、ニンニク、唐辛子、をからめるやつ。旨い。

風呂のお湯入れてたら溢れて、久しぶりに、ザブーンっと洪水になりながら入った。大名気分。風呂フタの上で毛糸編むのは、やめとく。

今日は、からだの具合が良いとは呼べないというか、時間ごとに、血行の働き方が違うことを、感じられた。活動する、静養する、というのに、相応しい時間帯というのがある。という説を思い出している。

養老孟司先生は、人の脳の構造は自分自身を感じるようには出来ていない。と著書の中でおっしゃっていて、ここでいう、自分の身体を感じられない、云々は、他者を観察することと比較して。という意味なのだが、

日記などというのは常に自分自身の、からだ、私がどう感じてどのような意味付けをしているかの吐露であるため、へ?じぶんのからだが感じられていないのか、わたくしの脳は?というクエスチョンが、読後からつきまとっている。

他者に照らす自分、の階層が上位な学者さんの戯言、と、養老さんを断定する。自分を自分が感じる、という自分軸で、生き直して以来、現にわたくしは、みちがえるほどの健康を手に入れた。だるさの根元を、かんじてみることは、それこそ「知」だと位置付ける。

からだは、時間とともに変化してゆく。体の各所がまんべんなく、運転してゆくその軸が、うつろってゆく。その、察知する機能が、体の各所を巡る。というカンカク。それで、その矛先が、時に異和感をおぼえる。膝、とか、歯とか。顔の肌、ほうれい線、かかと。どこかしこ、運転軸移行をやり過ごせば、その柔らいだ調子で、体はコンディションを保つ。

そういう印象です。