たのしいきもちが、かみあわない人のこと。やらねば、丈の行動が、ほぼその人の時間を占めているひと。たのしいから、が行動の動機になりにくいらしい。それで、話をしていて、へいそくかんがある。やらねばばかり造るひとは、けっか、うっぷんを造り、爆発する。
はめをはずす、ということとセットになって、自分自身への拘束がかなり、強い。このひとの拘束するクセがゆるまれば、羽目なんてはずさなくてよくなるのにね。
人ごとに、ご自分で業だとしていることも違うし、人生をおくるにあたっての養分の摂りかたがちがうとおもっている。わたしは、パートナーに、今の今まで、おなじようにたのしむことを、求めていなかったみたい。異種なことへの、めずらしさを、眺めて、あゆみよろうともして、ただこれ、もうおしまいにしたときに、自分じしんが、すごいきついやつだ。
合ってなかったじゃん。わたしが健やかではなくなる相性。合っていないながらもやり過ごして、流そう。としていた数々は、アレ、とかコレで分類され、積みあげられ、きっちり記憶されている。それで、許容量をこえたとたん、振り子はNOにふりきる。なぜゆるしたりしたのだ、おもいが烈しく自分を襲撃する。わたしが誤魔化した違和感は、ウソ、の箱にちゃんとしまわれているのだ。
せっかくちがう価値観をうけいれていったはずが、もとのもくあみな、只のわたし。一寸もかわることはない。
自分の正直さにもどるのか、もうちょっと、この水の流れにまかせておくか。どうでしょうね。ちょっとでも、気が晴れるほうへ。