公園へ行き、帰宅して、お昼ごはんを、神社さん境内へ頂きに行く。かき揚げそばと、生ビール。休みの日を、毎回祝う。


休みの日。お花とケーキを買う。映画観る。というのを、なんとなくねんとうにおいていて、たっせいしなかったばあいは、平日にもちこそう。だいたい、こういうかんじ。
4時間以内に、帰宅して、2時間くらい、バッグの型紙のポケットについて、考えて、夕方から、近所老人と、コーヒー屋で、景気の話した。
わたしは、夜の美術館ツアーへ行ったこととか、なんて幸運だろうかとおもう出来事を、頭の中に並べて、それを話したい。鏡のように、幸運な話が出来る相手は、相手が幸運かどおかにかかっているのだな。
老人は、前から狭い世界に篭っていて、即、金に照らして、損得ってだけで、囚われたままだった。からだが、伸びやかになることと、心は、並走する。なにか、じゅうなんたいそう的なことをつづけてゆこう、かたまってしまったらおしまい。みたいなことを老人を見ながら察知している。
誰かと会っているよりも、わたしは、ひとり時間が、果てしなく伸びやかに感じている。

