TORABARA しわす29日

なんかぜんぜん。掃除も料理も、やる気が無い。去年の、強烈なたいけん、窓枠から窓を外して洗い出した、あれはほとんど事件だったと振り返る。

昼過ぎから、近所の温泉へ行くことになる。家の人と。でかけることが貴重な人。このひとの「家」にまつわる思惑に、得体のしれないところを察知している。田舎臭、と呼ぶようなところ。身内とだけ関わる閉じ方。血縁のある妹にあたまの中で触れ続けている。

土地の由来に触れたくて旅をする、触れるというか、識りたいという好奇心で歩く。歩くことはポジティブであることそのもの。わたしの現在の思想と合う相手ではないひととの会話は、ゴツい感じだった。

温泉に入って、プールで少し泳いで、さっぱりした。カキフライ定食は、美味しかったよ、帰宅。

父が本を出版することにしていて、表紙絵を担当したのだけど、絵の作者紹介の欄をどうしてもつくるらしい。わたしは、わたしの活動名、「TORABARA」とだけしておいてほしいのだが、これが通じない。

活動のリレキ、を掘り返して羅列しなくちゃいけない、これのどこがわたしを苦しめるか、過去は、過ぎ去った神、みたいにおもう。

田舎暮らしの老人が、地区公民館の班長、すらを肩書きとして経歴に書くぶざま。そこの同次元になりたくない、反発なのか。ご縁とは、

おおよそたまたまの成り行きで、形がつくられてゆくようにおもう。わたしの向き、はあるとしても、自力で出来たことなどほぼ無い。他力あってのわたしだということです。それで手柄を並べるような記述に、気が進んでいない。

テキトーに書いとけって。配る相手が100人にも満たない同人誌的な出版物だろ、と自分を諫める。今日は筆を取れなかった。