電話番号つたいに、古い知り合いから連絡が入っている。言葉のノリが、軽めで乱暴で、不審な予感。何か用?と返す。
お父様の詩集を読み嬉しくなり連絡しました、とのこと。問題の詩集のことか。あれを読んだ上で連絡をここに入れてくるとは、嫌がらせか。と判断し、「どのような内容の詩をお読みになったんですか」と質問した。
今回の詩集は、まだ読んでいない。新聞の紹介記事を読んだ。とのこと。長々と、こちらの気分を害さないように気を遣ってるとおもわれる文章が書かれている。なんか申し訳なくなり、ご挨拶させていただく。思い出の中では、悪いひとじゃない。何年かにいちど、この人が出てくる同じストーリーの夢を見ていて、このことも伝えた。
なんか、なみだが出てきた。何一つ、いいことを思い出せない時期。窮屈で不自然な、わたし。うっすらと無理している事が重なり、いよいよ病んでしまう流れ。その渦中で一抹の、ましな存在だったおぼえがあるのだけれども、ある時点での彼女の何かに、わたしがインスピレーションを受け取っていたとしても、とっくに彼女本体からは消えてるだろ。ままならなさ、というなつかしさだった。
今日は一本、映画を見た。インドの学生デモの画面。監督の感性で紡ぐ二時間という時間を体感することが、映画鑑賞だな、と思う。結末近くに、大学の先生に語らせてたけど、白か黒か、ではなく、混沌としたニュアンスを、そのままを受け取っておくことが寛容で、人のすすむ方向も寛容であれ。
デモは、リズムに乗せて、文言をシャウトする型だった。人に余るエネルギーが、祭の形をとるか、デモか、似たり寄ったりに、勢いのある噴出をする。デモを経た学生のひとが、いったいデモってなんだったのか、「何も知らない」みたいな題名。
映画館を出てから、電車乗ってて、背後の日本人学生たちの会話が聞こえてきているけれど、平和ボケとはこのことよ、という、カラッポすぎて、おもしろい。映画のシリアスとのギャップが、映画の味わいを増やした。
ワールドシリーズ優勝おめでとうございます。ドジャースブルーのセーターを見つけて、購入。優勝したことの記念。祝い。縁起よいね。
お化粧品やさんで、お買い得になっているお店。遊ぶみたいに貰うみたいに、あれもこれも、欲しいかんじに組み合わせる。ピンポンパンの番組おわりに、木の切り株に入って行ってお土産を選ぶこと。この憧れを、毎月、実現してゆくかんじよ。ご機嫌な日になった。