TORABARA ながつき27日

あんまし歩かなかった日。朝、公園へ行かなかった。夜は、物品を選ぶ時間。ネットで、返礼品という名前のやつ、を延々検索していた。

よっぱらってもいた。家族の人とは、時間の内容に求めるものが違っている。画面の動向を見て、口出しをするものの、あるいは「打つ」そして頃合いを睨んで、利獲、あるいは反対の方向に行きましたと言って、イライラを募らせたり荒げた声を出す、机を叩く、悲壮そのものになる。時に、体調までも悪くする同化。ここでお金を得たり失ったりしている。

画面は、もう4年も見続けている。隙がないとかで、身の回りも部屋もトイレや風呂も、掃除をすることが一切無かった。家に帰るなり画面の前に座る。手を洗わない、うがいをしない。汗かいて臭いのにシャワーで流さない。さすがに

匂うんですけど、臭。と私は宣じた。すると、口出しされたとかで家を出る、とのこと。バンザイ。そうしてください。わたし、かせいふではないですし、洗いものが二分の一になるヨロコビ。家の汚れ、家の中で煙草吸われる不快から、開放されるバンザイ。なはずが、家を出ないまま、今に至っている。

多分、時を読むとは、やることをやる。という営みがあってこそ。見えてくるという感覚、性質というか、経験則から言うと、掃除、という営みは、抜群に人の運気を上げるとおもう。わたしはそれを知っているのであり、実行してもいる。

わたしの時間の過ごし方は、創造的なようそを欲してると思う。毛糸編みが進む。クッションカバーを作る。金継ぎを始める。着たい服の型紙をひき始める。等。

真横で、あー、だの、うー、だのと翻弄を被る側で、やられてるひとを尻目に、わたしはわたしの崇高なカプセルの内側で、机を広くつかって、わたしのしごとをしなければ。これがゆくゆく出来るようになると、いい。と思う。今は、

カプセルを構くために、どうするかを試行錯誤している。寛ぐ、緩む、という要素だけがある時間。まあ、これもいいのかな、気に入ってるワイングラスにいきなり上等な赤ワインを注ぐ。カプっといただく日課。ガシガシ、何か作ることを、近年お休みしている。