東京国立博物館。へ行く。毎週くらい通うかもしれない。今日行ってみて、やはり膨大な展示だ、と辟易したようなかんじ。
葛飾北斎の、いい状態の版画がいっぱいあった。
娘の応為の絵。前に本に載ってたものが実物が見れた。良かった。
着物で、夏物で透けてる、マルチカラーで海月の刺繍のやつ、所蔵品だとおもうけど、わたしはこの着物が15年位前に好きだと思い、4年位前に、なんか劣化してない?と見てて、気になってるけど、着物特集なのに今回展示してなかった。こういうことを聞いてみるといい。友の会は、ツーだよねって質問!
習い事に通い始めたカンカクに近く、上野。の寄り道のパタンとか出来ていったりして。
「神仏のみことば」桜井識子著
魂の輝きは他人に委ねられる(他人が愛してくれるかどおか)ではなく、自分がたくさん愛情を持っていたらキラキラ輝きます。輝かせるのは自分なのです。ここを理解していたら、幸せの意味が変わっていきます、人生もよりよく変わる。愛情の袋を常にふくらませておきなさい。
わたしに課されたお題目が、こういうことだったかもと、答え合わせをするように読む。長らく、同じようなところにふたりいて、その一方だけが四方八方からもてはやされる光、私はとり残された影。を味わう局面があった。私への周囲からの関心が無い、ことによる歪な、蔑まれ方、疎まれ方、あけすけな人々の悪意ある形容詞が聞こえたりした。
今、それらが解決しているかといえば、やはりしこりは残っている。わたしからの強い態度と物理的な遮断は、現在も貫いている。何にせよ浅はかな輩の側が変わることは無い。わたしは、自分の思い込みを造った結果だったかもしれないが、窮して、メンタルを病んでしまった。休学もして病院に通った。
わたしのメンタルに不味い作用を及ぼした人達のなかには、自身の母も、含まれている。母にかんしては浮薄さが、まずい。母にとっての限界なので責める気持ちは私からは無い。病を経て、生まれ直す。というたいけんが、今のわたしの基本にある。
自らの愛情で袋を満たしたからといって、そうですかといって、やはりしこりのある相手には、どうしても反応してしまい、何年かぶりで母と会った後に、帰省の直後に筋肉がコントロール出来なくなり、仕事でPCのカーソルが、焦点が合わなくなる異常がわたしに起こっている。
ゆるすかどおかではなく、筋肉が反応して、きょぜつをする。からだにじんましんができるのも、おなじ理と思う。魂は、自分自身を護るのだ。
追い詰めてはいけない。会う「べき」だなどと自分をしばってはいけない。無理なら自分の視界や次元から葬る。ことが是。
愛は、神仏とむすぶ。じぶんじしんとむすぶ。