TORABARA ふみつき10日

ここに置いてもらえるといいお店の、仕入れ担当の人と、知り合いなのであった。ちょっと聞いてくるか。

と思いつつ、酷いエピソードの数々が思い出された。その担当のひとは、わたしとは反る。のであった。「もう僕に話しかけないで。」と、わたしの脳内でイメージする、その僕。は言った。そのように想像しただけなのに、すごい、リアルな映像だったかも。

治安の悪さ、は職種によって、ゆるされるボーダーがまちまちだとおもう。治安は悪いけど、突出した人情味がある。封建的な間柄は、そういうものだ、という慣れができていた且てのわたし。一度でも外に出てしまうと異界になる。その治安の悪さ、は、あたまの悪さであり、言語の寡なさ、感情だか嗜好だかで引っ張ってしまう、劣悪な倫理観にしかおもえなくなってた。

TV的音声のなにが厭か。テンポの一律な尻切れトンボな調子。内容が浮薄で、スキャンダラスで、人類の覗き見根性を刺激する。ウルサい、ウルサい。と何度も家族の人にボヤく。

風に吹かれるまま、風が強く涼やかなことを、愛でる。鳥が飛んで横切る、窓からの眺めを、愛でる。

産み落とす世間が見当たらないかんじ。わたしが、今世は出産することは無かったことを、今日、振り返っていた。世間的体裁を、誰からも迫られることが無くて良かった。未熟な状態のひとと20年近く付き合う知恵が、わたしには無い。TVのノイズを聞きつづけないといけない苦痛と、ガキのノイズは似ているのかも、TVノイズは、少しは許せるようになっているか。濁るかんじ。ボーダーを下げてしまうことで能面の無表情になりそう。

外界にふれていながら、境界線が引ける。ってことを、ひとは演ってるのかも。わたしは、鳥に近いくらいも、高波動なのだったりして。ひとにほとんど馴染まれない分、鳥の存在が近しいこと、ふいにベランダで足を休めている野鳥のことが、嬉しくて、嬉しくて。