どん底な気分から一夜明けて、あっけらかんと、しつぎょうしない、しつぎょうになるようなきげんのつかない、ケイヤクを得ている連絡が入っていた。
まるで不感症で、なんにもうれしくなかった。
時間が長くかかりすぎていたことも一因だけど、ここでなければ別で。変わり目は、天からの合図のように、今まで放浪してきているので、わたしは不安をかんじにくい性質というか、固定を好まなくてもやってこれた。
一つの場所にしがみ付くだけが美学ではないことは学んでいる。30年間、同じショクバだけにしか通わなかった女性の、古い畳が匂ってるようなザマ。しがみ付くことだけがアタマにある人のしがみ付き方の、ぶざま。そんなことはやらなくてもいいのに、これをやることで仕事存続があるという相関関係を間違えて、無駄な必死さを発揮していて、滑稽だったりする。
自尊心。年を重ねて過去の自分の優越感を、くり返ししゃべるしかないマシン化したような先輩の御仁方。年寄り臭の一種でもある悪臭に、鼻をふさぎたくなるかんじ。
女の自尊心は、認識の狭さによってより一層の悲壮感がただよう。なぜにそんなことで自尊心がくすぐれるのかという、脳みそ容量の、寡なさに、目を伏せたくなる。
それで遠慮してしまうわたし。口がきけなくなるパタンって、相手の想像力が乏しいことが明らかになったときに起こる。わたしから何をしゃべっても誤解され歪む時。うけとる器の無い相手に、底が抜けたままな応報、いつまでも対話以前なままなやつ。
なんの話だったっけ。とにかく祝われるような日で、夜、日本酒もいただいたけど、マヒしていて、さっぱり、めでたい気持ちではなかった。神さまは、できそうなところへ運ぶ。雇われなくても自力で事業を始める。このチャンスが遠のいたみたい、とぼんやり考えた。