自宅に居て、夜ヨガへ行かない珍しい日。すぐにワインに手を伸ばす。美味しいね。
先月の、実家と問答した件が、ずっと引きずってしまってる。わたしの気持ちが翳る。何者かであること。にしがみつきたい人は、近所公民館での役割までも自己紹介したいのか。年寄りの尊さがあるとして、どこかの国の老人は、毎朝の太陽は自分達が山に祈るから昇る。自分達が太陽を昇らせている、という自覚が自尊心になっているらしい。ほんとうに太陽は、そのひとたちの祈りで昇っているかもしれないね。
実家のひとのいう、何かやってることとは、隣人との差、誰かとの比較、で自分が何者です、と名乗っているにすぎない。ここに、わたしは嫌悪をおぼえている。所詮がつまらないものさしをあてて測ってるにすぎないってこと。それを我が特技として名乗ることは、我(ガ)の唾でしかないとおもう。なにか偉いのかソレ?誇りではないようにおもう。自己紹介の自慢項目羅列にかんする浅はかさについて更に言うけど、
コツコツと、何の営みがあるか。について、己の住空間にある風呂場の床。こそをコツコツと磨け。と思っている。おトイレ然り。お部屋。お台所。
そこがおざなりなまま。生活に関する、なんにも世話が出来ない、浮薄ないんしょう。口先で何こそしゃべるのか。まずは、自己を愛し、自分の身体を健やかに保ち、身の回りの手入れを行き届かせる。ことが基本だ。そこを他人まかせにして、なにはどう汚れるかのメカニズムから目を逸らしたままの、感性は、あてにはならないように、わたしは考える。恥部汚物を知るからこそ、美しくならずにはいられない。
アマチュアのまやかしの騒ぎ、に巻き込んでいらなかった。ここまでが、挿絵の提供をした丈なのに、「自慢出来る活動内容を」紹介することを求めてくることへの怪訝なきもち。なんというか、暮らしに対する意識で、相違があり、物事の置きかたがいちいちわたしには引っかかる。わたしの暮らしは祈りそのものに近い。
そう、それだわ。太陽へ祈る。ただただ、祈っている。