近所の老人と、国立博物館へゆく。人でごった返していた。本日は法隆寺のお宝を見ることにする。
電車に乗って間もなく、お店のお客さんだったひとが乗ってらして、おもいがけず、老人の近況などを話した。この方は、地元の名士、とでもいうか、なみなみならぬ敷地に豪邸をいくつも建てて、そこに各界の、大物が入居しています。ようするに大金持ち。
会話の中で合いの手を入れるみたいに、老人のことを伝えた。すばらしいわたくしの役割。わたしがお店にいたことを知るひとは、ほとんどいない、幻ななかで、おそらくうすうす、わたしも経営側にいたことを、流石、名士はご存じなのだ。
法隆寺の宝物を慈しみ愛でて、浅草へ移動して、お蕎麦と、大関の熱燗よ。そして最寄りに戻ってきたら、またしても元客にばったり会う。なんと、今年二度めの、先生が現れたのだった。不思議。
道中、先生の話題をしていたところだった。老人が先の、美術展覧会をして、先生のことを呼んだのにいらっしゃれなかったって。日本に殿堂入りしたような文学賞がふたつあるうちのひとつを、受賞されたかた。日本中にお名前が轟いたかた。と、ざっくばらんな立ち話をしていて、いやー、行けなかったよっと、まるでここで喋ることになってたみたいな話始め。わたしは、さっと、老人の近況をこの先生のお耳に入れましたとさ。
世界が、回っているのを、ここで手中でたしかめてゆくような、持ってるって日だった。