TORABARA ながつき3日

父の問題、再び。犬猫の生理じゃあるまいし、自分の娘の発育を、赤裸々に、本に書きやがった一件が、わたしは、いかりがおさまらない。なにか、おもしろいか。

女の商品価値に値段をつけかねない、女という動物への卑下が、みてとれる。これぞ、昭和一桁生まれ(父)の、厄場。やばい。時代錯誤。もう、口がきけない。

時代の空気で、あるいはかつては、当たり前な揶揄だったかしらないけれど、今、これは嗚咽する、嘔吐できるよ、すさまじい嫌悪感が、わたしに巻き起こっています。

人が、どんな神経をしているかを、私から変えることは出来ない。謝罪されようが、弁償されようが、許されない。まずいとおもわなかったから、活字にできた。信じられない。もう、ずっと、頭から離れない。父の思想を直視することが即、穢れに触れることのようにおもう。

時代の落とす翳り。戦争があり、敗戦して、教科書の記述を墨で消した。政治的な主張、が父にあったらしく、わたしからすればいかがわしい活動に勤しんでいたようである。なんちゃらに反対、空港建設に反対、バリケード建設のための署名活動、募金。とか?

そういうの、流行らないっていうか、人としての根底の品位が、特に女への卑下がこびりついた父の頭が、なにをさておき、最低である。いろいろ、要らない主張を展開していることへも嫌悪あるけど、やはり、どん詰まり。ひん曲がった、奇形な神経を軽蔑する。

親が、犯罪者とか痴漢とか、異常者って場合の、立ち直り方を、わたしはなんとか、見つけなければ。心機一転、克服をこころみる。

まだ生きとられましたか、

と、さっき電話で言いかけた。