朝、梅祭りにて、ヨーグルトと、ピンクの花を買う。家に戻り、ただ家の中に居た日。
家のひとは、びょうき。ノイローゼか、うつ。そのえいきょうがわたしに、及んでいるといえばいえる。家に居て、掃除機をかけたり、換気扇をキレイにしたりもした。
ニュースに、首を突っ込んで、なにをしている時も、ニュースの音声を真横で掻き鳴らしたまま、な、家の人。不穏でありながら、わたしはわたしの真空状態に入るとかして、撥ね避けてゆかねば、というサバイバルが、ここで繰り広がっている。
人生が、成功していると言われているひとの、決まりきった暮らし、物の考え方、朝食に摂取する、テッパンな栄養素、を知っている。おおよそのじけんとむえん。である事を知っている。それでいて、それって硬直じゃね?と冷ややかに判じていた。おもしろくはない。只の平凡を、わたしは愛することは、ついに、無かった。
わたくしの、日進月歩。と、平凡さは、足並みがそろわないってこと。