TORABARA はづき6日

ひとのきおくのうすさ。

過去を手放す。もう消えたことにこだわらない。

わたしのことがきおくからきえたひとへ。もやもやがあり、わたしにたいするきおくがとんでもなくくっせつしたひとにたいして、たけりくるうきもちもある。

極悪なネット記事を長々と読む。こういう俗なニュースをよろこぶような輩がいるから、俗な記事がわいてしまう。それを憂うのに、まんまと読んでる。あとあじは悪い。私の父は、稚拙な立ち位置で書いた文を、活字にした。すくなくとも日本語で、意味をなす文字が並んでいたとおもう。子供の病状を形容して、虚ろさを切り取り、徘徊したと公表し、子に対して「非」ず、この文字が充てられていた。非。

三面記事に、人は寄り付くから、というサービス精神のつもりで、実の娘への、こんな嫌がらせができるのだろうか。神経をうたがうというか、父は狂人の部類だ。わたしは自分の体験した旅を、父という的へも話してきた。しかし、根底から意味合いが覆っている。ろくでもない人間性、に一体何が通じるやら。電話での対話のすべてでハラスメントななにかを孕みつづけていたのだ。

父が活字にして実の娘を貶めた。わたしは剣を取り、悪霊だか悪念だか、その得体の知れない父をケダモノとして刺す。

だんだん、足下の黒いやつが父に見えてくる。

金で揉めて血縁関係がギクシャクする話は、聞くけれども、私から父への、人間性軽蔑が生じていて遮断。

心機一転やりなさい。と、おみくじに書いてあった。克服するのではなく、必要ならば遮断せよ。人生に遮断ばかり多くなってきた。