かんきょうがかわって、そのかんきょうによって、ないめんのかがくはんのうまでかわった。それで、まるでちがうからだつきになった。
かんきょうというちからは、すごくて、ながいじかんをかけて、いやしつづけられていたのだ。じぶんに合うところにいることが、いかに大事かとおもう。
合わないことを耐えていると、耐えることがクセになって、耐えていることが何か、わからなくなっていたりする。わたしは、ぐうぜんのごえんで、とてもいいおつとめに通うことがあって、するするすとんと、からだから余計なところがなくなった。ほんらいのからだがたちあらわれた、というたいけんです。
いかに、コリをつくってしまったか、ながすはずのろうはいぶつをながさないままだったか。なにが自分を力ませるのか、じぶんをかんさつすること。
じぶんの自然をさがすこと。
とてもすきなところ、パリに旅した時も、そういえば日に日にからだから余計なところがなくなったっけ。からだをかえようとおもわないで、きもちが至福だと、からだはかわるとおもった。