電話で話す。いま、自費出版で本を作っているひと。この表紙絵を担当したのだが、その絵が表現なので文字を加えなくてよい。と私は考えるのだが、プロフィールを書かなければいけない、と当の出版者が言っていて
はじめ、捏造したような私のプロフィールを勝手に書いて私に見せてきたのだけど、了承出来かねると申し上げた。酷いストーリー、安い賃金でヘコヘコ服の仕事を請けるひと、みたいに書かれていた。
今回は、色々な布を使ってカラフルなポーチを作っていることを伝えていたのだが、この話はおもしろくないのでのせない。らしい。おもしろさ?
以前ならば怒りが噴き出すような事を冷ややかに聞いていたとおもう。昭和初期に生まれているひとの「活動」と括る事のみを有ることと扱う、この感じを手放せるようになった。と感じた。
この人、と呼んでるひとに、かつてはこちらに関心が無いと、ばっさりと言われたのだけど、その地下脈絡が、ようするに昭和初期生まれならではだと確認したかんじ。何かをする(Do)から良いのではなく、いる、(Be)というだけの境地にいて、それをわたしは楽しめるようになった。ということ。
執着が上空を素通りする、というかんじな受け応えをした。ただ、時間に身を委ねていて、そこに同時に祝福をみいだしている。