ずっと嗅いでてもいい匂いは、百合の花。生姜。カゼの症状が自分の自然治癒力で、ダイナミックに治るとき、平素のコンディションを超えた良好な状態に気管がととのう。気管のうちがわに芳香のような、たまらなく好きな花の香りのようなのが漂う現象。前もたいけんしてて、鼻が良くなるっていうのかな、このかんじ。
体は神殿です。
一年前から、毎月旅に必ず行く。という予定になってて、いろんな土地の宝のようないい物が、この家に集まってきた。思い出もいっぱいふえましたね、わたしじしんのぎこちなさも、思いだすと、なんか、いい。だめだこりゃ、という珍道中になる、ほうがおもしろかったりする。
わたしはわたしの為に日記をしるす。
名前にちゃん付けで、たとえばわたしの名前がとらだったとすると、とらちゃん、(一拍置く)とらちゃんが聞いたらびっくりするような額だよ、とお金に関するチラ見せ、があった。マッキントッシュのスプリングコート。人材育成の教育費用。アッパークラスのひとが特権的に、こういうお金をつかえることを、ひけらかして見せられた。とらちゃんが聞いたらびっくりする。という言い回しが、いかにもひとを小馬鹿にしている。この同じ言い回し、が別なつかわれかたをしたところが(も)、嬉しかった。
あなたが為してきたことの意味を、あなたが知ったら(一拍置く)びっくりしますよ、それほどのことをまっとうされた。
という、預言の余韻。
家の経済的なランクによって、はじめから、閉じ込められる層があったとして、全くプライバシーの無い、狭い部屋を、知らない人と共用する。この生活空間は、自己の確立以前にあったから、牢獄と同義だった。あるいは被災した状況を体験していたといえる。いいように我を張っていればまだ乗り越えられたか。
わたしと同室だった、名字に梶って付くデブな女が、芝のたったままなボロい椅子の足に、自分の着古した肌色ストッキングを巻いて、床と擦れないって意味で巻いたと思われるけど、それはどうにもきちゃならしい穢らわしい。そこに巻きつけてるの、おまえの汚物だろ、そのブツが、すぐそばにある、ことが嫌で嫌でたまらない。昭和の暗さ。
自分を縛りつけて、飼い慣らしたはずの自分が顔中に吹き出物の噴出、梶って付く人、無理してるんだろ、身体が贅肉だらけで醜い。そのからだから常に陰気さが醸し出されている、接したくない嫌悪感のある相手と同室。ここに帰ってくるしかない。というか、勉強机に向かって何かをする用事を、わたしが持っていなかった。
私からは無視してたんだっけ、やがてそのデブ女は、別室に移ることになり、わたしは真っ先に、その椅子の足のストッキングに鋏を入れてかなぐり捨てた、という覚えがある。あるいは、その女の留守中に、そのブツを捨てて、それで揉めたのだっけ。忘れた。
寮に年寄りの寮母さんが3人くらいいて、料理に何本も髪の毛が入ってた。食傷。お台所の不潔さは、シャレになっていないんだけど。嵌った沼の、どこから解体したらいいやら、非力なわたしは、しばらくなにもできなかった。いいえ、自分が病気になることしかできなかったといえる。じりじり2年めの半ばで、わたしのメンタルは、こわれた。
わたしの所属している学校が6流大学で、それは、みじめなことらしいと、じわじわと味わっていったとおもう。みじんもすきではなかった。好きな人好きな場所好きな時間。がわたしからなぜこてんぱんに奪われていたやら。厄年、では言葉が足らない。
わたしを守らなかったのは、わたし。であるかもしれないし、取り囲まれている条件がわるすぎるだろ。水が合わない。植物でいうところの立ち枯れ。環境はね、あなたに合ったところに替えなければいけませんよ。という学び。友人以前に、言葉が噛み合って交わせる相手が、皆無。というじょうきょうが堪えた。
高校卒業後の丸4年間は、闇に葬ったほうがいい。拠り所が、わたしが実家だとおもっていたとして、物理的には、実家から、田舎ならではの価値観から最も離れたほうが良い。ゆくゆくびょうきになるよ、が、まんまとびょうきになった。たぶん、この4年間の内側で関わった人たちを、悉く、わたしは捨ててる。わたしの健やかさの礎は、生まれ育ちの因縁を捨てる。ことでやっと始まった。