着付け教室の日。昨日のストレス症状は、今日の午後3時に焦点があったとおもう。今日は、振り袖を着せてもらう日。女の目だらけの中で、下着に近い姿になって着替えるところ?着物が自分で着れるようになりたいことと、そんなにはナルシストに着物着てる鏡の中に、はしゃぐわけでもないかんじ?ここのなにかしらの刺激と、わたしとの相性で、ストレス反応があることは、確か。
振り袖は、正絹で、肌触りよくて、覚えがあるような重たさ(寝具がちょうどこれくらい重たい)で、艶やかな柄なことも嬉しかった。うっとりするし、高揚感があった。
さて。はて。着付けのお教室は、着物とのお付き合いの仕方のはずが、そこに人の介入があって、お付き合いとしての習い事、という様を呈してきた。
年寄りになって、話相手がいなくなって、どこでも何でも、群れになるところへ自分も加わりたい、あるいはやさしく声をかけてくる、営業マンにだまされ放題。さみしくて、ちょっとした話相手がほしかったことが、発端。みたいな話(年寄りが、呆れるような的に、お金を散財してしまうのって、パターン化されてるとおもう)に、もしかして似てきてる?公民館に集って、長机で雑談するような匂い、おしゃべりができそうな居場所へ、よろよろ寄っていきそうになってる。
着付けを習うことに、ン万円。は、ありえないか。ゆくゆく高額のお着物を買ったり、行事にかこつけて集金されたりする、そういう流れだよねこれ。
方向感覚が狂ってる。どこをめざしていたのだったか。まピンクな柄のお着物が、似合うねっと言われただけなのに、くり返し、似合ってたかも。ってなぞってる。そして、次の有料コースに勧誘されてるって丈の、お茶やお菓子を囲んで談笑するひとときが、みょうなしたしみがあった。