朝、公園散歩して、昼の休憩のとき、入浴して、しごとおわった直後に、チョコレートケーキ焼いた日。
毛糸編みで、昨日やってたところを解いて、やりなおした。だいたい、うまくいった。
だめなところをみつけて、なおす。ことについて、考えている。資本主義は、足りないこと。こそが、商売のはじまりになるから、ケチがつくかしょが多い分、なにかのしょうばいのカモになり易い。
ずっと、着付けを習うか。ということを頭のすみで考えてしまっている。着物のたたみ方で、シワができた、と指をさされたシーンがリフレインしている。言われなくても、シワなどつくらないけど、急かすようにたたませて(呼び水)ほら!シワになった!みたいなはこびがあったことを、私は見逃さなかった。
おこられる型のようなのができて、何度もその型に、同じようなことを注がれること。が習い事の形になるなら、そこへ通ってはいけない。たぶん、昭和の時代のパタンは、いつまでも上達しない、付き合ってる丈の習い事が、常だった。
それと、細かすぎる着眼点について、そういう物を見る目、神経のつかい方、があることはわかるけど、バイト先とか習い事で調教されてしまったことで、大らかさが失われることの方を憂う。