1年以上ぶりに、極上のホテルランチを予約していて、行く。

水道の蛇口から、シャンパンが出てくるのもお気に入り。ほろ酔いになり、羽を広げた気持ち。
博物館映像チケットの期限が近いから、行かなくちゃ、と、午後3時の回に、入場。しかしほどなくして、爆睡した。映像終わり場内の明るさで目が覚める。なんのこっちゃ。上野に来たことが無駄になった。東洋館でお気に入りをさがしましょうか。



昨晩、あまり寝付けず、学芸員という職業柄を考えあぐねたせいで、冴えた。もうすでに世の中に認知されたものだとか、鮫の糞への感度が問われるのであって、
偏見だとは思いつつも、間近なスタッフへの階層意識が高そう。したしみではなく、じぶんのしもべ、それでカオもないようなキオクになったとさ、嫌な人種だね。と、私の中で決まる。世田美へ行くことはこれからもあるとおもうけど、(その人を見かけても)一方的な観察をしたらいい。観察は、もうしなくてもいいか。
登壇者の先生は、私はその会場に入れなかったので、縁が無かったのだ。使命を持って生まれてきた人が、80歳頃に、ご自身の経た体験の振り返りをされて語られていたのを、ビデオで拝見した。ご自身の才能に突き動かされる、しるし、のようなのを、積極的に生かしてきました。みたいなお話。ちょうど後押しをする社会の流れがあり、自分は社会に生かされた。
それはそのひとの道であって、そのひとに宿る直観が、かなりなインパクトだが、それを私は自分自身に再現したいわけではない。(ナイル川に沿ってオートバイを飛ばさないとおもう。)灯火はいただいたとおもう。わたしがつむぐはずのものがたりをなまけてはいけない。
わたしにはわたしの経典を乗せたマニ車があり、その車輪に、ぐるる、ぐるる、と勢いを加える。野町和嘉さんから聞こえている話とは別の宇宙的次元で併走して、やってみよう。という気持ちになった。