ホームについて。温かいかんじ、自分の良さがわかってもらえて伸び伸びする。受け入れられて存在自体が祝福される。
あれあれ?反対な環境なら覚えがある。つまりはアウェイ。そこで踏ん張って、障害を乗り越えねば、なんてことをやってきた。トラブルが頻発し、イヤな思いをすることが多い、転々とした仕事先にもそれはあったし、私にとって、身内や血縁のひとたちとは、まさにそれ。我慢したところで時間の無駄です。離れなさい。のサイン。
宇宙からのサインは、ようしゃなくて、その人にとってチャンスが無い場合に、遠慮なく障害を与える。それであなたにとって正しい道に戻すのだ。関わらなくてよろしい。
アウェイなフィールドが家だなんて、むつかしいカルマだった。それで我慢癖、遠慮癖、をつけてしまったか。勿体なかった。その家に生まれて、取り組むべき課題は、もうやり終えた。それで離れなさい、という警告みたいな出来事が頻発する。明らかな害毒が血縁の近辺であった場合に、いつまでも首を突っ込んでおくものだと固定される一般論が、二重被害になる。逃げなさい。避けなさい。毒だとわかっている蜂に刺されっ放しにはしないでしょ、
忘れなさい。
ホーム。じぶんのフィールドにいなさい。先ず、あなたが輝く。あなたがまわりと調和する。応援されるから感謝がたえない。そのフィールドで、あなたの運命の輪がまわりだす。
教えられなくても自己流でできてしまうこと。好きなこと。ずっとやっていられる。自然なこと。それがあなたのウリです。
そして、どう見せるか。見せ方を求めれば、シゴトになるのでしょうし、ただ居心地のよさを貪欲に求めている、直結した○○屋さん、○○家、じゃない場合も、人のありようかと思う。
先日から考えていることは、それをやることがその人の本質なのかどおか。本質の筋である場合の、物作りを、見分けることができるようになった、かもしれない。上辺が(見せかけるのが)上手な、モノマネさんがいて、いくら荒銭を稼いだからといって、その出来事は、偽物に分類されるというか。
パフォーマンスの鮮やかさに目がくらむ時期が、わたしにあったかもしれないけれど、自分にとっての本質的なところで、服。のことをしてゆけばいいのだとおもう。
