家で育てている植物の調子がよい。それと、外に鳥が飛んでいて、鳥の声は、音として、植物を慈しむのかもよ、音浴。
きゅるきゅる、考えていることが変わる。過去の何かしらの出来事を、ぎゅっと掴んでいて、一定期間は、脱けられないでいる。ある時期、わたしの母には、異性の親しい友人ができて、そのひとは父の同級生で、父と母とそのおじさんが家の居間にいることが増えていた。父がいなくても、母が家人にしか見せないようなボロボロなネグリジェを来て、ソファに寝そべったまま、そのおじさんとおしゃべりをしていたりした。
おじさんといっしょにいる熱のようなのが高じたときに、危険物置き場から二人で拾ってきたベッドマットを、家の玄関先で、下品な笑い声をたてて、ホースで水洗いしている光景を見た。その夜に、今日からこれを使いなさい、と、私の寝具として押しつけられ、
親からの実質的な実力行使は、当時当たり前で、高校生のわたしには拒むことが許されない、これをわたしにとって嬉しいことだと想定されている意味が、わからなかった。悪ふざけ。母の鬱憤が行動になって顕れていた、という分析。母の本質には、魔が棲んでいる、という警戒感が、昔からずっとある。
1年半前に、帰省をした時、飛行機が空港に着陸したその窓から、夕陽が見えたとき、深い長い溜め息が漏れた。全く帰りたくない。自分の中のなにかをマヒさせていなければ会うことができなかった。なんでだっけ、と思い出していて、けっしてわたしを庇護するそんざいではなかったこと、何かを判断するときの充分な知性が無い。
関係性が、親といってもまちまちで、生半可に迎合することはありえない。いっこの、別の、人間への、ひややかなまなざし。さげすむきもちがあるならそれはそのまま。親子には一体感があるもの、とだけを強いてくるダンナへの反発心が、こんな重い出来事を記憶から引っぱりだしたか。