養老孟司さんの本を読んでいる。平易な文章で、おどろいている。難しそうだと思って今まで敬遠していた。話が、政治だとか日本論に、なっている。読者に、自分事として、日本とは?を突きつける。偉大な先生なので、ふっ、と、この本は私に関係ない。みたいな感情にもなる。自分のことが偉い、と思っているひとにとってだけ、テキストになり得る。参議院の在り様とか。作者がなぜそれを論じるか。作者がそれを諭す立場にあるから論じてあるのか。
わたしは、河合隼雄さんの著書が、とても好きだと思って読む。偉大な頭脳が繰り広げてゆく世界。というのを楽しめるから、読む。河合隼雄さんは、人間にとって、直に訴えてゆく着眼がある。世相を論じていても、いつまでも古くならない、旬な話のまま。この宇宙的冴えのある人物であったといえる。(故人)
わたしの世間話の中に、政治は、大仰な話題のため、入ってこない。養老さんの、自意識が幼い頃は過剰なのだという話、は思い当たる。しかし、それを大人がどのように扱ってゆくとよいのか。過剰な自意識に合わせて過剰に寄り添っていく態度は、思考停止してらっしゃるか、と思える。世間で、気を遣ったつもりになってる輩の、多くが、この安易な迎合。という気がしている。
私の意見を交えながら、考えが活性化してゆくような読書体験になった。養老さんの本は、後半では、政治経済がメタメッセージではない。ノイズを削ぎ落としたような、情報を、ちゃんと疑っていなさい。と書かれていた。
大きなインパクトがあった体験を、いくつか挙げてあり、震災。の時に、どこを情報の拠り所としているかによって、その人の、出来事への意味付けが変わっていたのを例を挙げて紹介されていた。
わたしの、在日の苗字した友人が、やたら中国韓国を批判したサイトを、わざわざ見に行っていて、いちいち憤ってらっしゃった。「何故、そこの掲示板を見にいくのか」見たいものしか、見ていない、という自覚の欠け。当時わたしがいだいた違和感が、すんなり、文章化出来る。
在日の苗字した友人だった彼女とは、年季を経ていよいよ、齟齬が、(認識する際の根拠が。すなわち感性が。)開きすぎてしまい、もう離れてしまったっけ。
養老さんの本は、読み終えてみると、雑記ってことになるけど、養老さんが愛されている理由が、なんかわかるかんじ。それで、また読んでみたい作家さん。作家さん?というか虫とりさん、というか、学者さん?日本有数の、有識者さん。?