TORABARA むつき19日

諦めながら、旅。去年同じ所へ行っているうちの、縮小した同じ行き先へ、もたつきながら向かう。歩きたがらない、家のひとを、引きずるように移動している。

海のすぐそばの道、奇岩の上を歩くとか、足をのばしてみることが心が愉しかったのだが、家のひとは冷めていて、わたしは今後、いっしょに出かけたくない。という感想。手のひらが痒いわけではないのに、執拗に掻いてきて、いまだに痛い。そういう、生理的に、合わない悪戯をされることも含めて、

この人が伴侶なのは、まちがっているとおもう。わたしにとって、このひとを通して学ぶことがあるから、ご縁をいただいているとして、何が、このひとをとおさなければ得られないのか、親にいい顔をしようとする、親の為に結婚してみせている、という比重が大きい。それをわたしは見届けてゆくのだっけ。

灯台へ行って面倒。だから登ろうとしない、家のひと。無理に、こじ開けてゆかないことにしている。風光明媚な、ジオパークを体験してゆく、のではなく、只の売店、温泉、回転寿司。タクシーとバス、を回る、という時間でした。

以前も、おもった。このひとと、行動しても、場所の趣きを感じられない。雑に、済ませる。こちらも、期待することがなくなってきた。

大判焼きが、銘店の、白あんの、丹精こもっていて太鼓みたいにぶ厚い、この、一個が、いただけてよかった。来てよかったね、と思った。これは、わたしだけいただいた。ここで大判焼きを食べる機会を逃すなんて、家のひとのアンテナは悪すぎ。

みをつくしてもあわんとぞおもう

醤油の箱に書かれている短歌に、はっとする。いったいなにをやっているか。ままちゃんのちちばなれしてないような男に、いつまでかまけているか。みたいな直感が、ふいに宿る。

ひとにも、イヤシロチ、みたいな居心地をおぼえるあいしょうがあるとおもう。わたしのばあい、現在の夫では無い。